第25話 廖化、竜宮城から帰還する

「華佗が弟子をとるなんて、どういう心境の変化なのかな」

 五斗米道の教祖、張魯の母親、沙蓉さようはくすくすと笑った。皺ひとつない若々しい美貌だが、その実年齢は華佗と大差ないらしい。


「ふん。やつはただの荷物持ちだ。だがあやつ、どうやら仙人になれる要素を持っているようだ。だからしばらく身近で使っている訳なのだが」

「へえ。それは面白い」

 そこで沙蓉の笑みが意地悪いものに変わった。


「そうだね。以前もそんな事を言って、秦の始皇帝に怪しげな不老長寿の術を吹き込んだんだっけ、華侘は?」

「うむ。あの頃はわしもまだ若かったからのう……って、わしを何歳だと思っておる。あれはわしではないぞ」

 ほほほ、と笑う沙蓉。華佗も苦笑いを浮かべる。


「そいつには先日、襄陽でばったりと会ったぞ。やつめ、わしを年寄りだと抜かしおった」

「まさか。まだ生きてたの、徐福?」

 華佗は頷いた。


「わしも最初は疑っておったが、間違いない。襄陽では徐庶と名乗っていたが、他のものに訊いたら、以前は単福と言っておったらしいからのう」

 あー、と沙蓉も納得した。


「徐福から単福。そして徐庶か。あの人らしい、わりと安直な改名だわ」

「あれくらい長く生きておると、名前など、どうでもいいのだろう」

 華佗は沙蓉が勧める薬草茶をすすって、これは苦いな、と呟く。


「で。華佗はいつまで生きるつもりなの。この世界で」

 沙蓉の問いに、華佗は考え込んだ。

「それは、分からんのう。……まあ、廖化が生きている間くらいは付き合ってやろうかと思うておるが」


「珍しい。華佗が人に惚れるなんて」

「そんな意味ではないわ。からかうな沙蓉」


 ☆


 数日間にわたって歓迎を受けたおれたちは、最後に手土産まで貰って沙蓉さんの館を後にした。

「何でしょうね、この箱」

 絶対に開けてはいけないと言われ、翡翠の箱を手渡されたのだ。


「なに。あの女が開けるなというのは、ぜひ開けてくれという事だぞ」

「そんな、ダメですよ。止めなさい」


 師妹はおれの持つ箱の蓋に手をかけ無理やりに開けた。

「うわっ」

 箱の中から真っ白い煙が立ち昇った。それを吸い込んで、おれは激しくむせる。


「ふふっ、おぬし。髪が真っ白になったぞ」

 華佗はおれの顔を見て、けらけらと笑う。

「え、ええっ。何なんですかこれ」


 華佗はおれの髪についた白い粉を手に取り、ぺろりと舐める。

「ふむ。これは小麦粉じゃ。非常時にはこれを捏ねて、ゆでて食えという事だったらしいのう」

 非常食だった。驚いた。館に滞在している間に数十年も経ったのかと思った。



 だが、館外の様相は一変していた。

 完全武装の軍団が街道を埋め、他に出歩く者はいない。


「いつの間にやら、漢中が占拠されたようじゃのう」

 さすがの師妹も口が開いたままだった。


 やがて、『曹』の旗を掲げた本軍が進行してきた。

「魏軍じゃないですか、これ」

 馬上、豪華な鎧を着用した小柄な男が辺りを睥睨している。この男が魏軍総帥、曹操だった。

 その一団はおれたちの前で停止した。


「な、なんだ」

 おれは左右を見回す。まさか、おれに用事なのだろうか。

 そんなはずは無かった。


「おう、華佗。こんな場所で会うとは奇遇だな」

 曹操はやや甲高い声で言うと、渋い笑顔をみせた。

「ご無沙汰をしております」

 華佗は頭をさげた。珍しく殊勝な態度だ。


「知り合いだったんですか、師妹」

「うむ。かつてこの男に仕えておった事があってのう」

「この男、とか言うな。漢の丞相だぞ、わしは」

 曹操が口をとがらせた。


「まったく。すぐに行方を晦ましおるからな、この先生は」

 華佗の手をとり、曹操は首を振った。


「わしは一つ所に長くおられぬ性分でのう。だが丞相とわしの仲だ。いよいよ危うくなった時には駆け付けてやるから安心するがいいぞ」

「それは心強い……といっても良いのかな」

 曹操は軽く一礼して、沙蓉の館に入って行った。



 沙蓉は、漢中へ侵攻を目論む曹操に対し、降伏を申し入れたのだった。

 ただし無条件ではない。

 ・漢中での略奪を行わないこと。

 ・五斗米道の存続を認めること。

 曹操はそれを認め、漢中を無傷で手に入れた。


「どうやら曹操もあの女に気があったらしいからのう。手紙一本で、話は簡単についたようだぞ」

 概要は沙蓉さんに聞いていたらしい。師妹が教えてくれた。


「なるほど。ところで張魯という人はどうなったんです」

 華佗は腕組みして薄く笑った。

「さて。将軍に任じられて、どこかの最前線へ単身赴任かのう」

「うわ」


 ☆


 長江を挟んで呉漢と対峙するのは、方面軍司令官に返り咲いた満寵まんちょうだった。

 その彼のもとに急報がもたらされた。

「うむ。これは……」

 報告を受けた満寵は言葉を呑み込んだ。

 情報収集を重視する彼にとっても、急転直下、想定外の事態だった。


「間違いないのだな。……献帝が、孫策を暗殺したというのは」


 満寵の瞳に鋭い光が宿った。

 想定外だが、これは僥倖というべきではないか。

 

「将軍たちを招集しろ。軍議をひらく」

 満寵は立ち上がり、副官に命じた。



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