第二部 秋のななくさ

一 はぎ × 住職&観光客

秋・はぎ迎える寺院

 しとしとと、柔らかい雨が降り注ぐ。

 人々が連れ立って歩き、奥へと消えてゆく。

 いつも多勢の人が来るわけではない。しかし、時折多くの人がいちどにやって来ることがある。今日もまさに、そんな日であったようだ。

 黒、紺、紫、赤、透明……

 目の前を通り過ぎていく人間たちの傘の色が、ハギを愉しませる。色の少ない道の上が、急に鮮やかになった。

 ――人間がわざわざ色のついた屋根で雨を受け止めながら歩く理由は、よくわからないけど――

 当たる面積を小さくして、受け流した方が身体が楽なんじゃないだろうか。水が触れてもすぐ零れ落ちていくじぶんの身体を思い起こしながら、ハギは人々の動きを眺めた。


                ・・・


 雨上がりの道は、人の往来がなくとも鮮やかで美しい。

 僅かな水たまりを残した石畳に日の光が反射し、きらきらと輝く。石畳の先にいる別のハギも、水に濡れた草の根元に光をまとう。彼らを照らす太陽の光も洗われたかのように清らかで、爽やかな空気が辺りを満たす。


 さきほど人々が消えていった奥から、一人の女性が出てきた。小走りで石畳の上を走る彼女は、振り返って歓声をあげる。

「うわぁ。きれい……神々しい、なぁ。お寺だから、ちょっと表現が違うかもしれないけど、でも本当に、何か大きな存在が降りてきてそう」

 女性は首にかけていた黒い塊を持ち上げる。


「写真、撮ってもいいのかな」

「どうぞ」


 ハギのすぐ脇から、小柄な男性が姿を現す。ハギの陰に隠れていたから、女性は気付いていなかったのだろう。びくっとして男性の方を見た。

「みなさま、この正面からよく写真を撮っていかれます。中にいらっしゃる仏さまの撮影はご遠慮頂いておりますが、建物の外側でしたら構いませんよ。ここは奥さまのご趣味で、植物の手入れも行き届いておりますから。よろしければそちらもどうぞ。今はここにあるハギと、駐車場の方にありますコスモスが見事ですよ」

「ありがとうございます。……本当に、きれいですね」

「ええ。ここ数年で一番きれいかもしれません」

「そうなんですね。いい時にこられて良かったです」

「はい。ごゆっくり、お過ごしください」


 男性は女性に頭を下げて、ハギの脇を抜けて去ってゆく。女性は持っていた黒い塊……カメラを覗き、先の部分をくるくる動かす。

「お寺のかたに許可貰っちゃった。ちゃんと撮らないとな」

 石畳の真ん中で膝をつき、建物に向かってカメラを構える。カシャカシャ、という音が鳴った。女性はカメラの後ろを見ながら、うーんと唸る。

「この、光がきれいに入らないな。あんまり本格的に撮るつもり無かったから、フィルターとか持ってきてないしな。やっぱり、ある程度撮ったら目に焼き付けておくしかない、かな」

 女性は目線をハギへと向けた。


「いいね。この場所。植物も大事にされてて、人間も大事にしてくれる。そんな感じがするな。来て良かったかも。……宿坊に着いてすぐ寝ちゃって、他のツアーの人たちから出遅れちゃったけど、おかげでお寺の一番きれいな瞬間に立ち会えたし」

 手を額にかざし、女性は太陽の方を見上げる。

「ここ、木に囲まれてるから一日中、日の光が入るわけじゃないだろうし。もともと一日雨の予報だったから太陽が見られるとは思ってなかったし。よかった。やっぱり、お日さまがあるのないのじゃ、見え方が違うよね」


 女性の言葉に、ハギは同意する。太陽の光が無いときは、全てのものが薄暗くみえる。そんな世界で目にとまるのは、動くものと自身の色が強いものだけだ。その意味だと、雨の日にやって来る人間は、まさに「雨の日に目にとまる存在」だ。

