夏・すずしろ呼ぶ夏
▶︎登場人物
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―――
ガサ、ガサ、ガサ、ガサ。
巨大な袋を抱えた卯沢先生が、校庭を突っ切り歩いていく。緑色のものがちらちらのぞく袋は、卯沢先生が歩くたびにガサガサ大きな音を立てた。子どもたちが、彼を見つけて寄ってくる。
「卯沢せんせー、何してんの? サンタのマネ?」
「季節違うじゃん。でもなんかプレゼントくれるの? ヤッター!」
卯沢先生はにやりと笑い、背中に担いだ袋をおろす。
「お、じゃあ持ってってくれるか。校舎まわりの花壇のとこに生えてた雑草と、駐車場のとこの雑草。あと1~2時間待ってたら畑の雑草も追加されるぞ」
袋の中を覗き込んだ子どもたちは、次々に文句をつける。
「えー、全然プレゼントじゃないじゃん」
「それ、堆肥おきばに持ってくやつじゃん。土にあげたほうがいいよ」
「そうそう。土は喜ぶけど、僕たちはうれしくないもん」
卯沢先生はわざとらしくため息をついて、袋を担ぎ直した。
「なんだ。受け取ってくれるっていうなら、ついでに俺と一緒に畑耕すの手伝ってもらおうと思ったんだけどなー。楽しいぞ、畑いじり」
「やらないー。僕もう帰る」
「宿題やらなくちゃいけないし」
「遊びに行かなくちゃいけないし」
子どもたちはそういって、ダーッと駆け出した。あっという間に、校門の外へと吸い出されていく。
「まあ、そりゃそうだよな」
卯沢先生はそうひとりごちて、再びガサガサと歩みを進めた。
・・・
ひざ丈ほどに伸びている草原を眺めてから、袋を地面におろす。卯沢先生は小さく息をついた。
「ふー。一時間で終わるかね、これ」
「終わらせますよ」
「おっ」
卯沢先生が振り向くと、酉井先生が歩いてくるところだった。
「心強い助っ人が来ましたね。軍手にエプロンって、やる気満々じゃないですか」
「卯沢先生は、準備が足りなさすぎですよ。駐車場と花壇の雑草ならまだしも、ここの草取りに軍手を使わなかったら手を切ります。あと、ジャージだとしみがつきますよ。そのジャージ、作業用だと仰るのであればかまいませんが」
「あ、ジャージは大丈夫です。畑の作業のときはこれにしてるので。でも軍手は無いですね」
「そういうと思ったので、職員室から持ってきました」
「さすがです! ありがとうございます」
卯沢先生は両手を合せてから、酉井先生から軍手を受け取る。
「この気温でずっと軍手はめてたら、あっという間に蒸れそうですね」
「ええ。ですが、怪我しないことが第一です」
「ですよね」
軍手をはめた卯沢先生は、畑の脇にあらかじめ置かれていた
「えーっと、一回畑の区画を鍬で全部耕して、大きい草を拾ってゴミ袋に入れる、って流れで良かったですよね」
「ええ。右上の区画から順に耕して頂ければいいと思います。一列終わるごとに、私が草を集めていくので。根が張って鍬が入らないところは言っていただければ、私が耕します」
「力仕事ですし、俺がやりますよ。といいたいところですけど、お願いします。やっぱりベテランの方はさすがです」
「鍬はコツがいるので、慣れれば卯沢先生も簡単に扱えるようになると思いますよ」
「承知しました! ではまいります」
そういって、卯沢先生は右上の区画へと歩いていく。小さく振り上げて、斜め上から土に向かって振り下ろす。ザクッ、という草がちぎれる鈍い音が聞こえてくる。
「うわ、めちゃめちゃ草生えてますね、これ。一回鍬を当てたくらいじゃ、土の部分まで到達しないですよ」
「なかなかここの手入れをする時間が作れませんでしたからね。最初のひと掘りは粘りづよく、同じ場所に何回も刃を当てる必要があります。いちど土に刃が通れば、あとは一気に楽になります」
「思ったよりも大変だな。これ。よいしょっ」
卯沢先生は酉井先生に言われた通り数回、鍬を振りおろす。鍬は近くの雑草の茎を何度か傷つけ、何本かのラインができる。しかし少しずつ刃の場所は深くなる。ついに、サクッという柔らかい感触と共に鍬が深く刺さった。
