第14話 劉備、三顧の礼を尽くす

「確かに、ここなのだな」

 臥龍崗がりょうこうという小高い丘に立つその小さな家を見て、劉備は声を潜めて言った。石垣から顔だけ覗かせ、様子を伺う。その後ろから関羽も顔を出した。


「間違いありません。ちゃんと張飛が匂いを辿たどってくれましたから」

 関羽は、狭い石垣の上で両手両足を揃え器用にしゃがんでいる張飛を見上げた。


「間違いないにゃ。あそこから獲物の匂いがするのにゃ」

 頬のトラひげを震わせながら、張飛は舌なめずりした。そのまま右手を舐めては、顔を擦っている。

「こら、行儀が悪いぞ張飛。思い出せ、お前はヒトなのだぞ」

 関羽に怒られている。


 張飛は座ったまま、右足で首のあたりを掻き始めた。気持ちよさそうに目を細めている。

「だがな、兄者。あの華佗の治療を受けてから、なんだか、わしは自分が虎のような気がするのだ。いつも頭の中で『トラだ、お前はトラになるのだっ!』って声が聞こえるにゃ」

「これは重症じゃ」

 やはり酒の飲みすぎではないだろうか。


 ☆


「諸葛孔明どのはいらっしゃるか」

 関羽が玄関先で声をかけた。

 しばらくして、気弱そうな少年が顔を出し、慌ててまたすぐに扉を閉めた。

「うちにはお金なんてありません。帰って下さい!」


「何か勘違いされておるようだが、私たちは借金取りではありませんぞ。だから、ちょっとここを開けてくれませんかな」

 猫なで声で劉備が中に呼び掛ける。

 少しだけ扉が開いた。


「今だ、押し入るのにゃっ!」

 張飛が強引に扉を押し開け、飛び込んだ。

「さあ、大人しく金目のものを出すのにゃ……あうっ!」

 頭を押さえてうずくまったところを、関羽に首根っこを掴んで引きずり出される。

「愚か者、まだ山賊の癖が抜けんのか!!」

 張飛は関羽の青龍刀の柄で殴り倒されたのだった。


 また薄く開いた扉の隙間から、疑い深そうな眼だけが覗いている。

「いやいや。これは失礼した。私は漢の宜城亭候、左将軍で皇帝陛下からは皇叔と呼ばれ、さきの徐州の…」

 そのあたりで、扉がぴしゃっと閉まった。


「おーい、開けてくれー」

「兄者はいつも自己紹介が長いのです。用件から先に言いなさい」


「おお、そうか。……あの、私は劉備といいまして、劉表どのに世話になっているものです。今日は諸葛先生のお話をお聞きしたいと思い参上した次第にございます。ぜひ、先生にお取次ぎください」


 やっと扉が開いた。だが少年はまだ警戒を解いていない様子だ。

「兄に御用でしたか。ですが兄の孔明はいま来客中です。お待ちいただくか、日を改めていただけませんか」


「客だと。我らを誰だと思っているのにゃ! 眠たい事を言っていると、このあばら家に火をかけるのにゃ!」

 張飛は、懐から取り出した板に棒を押し当て、両掌できりきり回しながら凄む。さすが、あっという間に板から煙が上がり始めた。


「これ張飛、乱暴な事をするな。ところで孔明先生を訪なうのは、いかなるお方でございましょう」

「ああ。華佗先生です」

 ぼうっ、と張飛の前に炎が立ち上った。


 ☆


「いや、まさか華佗先生が先客としていらっしゃったとは。これは大変お騒がせしましたなあ」


 おれたちがお茶を飲んでいると、劉備とその義弟たち三人が案内されてきた。


「丁度よかった。孔明どのの話が聞きたいのであろう。ほれ、遠慮するな」

 華佗は、にやにや笑いながら、部屋の中央に座る浄衣姿の男を指差した。

 たしかに、変な形の冠も白羽扇も孔明のものではあったけれど。


 劉備はそれを見て、しばらく躊躇ったあと頭をさげた。

「……これは、諸葛孔明先生。こうしてお目にかかれて光栄でございます。あいや、先日は失礼を仕り、まことに申し訳ない」


「コンニチハ。ワタシハ諸葛コウメイデス。ドウゾ、ヨロシク」

 カタカタと音をたて、口が動く。全く表情を変えずにそれは喋っていた。

「……?」

 劉備の表情が固まった。


「あ、あのこれは」

 助けを求めるように華佗を見る。

「ワタシハ、諸葛コウメイデス。ドウゾ、ヨロシク」


「私は、漢の宜城亭候で左将軍の……」

「ワタシハ、カンノギジョウテイコウデ、サショウグンノ、リュウビゲントクデス。ドウゾヨロシク」

「それは私です。あなた、諸葛孔明先生じゃないのですか?」

「アナタハ、諸葛コウメイデス。ドウゾ……」



 あははは、と笑いながら、隣の部屋からやたらと背の高い男が出て来た。

「見事に騙されましたね、劉備さま。それはわたしに似せて造った人形です。わたしの愛する妻の作品ですよ」

 だろうと思いましたけど、と劉備が呟く。


 それを片付けて、孔明は座についた。

「御用のむきは存じております。わたしを軍師に迎えたいのでしょう?」

 …は、いや、…まあ。劉備は曖昧に頷いた。正直、そこまでは考えてはいなかったのだが。


 劉備はおれの方に身体を寄せて来た。

「すまぬが、やはりあのとき一緒にいた、徐庶という男を紹介してくれぬか。どうも、より、あっちの方が気が合いそうなのだが」


「でしょうね」

 おれは、深々と頷いた。



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