第2話 廖化、関羽と出会う

 立派な屋敷の門前でおれたちは足止めされていた。

「だから、わしはここの陶謙どのに呼ばれたのだと言っておろう」

 華佗が精一杯、平らな胸を張って門番に怒鳴っている。


「うるさい、とっとと去らんと力ずくで追い払うぞ、この小娘!」

 どうやら華佗 師妹せんせい、自分で言うほど有名な医者ではないのかもしれない。

 華佗と門番のやり取りに恐れたのか、ネコの那由他はおれの背中の荷物の上に駆け上がって身を縮めている。


「何をしている。門を開けよ」

 後ろからシブい声がした。振り返ると、真っ赤な顔で、恐ろしく長いひげの巨漢が立っている。男は大きな目をこちらに向けた。


「なんだ、この小僧は」

 こ、怖い。一瞬であの世に送られそうな殺気を放っている。しかもその背後には怪しい男どもが続いているのだ。これは逃げた方がよさそうな雰囲気だ。


「なんだ、関羽どのではないか」

 すると、師妹せんせいがのんびりとした声で前に出た。

「おお。これは華佗先生。大変、ご無礼を」

 関羽は一歩下がって会釈をした。どうやらおれが邪魔で見えていなかったらしい。


「なんと、華佗先生だと!」

 後ろから駆け寄ってきた男がいる。この一団で最もあやしい男だ。


 耳たぶは肩まで垂れ、立ったままで手は膝に届く。まさに異形という言葉が相応しい。だがその態度は飼い主を前にした忠実な犬のようだ。

「劉備どの、久しぶりだのう」

 片膝をついたその男の頭を、華佗は撫でてやっている。


「誰なんです、この方は」

 おれが言うと、男は柔和な笑顔をこちらに向けた。


「これは申し遅れました。私は劉備、あざなは玄徳と申す者でございます。ほんのいささか、漢の皇室に所縁ゆかりがあり、皇帝陛下からは皇叔こうしゅくとか左将軍などと呼ばれております。いやまあ、ですが、ただの親父でございますよ、はい」

 丁寧な物腰だが、自己顕示欲だけは旺盛なようだ。現在はこの屋敷の主、陶謙の客になっているらしい。


「この劉備どのは、わしの患者だったのだ」

 師妹が意外な関係を教えてくれた。

「病気だったのですか、劉備さんは」

 どう見ても絶対に病気なんてしそうにない男だが。

「いや、そうではない」

 なぜか華佗は肩をすくめた。


「この男。群雄割拠するこの中原で、誰よりも、誰よりもなどと青臭い事を抜かすのでな」

 どこか蔑むような目で、華佗はひざまずく劉備を見ている。


「いやー、お恥ずかしい」

 劉備は頭を掻いて照れている。だが、為政者としては真っ当な望みに違いない。この劉備という男、結構いい人のような気がしてきた。


「で、わしがこのように外科手術を施してやったのだ」

 ……。おれは劉備を改めて凝視した。

 極端に大きな耳。そして不自然に長い両腕。なるほど、そういう事だったか。

 でも。

「いや、それ……人体改造でしょ」


 ☆


「なるほど。先生が呼ばれたとなると、これは陳登ちんとうどのの事であろう」

 劉備がうなづいた。

 この陳登という人は字を元龍という。徐州の牧、陶謙の側近で信頼も篤いのだが、最近は病に臥せっているのだという。

「拙者が陶謙どのの所に案内しましょう」

 そう言うと先に立って屋敷の中へ入っていった。


 陶謙という男はひどく憔悴した表情でおれたちを迎えた。

 その理由は明らかだ。原因は漢の朝廷で勢力を伸ばす曹操である。

 先年のことだ。曹操の父親が領内を通過した際、護衛にあたった陶謙の部下が、財宝目当てに曹操の父親を襲撃して殺害するという暴挙を行ったのだ。


 これは当然、曹操の激しい怒りを買う。復仇に燃え侵攻する曹操軍の前に、陶謙の徐州軍は壊滅的な打撃を蒙っていた。


「部下の行いを見れば、その上司の能力の程が知れるというもの。自業自得の見本じゃのう」

 華佗は冷たく言い放った。

「陳登が居れば、このような愚挙は無かった筈なのだ。このような……」

 華佗の言葉が耳に入っているのか、どうなのか。陶謙は虚ろな声で同じことを繰り返していた。


「分かりました。ではその陳登どのを診察させていただきましょう」

 どこか棘のある声で華佗は広間を退出した。


 華佗は一度広間を振り返った。

「あの男、長くはないだろう。臓腑に大きな病巣が出来ておるようじゃからの」

 心労だけではない、という事だ。


「教えてやらないんですか、師妹せんせい

「ふん。もう手の施しようがない」

 そこで華佗はにやりと笑った。


「そうだ、方法は無いこともないな。内臓を全て他人のものと入れ替えるのじゃ。お前、提供するか?」

 おれは慌てて首を横に振った。この師妹、本当にやりそうで怖い。


 ☆


「陳登どのの屋敷へは私が案内致します」

 慇懃に一礼するのは関羽だ。手には巨大な青龍偃月刀を提げている。やはり怖い。背を向けたとき、懐から一冊の書物が床に落ちた。


 おれはそれを拾い上げる。相当に読み込んだらしい跡が見えた。おれはふと表題に目がいった。

「左伝、ですか?」


 『左伝』、正式には『春秋左氏伝』という。儒学の始祖、孔子が編纂した歴史書『春秋』に弟子の左丘明さきゅうめいが注釈をつけたものだ。


 関羽は目を瞠った。

「小僧、これを知っているのか」

 知っている、という程ではない。たまたま、いつも野宿していたのが私塾の裏だったので、講義の内容を聞くともなく覚えていただけだ。


「華佗先生、この小僧を私に下さらんか。武人としても見どころがありそうだ」

 なんと。これは出世する、またとない好機ではないだろうか。

 ふむ、と華佗は困ったように首を捻った。


「どうする、廖化。わしと関羽のどちらを選ぶのじゃ?」

 そう言って口をとがらせ、上目遣いでおれを見る。


「師妹の幼稚な色仕掛けなど、おれにはまったく通じませんからね。それはもちろん関……いててて!」

 突然の頭痛に、おれは頭を押さえうずくまった。


「ふふん。わしに逆らうと頭痛がおきるように特殊なはりを仕込んでおいたのじゃ。もう一度訊くぞ、どっちを選ぶ」


 いったい、いつの間に?

「分かりましたよ。一生、師妹について行きますっ!」

 華佗は腰に両手をあて、満足げにうなづいた。頭痛は嘘のように治まった。


「という事で、残念だが廖化はやれぬのう。まあ、わしの仕事が無い時くらいは有料で貸し出してやってもよいかの。一日30銭くらいから相談に乗るぞ」

「は、はあ」

 関羽は、憐みの目でおれを見た。


 ☆


 病床の陳登は顔色も青黒く、げっそりとやつれていた。入って来たおれたちにも気づかず、弱々しいうめき声をあげるばかりだった。

 異様なのはその腹部だった。大きく膨満しているのが夜着越しにさえはっきりと分かる。思わず関羽ですら目を背けた。


「これは、おめでたであろう。臨月じゃのう」

 師妹、それは違うと思います。陳登さん、男ですし。

 


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