第8話 孫策、江東の小覇王

 太史慈の活躍により劉繇の配下を収容したことで、孫策の軍団は江東において一頭地を抜いた存在となった。

 時を同じくして、揚州で皇帝を僭称し彼を圧迫していた袁術も滅ぶ。これは、袁術の目に余る傲慢と無能による自滅と言っていい。領地を失い、兄の袁紹の庇護を求め逃走している途上、血を吐き悶死したのだった。


 こうして、『江東の小覇王』と呼ばれる孫策の基盤は完成する。しかし彼はたゆむことなく、すでに新たな目標を定めていた。


「許都はあの方向かな、周瑜」

 孫策は隣に立つ盟友に問いかけた。茶色の前髪に隠れるように、碧い瞳が鋭い光を湛えている。

「その通りだ、伯符。共に一気呵成に駆け抜けようではないか」

 美女に見紛う顔に不敵な笑みを浮かべ、周瑜もまた長江の対岸へ目をやった。


 二人が立つ江東の地から許都へは、真っすぐ北を目指せばいい。


 この時曹操は、冀州から幽州にかけて勢力を張る袁紹と激戦を繰り返し、本拠の許都は空き家となっている。

 そこには漢の皇帝、後に献帝と呼ばれる若き皇帝が、幽閉同然に囚われている。

 江東の精鋭を選りすぐって侵攻すれば、必ず許都を陥落させ、皇帝を救出することが出来るだろう。

 漢王朝を全盛期に並ぶほどに復興したいというのは彼の父、孫堅の悲願だった。

 中央に於いてすでに摩滅した漢という国に対する忠誠心は、この江東という、いわば辺境の地に強く生き続けていた。


「江東に皇帝を迎え、簒奪者曹操を討つ」

 孫策は成功を疑っていなかった。

「俺とお前で、必ず漢王朝を復興するのだ、周瑜」

「ああ。必ず」

 若き二人の武将は互いの右の拳を合わせた。


 ☆


「のう、廖化。なにか身体に異変はないか」

 子供姿の華佗は目を細め、おれを見る。


「いや別になにも感じませんが。……はっ!」

 おい、それはまずいのではないか。

「まさか病気をっ?」

 世の中には、梅の毒とか、淋しい病気とかあるらしいではないか。それは性行為によって感染するとか聞くが。


「失礼な事を言うな。これでもわしは医者だぞ。だが、もしお前が望むのなら、そんな病原菌はあの箪笥にいくらでも入っておるがのう」

 そうか。抽斗の髑髏マークはそういう意味だったのか。危ない。下手に開けなくて良かった。


「まあ、変わりないならいいのだ……」

 華佗は少し安心したように微笑んだ。


 部屋から出て行くその後ろ姿を見ながら、おれはふと、唇を引き締めた。足元に目をやる。


「まさかな……」

 この前、おれはネコの那由他の頭を撫でようとした。すると、那由他は警戒心も顕わにおれに牙を剥いたのだ。すぐに気付いたように、おれの手に頭を擦り付けてきたのだが。

「おれは何か、別のものに変わろうとしているのか」

 なあ、那由他。


 ☆


「華佗どのに廖化どの。孫策さまを見なかったか」

 ある日の午後。孫策配下の謀将、張昭は俺たちに気付き駆け寄って来た。年齢以上に老成した雰囲気のこの男は苦り切った顔で、荒い息をついている。

 華佗は眉をひそめた。

「知らぬぞ。またいつもの狩りではないのか」

 孫策という男は、ひと時もじっとしていられない性質たちらしい。


 もちろん、ずっと華佗と一緒だったおれも見ていなかった。


「ああ。おそらくはそうなのだろうが、怪しい情報が入ってな」

「なんじゃ、それは」

 張昭は少し躊躇したが、すぐにその恐るべき事実を告げた。

「刺客が孫策さまを狙い、この辺りに潜伏しているのだ」


 かつて孫策が誅殺したこの地方の太守、許貢という男の家臣が、孫策を仇と付け狙っているのだという。

「すでに太史慈や蒋欽たちを捜索に出したのだが、何か他に手掛かりは無いかとおもってな」

 さすがの張昭にも焦りの色が濃い。




 その張昭の懸念は最悪の形で現実となった。

 血まみれの孫策が、家臣に抱えられるように城に戻ってきたのだ。身にいくつもの傷を負い、もはや生きているのかさえ覚束ない。

 悲痛な叫びが城内に満ちた。


 だが、それを鋭い声が切り裂いた。

「騒ぐな、男ども!」

 その声はひとりの少女から発せられたものだった。


「その男を寝台に運ぶのだ。これから手術を執り行う!」

 視線が声の主、華佗に集まった。


 華佗はくくっ、と笑う。

「ようやく、わしの出番じゃのう」


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る