第17話 廖化、生き残りの少女と出会う
皇帝を擁する孫策は、各地の有力者に対し
しかし、孫策の悩みは尽きない。
「袁紹の陣営にいた
檄文の草稿を読みながら孫策と周瑜は顔を見合わせ、唸った。
張昭や荀彧が中心となって書き上げたその文章は、やはりどこか格調高く上品なのだ。それも仕方ないか、孫策は諦めざるを得なかった。
本来、檄文とは決起を促す類のもので、誰かを特に非難するものではないのだ。
だが孫策たちの念頭にあるのは、あの有名な文章だ。
陳琳が袁紹の命を受け、曹操と激突した『官渡の戦い』の前に書き上げた、伝説の檄文である。
曹操のみならず宦官だった祖父まで俎上にあげたその文章は、読んだ者100人が100人とも曹操を憎むようになるだろうという激越なものだった。
「あれ程のものは到底書けませぬ」
張昭と荀彧も両手をあげた。
恐るべきは陳琳である。
しかしその陳琳は、散々こき下ろした筈の曹操に召し抱えられていた。
人材を集めるのが趣味の曹操だが、それだけではなく、どうも陳琳の書いた文書を読み返しては悶え苦しむのが、彼の密かな趣味になっているようだった。
「もっと。もっとお前の文章が読みたい。頼む陳琳。あれを……あれをくれぇ」
明らかに中毒症状を来した曹操は陳琳に縋り付く。
「仕方ありませんな。ではこれでどうです」
業務文書を書くような表情で、陳琳が筆を走らせる。
それを読んだ瞬間、曹操は大きくのけぞる。
「おおうっ、今度はそこまでわしを蔑むのかっ、この憎いやつめ!」
そんな文章を読んでは、緩み切った顔で床をのたうち回っているのだという。
「お前の言葉責めは堪らぬ愉悦じゃ。もっとわしを責め苛んでくれっ」
これが頭痛の特効薬なのだというが。
考えてみれば、これも相当特殊な性癖ではある。
☆
長江の南、建業へ遷った漢王朝は、西漢(前漢)・東漢(後漢)に倣い南漢とも呼ばれるが、一般的には呉漢と呼ばれる事が多いだろう。
建業を含む長江沿岸は古くから呉と呼ばれているからだ。
皇帝を失ったとはいえ、中原最大の勢力を誇る曹操は旧魏国を中心として勢力を拡大したため、魏と通称される。そして、その魏は荊州をも手中に収めている。
現在の中原における勢力図は、その呉漢と魏の他は以下の通りになる。
東北部の朝鮮半島に近い辺りは公孫氏の一族。現在のベトナムを含めた交州は
北西部でシルクロードの起点となる涼州は、
そんな中で、大陸の南西部に広大な領域を持ち、峻険な山地を防壁とした蜀がある。その北方は漢中地方と呼ばれ、張魯を教主とする五斗米道という宗教組織が勢力を拡げつつあったが、劉焉から劉璋と続くその支配はいまだ揺るぎないものに見えた。
おれと師妹は士燮の支配する地域を経由して、蜀へ向かおうとしていた。
☆
「ひどい事になっているな」
その村は、ほとんどの建物が焼き払われ、あちこちに死体が転がっている。
荊州の南部で、少数民族が多く棲む地方だった。
魏軍は襄陽などの都市には手を出さなかったが、こんな辺境において容赦なく略奪と虐殺を繰り広げたのだ。
「む。誰かいるぞ」
師妹は目を細めた。おれもその方向を見る。
何か大きなものを引きずっているのは少女のようだった。
「どうしたのだ、これは。それに、その……」
師妹とおれは言葉を失った。彼女が引きずっているのは、血塗れの骸だった。
少女はおれたちを見ることもなく、村外れまで行くと、掘られた大きな穴にその死体を投げ込んだ。
「ここは共同墓地なのか」
「おい、ちょっと待て。お主、怪我をしているではないか」
師妹は少女の手を取った。
彼女の服もあちこち破れ、血が流れた跡があった。少女は虚ろな瞳で華佗を見返す。だが、おれに気付いた少女は悲鳴をあげた。
「落ち着け、わしらはお前を傷つけたりしない。わしらは医者だ」
「い、しゃ……?」
ぽつり、と呟く。少女はその場にうずくまった。
☆
「みんなを葬ってあげないと」
傷の治療を終えた少女はまた起き上がった。止めても聞きそうにはない。
「おれも手伝う」
少女とおれは村人の死体を墓地に埋葬した。
「おれは廖化だ。君の名前は?」
少女はしばらく考え込んでいたが、やがて首を横に振った。
「名前は、……無い、にゃ」
「そうか、ではわしが名を付けてやろう」
うれしそうに師妹がしゃしゃり出て来た。
「やめなさい!」
また、『出し殻』とか付けられたら可哀そうだ。おれは全力で止める。
「わしらと共に行かぬか」
師妹は小さな手を差し伸べた。だが、やはり少女は首を横に振った。
「わたしは喪に服さなければならない。……ありがとう、廖化。華佗」
少女の瞳に輝きが戻っていた。
おれはやっとその少女の違和感に気付いた。
両の頬から、白いひげが三本ずつ伸びているのだ。
「そうか、ここは
振り返ると、小さくなった少女はまだ手を振り続けていた。
「なんじゃ。あのネコ娘に惚れたようじゃの」
華佗が妖怪のような笑顔をみせた。
「そんなんじゃありません。でも……」
なぜだか、あの少女にはまた会えるような気がした。
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