「おっ、きました! 土ゾーンに到達しましたよ!」
「よかったですね。では、引き続きお願いします」
「ようし。お任せください」
・・・
「今年も植えるんですよね、ダイコン」
しばらく黙々と作業をしていた卯沢先生が口を開いたのは、畑の半分ほどを耕し終えた後だった。酉井先生も一瞬手を止めて、卯沢先生のほうを見る。
「ええ。昨日の教員会議で話にのぼってましたね。幸い調理実習でけが人も出ませんでしたし、年明けのおかずに困る時期に切り干し大根を持って帰ってくれて助かったという、保護者の方の声も多かったようですよ」
「やっぱりそうですか。僕もじぶんの分、持ちかえりましたけど重宝しました。保存ききますし、野菜足りないと思った時にすぐ食べられますし。やっぱり昔からある保存食って、いいですね。今回改めて思いました」
卯沢先生の感想に、酉井先生も首肯を返す。
「そうですね。保存がきいて、栄養がとれて、味もいい。料理のバリエーションも豊富にあるのが、伝統的な保存食のいいところですね。私もこの学校で切り干し大根を作るようになってから、意外と簡単に作れると知って家でも作るようになりました。ダイコンが安い日に何本か買ってきて、庭で干してます」
「いいですね、それ。でも学校でダイコン作ってる間は、変な意地が出てスーパーで買わないようになるんですよね」
「何でですか」
「いや、スーパーで買ったら、一瞬で買って食べて終わっちゃうじゃないですか。でも子どもたちが作っているダイコンは、二ヶ月くらいかけて育てて、自分たちでとって調理して、ようやく食べられる。あの体験が面白過ぎて、買って食べるのじゃ物足りないんですよね。子どもたちに聞いたら、逆にダイコン食べるようになったって人の方が多いですけど」
卯沢先生はそういって苦笑いをしてみせる。
「それは、そうでしょうね。自分が育てたものなら、ひとくちだけでも食べてみようとする子が多いですから。食べてみたら思いがけず美味しくて、家でも食べるようになった、という子がわたしのクラスにもいましたよ。その子は、自分が作ったダイコンの方が美味しかった、と言っていましたが」
「ははっ、その子にとってダイコンの味は、育てた苦労込みなんでしょうね。だったらダイコンを植える数ヶ月前から、汗だくで畑を耕している僕たちはもっと、おいしいダイコンを食べられますね」
「ダイコンのお世話をするのは子どもたちですから、それはどうでしょう」
酉井先生のつれない返答に、卯沢先生は口をとがらせる。
「えー、せっかくだから、僕も『苦労込みで美味しいダイコン』食べてみたいです。酉井先生、今年はダイコン畑の一画に、教職員用の区画をつくりませんか?僕たちと子どもたちで、どっちが大きいダイコンを作れるか勝負も兼ねて」
「……勝負するものではないと思いますが、私たちが一生懸命手入れをすれば、子どもたちも頑張ってくれるかもしれませんね。来週の教員会議で提案してみましょうか」
「いいですね! その提案乗ります! そう決まったら、がぜんこの作業もやる気出てきましたよ」
そういいながらも、休まず手を動かし続けていた卯沢先生の鍬は、最終列まで差し掛かっていた。
「うし。この列終わったら、僕も草拾いに参戦します。きれいにしますよー」
「ええ。……あ、細かい草までは拾わなくて大丈夫です。土に混ぜて肥料にしますから」
「雑草を肥料にして育てるって、自給自足な感じがしていいですね。了解です。それでは参ります」
・・・
サクッ、サクッ、サクッ、サクッ
小気味よい音を立てながら、卯沢先生はすっかり慣れた鍬をリズミカルに振るう。
まだ見ぬダイコンことスズシロの姿を思い浮かべながら、二人の先生は黙々と、楽しそうに作業を続けるのだった。
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