第31話 簡雍、蜀と魏をむすびつける
前漢の時代には国都であった長安だが、後漢末に至り、打ち続く戦乱によって、もはやかつての繁栄はない。
先頃までは韓遂と馬騰、馬超親子によって支配されていたが、曹操の離間策によって内部分裂し、彼らは再び西涼に逃走していた。
いまは駐屯している曹操によって、徐々に復興が進められている状態だった。
☆
「さて。面倒くせえが、行って来るか」
馬車を降りた簡雍はどこか足取り重く、のろのろと城内へ向かう。
「おう、そうだ。華佗先生よぉ。ちょっといいか」
足を止め簡雍は振り向いた。何かをこらえるように表情が硬い。
「なんじゃ、怖気づいたのか。意外と小心者よのう」
華佗は、仕方ない奴じゃという様に首を振って簡雍の後ろに歩み寄る。こんな風に弱みを見せた相手には、とことん強く出るのが師妹なのだ。
「うん。実はな……。ちょっとここを押してくれないか、先生」
簡雍はそう言って腰のあたりを指差す。
「腰痛か。はて、そのあたりに秘孔でもあったかのう?」
怪訝そうに華佗は顔を近づけ、簡雍が差したあたりを指で押す。
「ちょっと弱いな」
「では、こうか」
言われるままに、華佗は指をぐい、と押し込む。
その途端、ぼふっ、という盛大な音と風圧とともに、強烈な匂いが華佗を襲った。
「ぐははは。では本当に行って来るぞ」
鼻を押え悶絶している華佗を横目に、すっきりとした表情で簡雍は会見の場に向かっていった。
「決裂して斬られてしまえ!」
「さすが華佗先生。うまいことを言う」
ケツだけになぁっ、簡雍は尻のあたりを手であおぎながら爆笑している。
実際のところ魏蜀同盟の話は、もうすでについていると言っていい。今日は調印だけすれば終わりなのだ。終始、胡散臭そうな顔で簡雍を見ていた曹操だったが、さすがに調印後は顔をほころばせた。
「ところで使者どの。呉を滅ぼしたあと、我が魏国と蜀国はどうあるべきかな」
雑談めかして曹操は語りかけた。
「ともに共存の道を探るべきだろうか」
簡雍は無遠慮にせせら笑った。
「何をおっしゃる。もちろん中華統一を目指し、双方ともに総力をあげ戦うことになると決まっておるでしょう」
平然と答えた簡雍に、広間に集まった文官武官たちが殺気立ち、ざわめいた。
曹操はそれを制し、簡雍に先を促した。
「これは世の
簡雍は遠くを見る目になった。ほうっ、とため息をつく。急に哀愁を湛えたその姿に曹操は思わず身を乗り出していた。
「だれでも隣の家の女房は綺麗に見えるもの。ましてや、あそこの具合も最高と聞けば、何としても手に入れたくなるのは男として当然じゃ。ぐふふふ」
やはり聞くのではなかった、曹操は額を押さえた。
☆
「それは災難じゃったのう」
話をきいた華佗は心から言った。肌脱ぎになった曹操の肩から首にかけ、鍼を打っていく。
「まったく。劉備も、ろくでもない奴を使者にしてくれたものだ。しかしまあ、
「やはり最後は劉備と戦うという事か」
曹操はふふっ、と笑う。
「天に太陽は二つもいらぬ。ひとつが射落とされる運命となるは必定」
「ところで華佗よ。お主、以前言っていたではないか」
うん? と華佗は首をかしげた。すぐに手をうつ。
「おお、そうじゃったのう。やっとわしの手術を受ける気になったか」
「うむ。劉備の義弟、張飛を治療したという噂を聞いてな」
なんだか大手術をしたらしいことは、曹操のもとにも伝わっている。
「ああ、張飛なぁ。やつめ、以前、部下に寝首をかかれたことがあってのう。わしが繋げてやったのじゃ」
こうなると、もはや治療といっていいのかさえ分からないのだが。
なんでもネコ好きが高じたあげく、全軍の兵士に猫耳をつけさせようとして、副将の
「奴の場合、ちょっと間違えて本当にネコみたいになってしまったがな」
「ま、間違えて?」
曹操に突っ込まれ、華佗は目に見えてうろたえはじめた。
「はあ? 何をいう。わしはそんな事など一言もいっておらんぞ。のう廖化」
「いや確かに、さっき。なあ廖化」
師妹と曹操が同時におれを見る。おれは曖昧にうなづいた。
「あのな曹操。ひとの脳には前世の記憶が残っておるのだ。それが張飛の場合はネコだったのだな。うむ。これぞまさに人体の神秘じゃのう」
「いや、そんな事こそ言っていなかったが」
では手術の手順を説明するぞ、と華佗は絵図面を取り出した。師妹も、最近はこうやって事前の説明を詳しくするようになった。これも世の風潮だろう。
「まず頭の皮膚を切開し、そこに樹脂を埋め込むのじゃ」
「ほう。いや、それだけで効果があるのか?」
曹操は眉をよせた。
「もちろんじゃとも。これで一寸は背が高くなるぞ」
「おお、それは嬉しいのう……って、違うぞ華佗。わしは背を高くして欲しいのではない。頭痛を何とかしてくれと言っておる」
曹操はずっとひどい頭痛に悩まされていたのだ。それはまあ、背が高くなるにこした事はないのだが。
「なんじゃ、そっちだったのか。ならば」
師妹は別の図面を取り出す。
「まず、頭蓋骨にノコギリで穴をあけ、脳髄の病を持った部分を切除するのだ」
ぐっ、と曹操が呻いた。そこまでとは想像していなかったのだ。
「ですが師妹、それでは脳が減ってしまいますが」
「なに。少々削り取っても支障はないのじゃ。だがどうしても、というなら」
そういうと華佗は、ちらりと那由他の方を見た。
「どこか、他から持ってくるしかあるまいな」
師妹の目つきに那由他の毛が逆立った。
「絶対、ダメですからねっ!」
☆
曹操の前で煙がたゆたっている。例の麻沸散だ。
「そろそろ効いてきたようじゃのう」
曹操の目がとろん、と半眼になっている。
「よいか廖化。この煙はけっして吸ってはならんぞ……ぐぅ」
「またですか。起きろ、師妹!」
ぺん、と華佗の頭をはたく。
「寝てはおらぬわ、ほんの冗談じゃ。……では始めるぞ」
華佗は、剃り上げた曹操の頭に剪刀をあてた。
こうして神医華佗、最後の手術が始まる。
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