第7話 廖化、房中術に出会う

 師妹の細い指がおれの裸の胸をくすぐるように動く。

「あうんっ……」

 思わずおれは声を漏らした。乳首そこは弱いから触らないでっ。


 その指はゆっくりと下腹部から膝まで移動し、次は内腿を這い上がって、おれのものに達した。師妹は立ち上がったそれを指先でつつく。

「ここもちゃんと反応しているではないか」

 どうやら、師妹はそう言って含み笑いをしている気配があった。


 と、云うのも。

「なぜ、おれは目隠しをされ、後ろ手に縛られているんでしょうか、師妹」

 全然、外の様子が分からないのだ。


「ほほう、これは異なことを。だから童貞小僧は困る」

 得意気に笑っているが。


「いや童貞かどうかは関係ないでしょ。どういう事です、これは」


「おや? わしは男女の交わりとはこういうものだと思っておったが。もしや、もう古いのか。これは百年前の常識なのか?」

 口調からすると、本気でそう思っているらしい。

 だがおそらく千年前まで遡っても、そんな時代はないと思うぞ、師妹。

「ともかく目隠しを外してくれっ」


「おかしいのう。では、今はこんな物も使わんのか」

 眉をひそめ、腕組みをしている。

 なぜか、やたらと露出部分が多く、ぴったりとした革製の衣装を着た華侘は、を指差した。

「だから、その火の点いた燭台とか鞭とかは片付けて下さいっ!」


 華佗はじっとおれの身体を見詰めている。なんだか顔が赤く、小さく身をよじっているようだが。


「はう。気のせいか、わしもムラムラしてきたぞ」

 華佗は熱い吐息をもらす。

 それは、健康な男子の裸体を目の前にしていれば当然かもしれない。こちらの方もこのままでは収まりがつかないので、何とかしてもらえると助かる。


「もう辛抱ならん。廖化、開腹手術を始めてもよいかのう」

 だから、そんな変な方向に欲情するのだけは止めてほしい。


 

「ちょっと待て。本当にするのか、廖化」

 おれの腕のなかで、師妹は慌てて言った。すでに妖しい衣装ははぎ取っている。意外と胸があるのに、ちょっと驚いた。


「わしは、外見は豊満な肉体を持つ10歳児じゃが、実は100歳を越えておるのだぞ」

「それがどうしたと云うんです」

 おれは鼻息荒く答える。

 だがまあ、豊満は言い過ぎだけど。


「それに言い出したのは師妹でしょ」

「いや、わしがしたかったのは……」

 だから、せっかくしまい込んだ道具を見るな。どんな性癖なんだ。


 ♡♡


 いつの間にか明け方になったようだ。


「廖化、お主。思ったよりケダモノじゃのう」

 すっかりかすれた声で、華佗はおれの頭を優しく撫でる。おれは師妹の乳房の間に顔を埋め、荒い息をついていた。もう何度果てたか憶えていないほどだ。


 ふと、違和感があった。

「ん……、谷間?」

 おれは慌てて身体を離す。圧倒的な膨らみがふたつ、目の前にあった。

 おそるおそる顔を上げていく。


 怜悧な印象を与える美女がおれを見返した。切れ長の双眸を、すっと細める。目の下が赤く染まっているのが艶っぽい。


「そんな、まじまじと見るな。恥ずかしいではないか」

 彼女は微笑み、右手で顔を隠した。


 やはり華佗に間違いなさそうだった。

 でも。

「―――師妹。なんで、大人になってるんですかっ?」


 ☆


「いわゆる房中術じゃの」

 いつの間にか、また子供の姿に戻った華佗は、裸のまま寝台を抜け出し箪笥の中を探っている。その小さな背中を見ていると、自分がなんだか犯罪的なことをしたような気がしてきた。


 華佗は一冊の本を取り出した。受け取ったおれはその本をぱらぱらとめくる。

「でもこれ『黄石公兵書』という題名ですけど。兵法書じゃないんですか」


「かの有名な漢建国の功臣、張良が残したものだぞ。下邳の古本屋で見つけて、半額だったので迷わず買ってしまったのだ」

 この術を極めれば、外見年齢を変えるなど造作もない事らしい。

 でも、その張良が何でこんな本を。


「知らんのか。張良という人は房中術を実践しておったのだぞ」

 張良とは漢の高祖 劉邦に仕え、その戦略でついに巨大帝国を築いた名臣だ。


 たしか、黄石公と名乗る怪しい老人に下邳の橋の上から突き落とされたかどうかして、そのあげく兵法書を授かったのだとか、何とかだったと思う。


「随分いい加減な知識じゃのう。下邳の橋から落ちたのはお主じゃろう」

 そういえばそうだった。

 でも知らなかった。『黄石公兵書』の中身が、房中術の指南書だったなんて。


「この詳細は、杉浦ヒナタ著『兵書に淫する姫~張良異伝』という雑文に……」

「露骨な宣伝はやめろ、師妹」


 ☆


「さて、今日が約束の日だ」

 朝食を終えたおれ達のところに孫策がやって来た。

「日没までに太史慈が帰って来なかったら、残念だが……分かっておるな」

 おれは首筋が寒くなった。


 孫策が部屋を出て行くと、おれは師妹を抱き寄せた。

「おいおい。さっき致したばかりであろう」


「何を言うんですか。生き物は命の危機を感じると、本能的に種を残そうとするものなんですよ」

「いや、わし100歳を越えているんだけれど。子供を産ませる気なのか、お主」


 そうか、忘れていた。……でも他に不安を紛らす方法もないし。



 太陽が中天を回った頃、邸内が騒がしくなった。

「敵襲だ!」

 という声も聞こえ、部屋の前を大勢の兵士が行きかっている。


「どうしたんだ」

 部屋から顔を出し、兵士を呼び止める。

「大軍が向かって来ているのだ。迎撃の準備をしなくてはならん。お前たちはそこから動くな」

 その兵士は慌ただしく走り去って行った。


「だそうです、師妹」

「そうか。では服を着て、様子を見に行くとするか」

 人のいう事を聞く気はないらしい。


 ☆


 おれと師妹が城壁に上がると、孫策以下の幕僚たちが揃って城外に目をこらしていた。遥か彼方に土煙があがり、大軍の襲来を告げていた。

 緊張感が漂うなかで孫策だけが愉し気な表情を見せている。 

「さあ。どっちだ。敵か、味方か」

 

 その大軍は城壁の手前で行軍を止めた。先頭に立つ男が、ゆっくりと手を振る。

 孫策もそれに応え、手をあげた。

 城壁に並んだ孫策の部下たちの間からどよめきが起こった。


 太史慈が戻って来たのだ。

 引き連れた兵士の数は約一万。


 孫策と太史慈は城壁の上下から黙って見つめ合った。

 

「やれやれ。どうやら命拾いしたようじゃの、廖化よ」

 華佗は大きなあくびをした。


「この半月、ろくに寝かせて貰えず少々疲れたわ。わしはしばらく寝る。よいか、絶対に起こすでないぞ」

 そう言うと華佗師妹は城壁の階段を下りて行った。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る