第13話 劉備、荊州に入る

『劉』の旗を掲げ襄陽に入城したのは、袁紹の敗北によって行き場を失った劉備たちだった。

 荊州へ向かう途中、劉備の夫人とともに曹操陣営を離脱した関羽、そして徐州陥落後に行方不明となっていた張飛も山賊をしているところを発見され、一行に加わっている。


 武装もバラバラで身なりはみすぼらしいが、関羽、張飛、趙雲といった将軍級の男たちの威風は辺りを払い、ただの落武者集団ではない所を見せていた。


「中山靖王の末にして皇帝陛下から皇叔と呼ばれた、漢の宜城亭候、左将軍でもと徐州の牧、劉玄徳が、劉表どののお見舞いに参りましたぞ。門をお開け下さい」

 やたらと長い名乗りをあげた劉備は馬上で温和な笑顔をつくった。


 ☆


「これは華佗先生。このような場所でお会いできるとは」

 城内に華佗を見つけた劉備は駆け寄って片膝をついた。


「劉備どの、ご苦労をなされたようじゃの」

「ええ。何度も死を覚悟いたしましたが、天の計らいでしょう。このように、どうにか生き永らえております」

「それは何よりじゃ」


 関羽は、がしっとおれの手をとった。

「廖化、立派になって……といいたいが」

 そこで関羽は眉をひそめ、首をかしげた。しげしげとおれの顔を見詰める。


「そなた何だか、一別以来全く変わっておらぬような……いや、これは決して悪口ではないのだが。んー、気のせいかな」

 関羽は困った顔になっている。


 でもそれについて、おれ自身、心当たりがないでもない。

(師妹の房中術のせいだろう)

「おう、よしよし」

 その華佗は、仰向けに転がった張飛のお腹やあごの下を撫でてやっていた。



 劉表に面会した劉備は、そのまま襄陽の北にある新野しんやへ駐屯する事を命じられ、またすぐに城を離れて行った。



「あの噂について関羽さまに訊いたら、怪訝な顔をされました」

 おれは師妹の肩をもみながら報告する。官渡の戦いで見せたという、関羽の人間離れした活躍のことだ。


「それはそうであろう。本当に体内に槍や弓矢を仕込むとして、使った分をどう補充するのじゃ。火を吐いたら口の周りを火傷するだろうしの」

 師妹にしては、意外とちゃんとした答えが返ってきた。


「まあ、これは巨大人型戦闘機械やら、遠い星まで行く宇宙戦艦にも共通する問題点じゃろうて」

 それは意味が分からないが。


 ☆


「そうですか。劉備さまはもう襄陽を離れられましたか。このまま劉表さまを補佐して頂けると思っていたのに」

 少し残念そうに徐庶がため息をついた。またいつもの酒家で酒を飲んでいる。今日はおれと師妹の他は孔明だけだ。


「劉備という男にそこまで期待できるのかな」

 孔明は懐疑的だ。

「何の定見も無く、あちこちの勢力を渡り歩いているだけだろう。ただ不思議と領民から慕われているらしいが」


 孔明の背後にひとりの男が歩み寄った。


「おほめ頂いて光栄ですっ」

 後ろから長い手が伸びて、孔明を抱きしめた。

「ちょっと、あの、何これ。やだ気持ち悪い!」

 その異様に長い腕は変な曲がり方をしている。明らかに肘の関節がふたつある。孔明は悲鳴をあげた。


「おや、これは劉備どの。まだ残っておられたのか」

 華佗が孔明の背後に立つ異形の男に声をかける。


「じつは忘れ物に気付きまして。この襄陽には伏竜、または臥竜と呼ばれる方がいらっしゃるというのです。ぜひ一度その方とお会いしておこうと思ったのです」

 そのまま孔明の顔を覗き込み、ぺろりと舌なめずりする。


「あなたがそうなのでしょう。諸葛孔明どの?」

「ひ、ひ、ひえーーーっ!!」



「なんじゃ。気の小さい男じゃのう」

 白目を剥いて失神した孔明を自宅へ運ぶことにした。徐庶に手伝ってもらい、孔明の長い手足を折り畳んで、なんとか荷車に乗せる。とことん面倒な男だ。


「ではわたしは、また改めてお伺いするとしましょう」

 気落ちした様子もなく劉備は新野へ出発していった。その後ろ姿は、以前より一段と手が長くなったような気がする。抱きしめるべき領民の数が増えたという事かもしれない。

「たしかに、あれをいきなり近くで見たらびっくりしますよね」

 恐怖に引き攣ったままの孔明の顔を見下ろし、おれは苦笑する。


 ☆


「あらあら、旦那さん。どうしたんです」

 孔明の家では彼の奥さんが出迎えてくれた。メガネをかけた可愛らしい女性だった。

「ひーん、怖かったよう。蓮理ぃ」

 腰が抜けたままの孔明は泣きながら奥さんに縋り付いた。


「みなさん、大変お世話になりました。何か食べていかれませんか」

 黄氏、名前は蓮理れんりさんというらしい。

「いや、そういう訳には」

「そうじゃのう。そういえば、ちと小腹がすいたのう」

 華佗はまったく遠慮がない。


「それじゃあ、お饂飩うどんを作りましょうね。きんくん、用意をお願いします」

 はーい、義姉さん。そう言って廖化と同年代のような少年が壁に取り付けられた巨大な棒悍レバーを操作する。


 それと同時に隣の部屋から大きな音が聞こえてきた。どすん、ばたん、とその度に家が揺れている。

「ほほう、ちょっと見てもよいかな」

「ええ。どうぞ」


 おおう、これはすごい! 部屋を覗き込んだ華佗が歓声をあげた。

「じゃあおれも」

 そう言って立ち上がったおれは、蓮理さんに笑顔で阻止された。


「男の子は見ちゃだめです」

 え。

「そうじゃ。これは乙女の秘密かのう」

 ふたりで顔を見合わせて笑っているが。乙女って。師妹、あなた100歳……。



 でも、できた饂飩はとても美味しかった。



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