第23話 孫策、弑逆を決意する
「泣いてばかりでは分からん。何があったのだ!」
孫策の足元で泣き伏す大喬をかばうように、妹の小喬が身を寄せている。
「姉上は悪くありません。きっと陛下が無理やりに迫られたのです」
美しい切れ長の目に涙を浮かべ、小喬は訴えた。
「それを、か弱い女の身でどうやって拒むことが出来ましょうか」
ぐぐっ、と孫策は呻いた。
「これは曹操がうまく厄介払いをしたのではないのか、伯符」
周瑜は苦い表情で、いかにも好色そうな献帝劉協の顔を思い浮かべた。
「かつて曹操が言っていたな。献帝には高祖の風ありと」
漢の高祖劉邦は人徳によって天下を手中にしたと云われるが、そこは遊侠あがりである。残忍な一面も持ち合わせ、世の常の倫理観を持っていたとは言い難い。
「こういう事だったか。……曹操め」
この劉邦の裔、献帝劉協はその血を特に色濃く受け継いでいるかのようだった。
「噂では豪商の娘などを次々に寝所へ引き入れているとか。このわたしも、いつそうなるか」
小喬は、ぶるっと身体を震わせた。
こうなると、孫策がいかに父孫堅から続く勤皇家とはいえ、到底許し置けるものではない。
「陛下を……」
「待て、伯符。……そこにいるのは誰だ」
周瑜は部屋の外に向け、呼び掛けた。一人の女官が頭を下げている。
「陛下の命で、大喬さまをお呼びに参りました」
それは
「大喬は病だ。当分、陛下にお目にかかる訳にはいかぬ」
孫策は吐き捨てるように言った。
「ならば、小喬さまをお連れせよと申し付かっております」
恐縮しきった様子で華歆は少しだけ顔をあげた。
「よかろう。ならばおれが行く」
その孫策の袖を、そっと周瑜が引いた。
「いいか。決して早まるな。今もし事を起こせば、曹操の思うつぼだぞ」
孫策はギリッと奥歯を鳴らす。
「分かっているとも。すべては曹操を滅ぼしてからだ」
☆
劉備とその一行は、孫策から貸与された軍勢二千を率い、荊州南部へ向かっていた。目的はそこで兵をあげた劉表の家臣、魏延たちとの合流である。
使者となった
荊州南部を手中にした魏延らは長沙を拠点とし、曹操軍に対峙している。
その居城へ入った劉備は、出迎えた魏延に手をひかれ、広間の奥の椅子に座らされた。
「魏延どの、これは一体」
「これは、荊州の旧臣の総意にござる。劉備どのに我らが盟主となって頂きたい」
魏延がそう宣言すると、伊籍らも揃って膝をついた。
「だが魏延どのがここまで反曹操軍を大きくされたのではないか。そこにわたしが盟主など。そんな事は受けられない」
両手を振って、劉備は席から立ち上がる。
「ああ、やはり噂に違わぬ仁者であられる。いいでしょう、拙者に気兼ねをされるのであれば、この場で自ら首を刎ね、盟主就任をお願いするまで」
そう言って魏延は剣を抜き、自分の首に当てた。
「わーっ、待たれよ魏延どの。分かった、盟主の件、お受けしますっ!」
大きなため息をついて劉備は椅子に戻った。その左右に関羽と張飛が並ぶ。
「……では、よろしく頼むぞ」
劉備は広間に集う将士に声をかけた。
「早速ですが、これが荊州北部の絵図面です。かねてより反攻作戦の案を考えておりますのでご覧ください」
魏延は地図上で作戦案を披露する。進路にあたる地形や、各地の兵力の状況が詳細に調べ上げられている。
「これはすごい」
一見ただの武辺に見える魏延だが、意外なことに、緻密な頭脳を持った戦略家でもあるようだった。
「お待ちください、劉備さま」
劉備が引き連れて来た軍団の中から声があがった。変な形の冠に仙人のような白衣、手にはふわふわの白羽扇。
諸葛孔明だった。
「なんだ。軍師どのは、この作戦が気に入らぬのか」
孔明は最近やっと参謀に格上げされていた。事あるごとに軍師を自称するため、いまでは誰もが仕方なく軍師と呼ぶようになった。
「まさか。一応断っておきますが、嫉妬などではありませんぞ」
孔明は片膝をついた魏延を憎々し気に見下ろしている。
「いや誰もそんな事は思っていなかったが……では何故かな、軍師どの」
えへん、と孔明はひとつ咳払いした。
「よいですか。この男は信用なりません。なぜなら、この男には叛骨がありますからな。いまこの場で斬るべきです」
骨相学によると、叛骨とは後頭部が張り出している頭骨の形をいうらしい。この叛骨を持つものは将来必ず謀反を起こすのだという。
「だが、わしにはそんなものは見えないが」
劉備は魏延の後ろに回り、後頭部をしげしげと眺めている。
「でしょうね。これはわたしにしか見えませんから」
怪訝そうな劉備に、孔明は得意げにふんぞり返った。
「さすが軍師、恐るべき才能なのにゃ」
「うむ。いかなる修行をすればこの境地に至るのであろう」
張飛と関羽は感銘を受けた様子で頷きあっている。
「それは確かに、いま自刎しかけましたけれど、でもそんな理由で斬られるのは腑に落ちません」
ただひとり不満げな魏延。
「あー、ほら。もう反抗してますよ劉備さま。さあ斬るのだ、張飛」
「そうか。では失礼して、なのにゃ」
「それ位にしておくがいいぞ、軍師どの」
劉備はかがみ込むと、長い両手で魏延の肩を叩いた。必殺技の、人を蕩かすような笑みを浮かべている。
「お気になさるな。わしの部下は冗談が好きな連中ばかりなのだ。ともに戦おうぞ、魏延どの」
「ははーっ。劉備さまの一部将として命をかけて尽くします!」
魏延は涙を浮かべ、劉備の膝にすがる。
劉備は孔明と顔を見合わせ、悪い笑顔をみせた。
☆
曹操包囲網の一角、遼東の公孫康が敗死したという情報が、襄陽に駐屯する曹操の許に届いた。ほう、と曹操は顔をあげた。
「当面、持ち堪えてくれればよいと思っていたが。そうか、打ち破ったか」
これは曹操にとっても予想外の戦果だった。
「守将は誰であったか」
曹操の問いに、荀攸は届けられた報告書を繰り、その名前を見つけた。
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