 晴れの日に来る人間の群れは、ハギの視界を遮り輝く世界を覆う。だから、早く視界から去ってきれいな景色を見せてほしいとおもう。しかし、雨の日は逆だ。灰色の景色を紛らわせる人間の登場は、いつもと違う景色を彩る存在として楽しみでさえある。だから本当は、日が出てきてからやってきた女性は、視界を遮る存在なのかもしれない。しかし、今じぶんの目の前にいる女性に対して、ハギは今の今まで邪魔だとおもうことは全くなかった。

 ハギがこの敷地の一部としてとけ込んでいるように。今ここにいる女性も、光り輝く景色の一部として眩しく映った。


「本当に、キラキラしていてきれいだなぁ。ハギも撮らせてもらおうかな」

 女性はそういって、ハギの方へとカメラを向ける。大きなレンズが目の前まで寄せられ、ハギは多少気圧される。

「うん、雫の反射がきれい。今がちょうど見頃なのかな。花もそうだけど、葉っぱもいきいきしてるよね」

 再び寄せられたレンズを、ハギは見返した。レンズに反射したじぶんの姿が視界に入る。そこには確かに、水を含んで色が広がる、花と葉があった。

「雫の中も、赤紫色だ。水滴が落ちたら、それも色がついてるんじゃないかって思っちゃうね。『色がこぼれる』っていう言い方する先輩がいたけど、こういうことなのかも」

 カメラレンズは何度も、何度も角度を変えてハギに向けられる。ハギは少し慣れてきて、じっと撮影会を受け止める。時折風が吹き、花が揺れると女性は撮影を止めた。風がやむとまた、カメラを構える。

 その動きをしばらく繰り返してから、女性は急に立ち止まった。

「あっ! もしかして、ハギと建物一緒に撮れるかも」

 カメラを手に持ったまま、女性はハギから少し離れる。やや後方から構える姿勢をとった。

「うん。いい感じ。いいねぇ。秋にお寺に来ましたってかんじが出てる」

 そういいながら、女性はカメラの向きを変えた。右に左に90度ずつ動かしながら、次々にシャッターを切る。その次は石畳の端まで移動して、逆側に生えているハギのうしろに回り込む。カシャ、カシャ、カシャ、カシャ、カシャ。小気味よい音が、敷地内にこだました。


                ・・・


 ふっと、世界に影が差す。黙々とカメラを持って動いていた女性が、空を見上げた。

「あ、また雲が出てきたね。…もともと、日の光も陰に入る時間なのかな」

 確かに、太陽の光は奥の木々の中に入り始めていた。次に雲が晴れた時には、もう完全に森の中だろう。

「きれいな時間は本当にあっという間だね」

 女性はぽつんと呟く。ハギはその通りだとおもいながら、カメラにカバーをつける女性を見守る。

「でも、ハギのおかげでいい写真が撮れたよ。息抜きのために申し込んだツアーだったけど、もしかしたらこの写真、投稿するかもな。ネットにあげていいか、住職さんに聞いてみよう」


                ・・・


 去っていく女性の背中を見送って、ハギは思いを巡らせる。

 ネットに投稿、という言葉は、ここの前を通る人間たちの口からよく聞く言葉だ。どうやら、ハギの姿を全世界に公開するものらしい。じぶんがまったく知らない場所、世界の人間たちにじぶんの姿が知られる。不思議なものだ。ハギは今いる場所でただ日々を過ごしているだけだ。そんなハギのことを見ようとする人間がいるというのが、よくわからなかった。

 ――毎日を過ごしているのは、人間も同じだと思っていた――

 確かに、ハギとは違いあちこち動き回る人間は、ハギの知らない世界のことも色々知っているのだろう。しかし、だからといって知らない世界に対して、じぶんの知っている世界を発信する感覚が、ハギには無い。

 ――そうやって、人間は世界を広げているのかな――

 そうかもしれない。人間は、じぶんの知らない場所に行きたがるらしい。「知らない」場所を「知る」ために、情報を集める。そうすることを知っているから、他の人間は自分が知っている場所を発信する。自分にとって知っている場所が、他の誰かにとっては知らない場所かもしれないから。


 先ほどの女性が撮った写真を見て、ここにやってくる人間もいるかもしれない。

 ――だとしても。じぶんはただここにいて、人間たちを眺めるだけだ――

 薄暗い世界を眺めながら、ハギはそうおもうのだった。

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