第18話 師妹、蜀にて休憩する

 北方で叛乱の知らせが相次いだ。

 遼東では、逃亡した袁尚と袁煕を斬った公孫康が兵を挙げ、涼州から起こった馬騰、馬超父子は韓遂らと共に長安を囲んだ。

 これはすべて孫策の送った檄文が惹き起こしたものだった。


 各地の豪族に送った檄文は、張昭の草稿に周瑜が手を加えている。

 この文書の最大の肝は『領地は各人の切り取り次第』と読めることだ。これには、張昭だけでなく荀彧も懸念を示したが、周瑜は押し切った。


「曹操の領土を他のものに支配させるだけです。何の問題もありません」

 周瑜は黒髪をさっとかき上げ、白皙に皮肉な笑みを浮かべた。

「曹操と、公孫康あるいは馬騰。相手にしたくないのはどちらです」


 小さく息をついた荀彧。

「周瑜どの、あなたと云う人は……」


 ☆


 善良とはこの男の事を言うのだろう。

 おれたちが見た蜀の主、劉璋りゅうしょうの第一印象だ。

「これは、よくおいで下さいました、華佗先生」

 満面の笑顔で座を勧めた。


 周囲を峩々たる山に囲まれた蜀は広大な盆地となっている。長江の源流域であり、その他にも様々な河川がその大地を流れている。

 まさに天然の要害であり、農産物に恵まれた天賦の地というのに相応しい。


 かつて劉璋の父、劉焉りゅうえんが自らこの地の太守となる事を望んだのは、『蜀に王気あり』という易の卦を見ての事と言われるが、当然この蜀の地勢についても熟知していたのだろう。

 益州の牧に任じられた劉焉は、硬軟織り交ぜた手腕によって、乱れていた蜀をひとつに纏めることに成功した。


 その劉焉が死んだあとを継いだのが劉璋である。

 温厚なだけの人柄で、蜀政権の有力者たちからは、操りやすいという理由だけで選ばれたのだと言ってもいい。


 ☆


「あんなボンクラなら、わしがこの蜀を乗っ取ってしまった方がよいな」

 また何の根拠もないことを、華佗が大声で言い始めた。

 おれたちは劉璋への謁見を終え、与えられた宿舎に入っていた。部屋の外で監視されているのではないかと気になる。


「あのね。あの方に取って代わったって、誰も付いてこないでしょ、師妹じゃ」

「ふふん。それはやってみなければ分からんぞ」

 華佗は風呂上りで裸のまま寝台にうつ伏せになっている。


「ほら、ちゃんと服を着て。髪くらい乾かしなさい」

 普通に幼児の世話をしているような気がしてきた。ぺし、と白いお尻を叩く。


「いやん」

 妙に色っぽい声を出す華佗。

 でも100歳越えて、いやん、じゃねえだろ。


「ところで師妹。蜀には何の用事だったんですか」

 華佗は寝台の上で身体をよじった。胸の先端とか下腹部がぎりぎり見えない、絶妙な姿勢をとる。

「なんじゃ廖化。お前の下半身はそれどころではないようだぞ」

 くくっ、と笑う師妹。

「誤解を招く言い方は止めてください。別におれは幼児体型の師妹に欲情している訳ではありません」


「別に成都には用事はないのじゃ。わしの目的地は漢中じゃからのう」

 漢中といえば五斗米道の教祖、張魯が支配を拡げている。

「なんですか、入信するつもりですか」

 だったら、おれは下りる。宗教なんかに興味はない。あんなもの、好きなやつらどうし教祖ごっこや信者ごっこをしていればいい。他人を巻き込まないで欲しい。


「ああ、いや。そうではない」

 華佗は少し遠い目をした。

「その張魯の母親というのが、わしの幼なじみでのう。ほとんど80年ぶりくらいに会うのじゃ」

 10歳くらいの幼女の口から出ると、おそろしく違和感のある言葉だ。

「という訳で、しばらくここで旅費を稼いでから出発しようと思ってのう」


 漢中か……、おれは考え込んだ。

 あの辺りへの道は蜀の桟道と呼ばれる。河岸の絶壁に杭を打ち込み、その上に細い板を敷き並べたものだ。突風に煽られでもしたら、そのまま川底に転落死をまぬがれない。

「師妹だけで行ってもらえませんか」

「無理じゃな」

 にゃうー、ネコの那由他が変な声を出した。


 ☆


 一方、逃亡を続ける劉備たちだったが、ついに長坂坡で曹操軍に追いつかれた。張遼率いる騎馬隊が、逃げ惑う民衆を蹴散らすように劉備の背後に迫る。

「なんという事。住民に罪はないというのに。ひどい、あまりにも可哀想な」

 劉備は顔に流れる涙を袖で拭っている。


「あいつらを盾にしようって言ったのは兄者にゃ。兄者こそ一番の外道なのにゃ」


 張飛に怒られた劉備はすかさず話題を変える。

「うむ。今はそんな些細な事で争っている場合ではないぞ。急げ。川岸に出れば関羽が水軍を率いて待っているはずだ」

 とにかく逃げる事しか頭にないようだ。


 劉備は後ろも見ずに、馬を走らせた。





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