第9話 曹操、南北に敵をうける
圧倒的な軍事力で冀州、幽州という中原の東北部を支配する袁紹に対し、漢の皇帝を擁しているとはいえ曹操の劣勢は免れ得ない。
新たに支配圏に組み入れた徐州だが、呂布を討ち、劉備を追い払ったばかりで、逆に抑えのための兵数を割かなくてはならない。
これは元々、兵の不足に悩む曹操にとって頭の痛い問題だった。
「ああ、本当に頭が痛い」
机に突っ伏して呻く。
一気に決着をつけたい曹操だったが、兵力差は如何ともできず戦況は膠着状態になっていた。
そのせいだろう、このところ曹操は原因不明の頭痛に襲われることが多かった。
「お呼びですか、丞相」
脇腹のあたりをぼりぼりと掻きながら、無精ひげの男が部屋に入って来た。
「おお、
ふむ、と頷くこの男。郭嘉 字を奉孝という。この戦が始まる少し前に、強大な袁紹の陣営から、わざわざ曹操の側へ鞍替えしてきた変わり者だ。
彼は早くから、江東で勢力を拡大しつつある孫策について、軽率な性格で安易に人を殺し過ぎるため、必ず復仇されるだろうと予測していた。
「それにしては、顔色が冴えませんな」
郭嘉は眠そうな声を出した。実際にさっきまで寝ていたのかもしれない。曹操の前でなければ大あくびをしかねない様子だ。
「そなたの意見を訊きたい。荊州の劉表はどう動く。袁紹と頻繁に連絡を取り合っているという情報があるのだ」
劉表に後方を襲われ、挟み撃ちにされるのだけは絶対に避けなければならない。
「やつらは文通が趣味なだけです。気にすることはありません」
こきこき、と首を鳴らす。
「袁紹も劉表も、同じともがらです。機を見るに鈍、みずからが無能なくせに部下を生かして使うこともできない。まあ、放っておけばよろしいでしょう」
郭嘉が曹操の陣営に加わったのもそういう理由からだった。
「そうか、お前がそう言うなら」
やっと曹操は安堵の表情をみせた。
「ところで丞相。そろそろ、あの男を前線に投入しては如何です」
この状況を打破するきっかけになるかもしれない、あの究極の人型兵器を。
「関羽か……だが、うむぅ」
煮え切らない態度で曹操は腕組みをする。
劉備麾下の猛将、関羽は徐州攻略の際に劉備の夫人らと共に曹操の捕虜になっていた。もちろん関羽ひとりだったら、降伏など絶対にあり得なかっただろう。
「知っているだろう、関羽が降伏するときの条件を」
「武功をあげ、それを身代金がわりとする、のでしたか」
つまり、下手に戦って功績をあげられてしまえば、劉備の夫人たちと一緒に関羽を解放しなくてはいけなくなる。
「せっかく手に入れた関羽を、劉備の所に帰してしまうのはもったいない」
「丞相、あの男は武人です。飾り物として扱われては、かえって侮辱と思うでしょう」
それに、と言いかけて郭嘉はやめた。
(使えるだけ使えばよい。なにも約束通り解放しなくても)
こんな事を言えるものではない。
有能な人材に対する曹操はまるで恋する乙女のようなものだ。一切の駆け引きといったものが頭から消えてしまうらしい。
まぁ、これがこの人の良い所なのだが。郭嘉は苦笑した。
「それより丞相。頭痛がお酷いようですが」
「うむ。
「……この前のは手紙というより、丞相を糾弾した檄文だったのでは」
相当ひどい事が書いてあったと聞くが、そういうのを喜ぶ趣味があるのだろうか。
「そんな事で文章の価値は変わらんよ。だが、本当にこれは困っているのだ。良い医者を知らんか」
「わたしは生まれてこの方、医者にかかった事がありませんので」
郭嘉は肩をすくめた。
「徐州の陳登を治療した華佗というものが名医として有名ですな。ただ、これも孫策のもとに滞在しているとの事。すぐには応じられますまい」
「華佗か。わしも名は聞いたことがある。一段落したら呼び寄せて侍医にしよう」
☆
「よし、手術は完璧じゃ」
華佗は血濡れた両手を満足そうに見て言った。どうせまた変な妄想に浸っているに違いない。名残惜しそうにその手を洗う。
「あとは、これを」
そう言って箪笥の抽斗を開ける。だが、いいのだろうか。髑髏マークの抽斗だが。
そこから摘み出したのは、細長く干からびた、虫かキノコのようなものだ。いかにも怪しい雰囲気しか感じないが、煎じて服用させるのだろうか。
「冬虫夏草の一種じゃ。これを頭蓋に植え付ければ、この男はわしの命令通りに動く
「やめなさい!!」
せっかく、読んだ文献を試す好機だったのに、と華佗は不満たらたらだ。おれは慌てて、周りで見守る孫策の部下たちに断りをいれる。
「こ、これは
でも彼らの冷たい視線が痛い。もし孫策が助かっても、おれたちは追い出されそうなのだが。
それより、はたして報酬は貰えるのだろうか。
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