19 高温殺菌ブンモモモさん乳

「低温殺菌牛乳が美味しいけれども、ここでは衛生的な施設は厳しいな。お腹壊したくない」


 俺は、トーストにバターを塗って牛乳で流し込むスタイルを思い描いていた。

 パンは焼かないまでも、まるで昭和しょうわの給食だ。

 家は、お正月になると、親戚で食事を楽しみ、各々の近況や昔話に花を咲かせたっけ。

 俺は、落とし玉で、ゲームが欲しかったが、メガネ代に消えて悲しかったな。

 もう、時は令和れいわだ。

 俺の平成へいせい時代の過去は、捨て去ったのさ。

 と言うより、この世界は、いつなんだろう?

 それを知る術などないな。

 もう、誰にも会えない。

 真の引きこもりになってしまった。

 俺の自室前にお膳を持って来てくれても、毎日食べていなかったら、母さんも不審に思うよな?


『あなた、警察へ届けましょう?』


 きっと、母さんなら一番に俺を心配しているだろう。


『だめだっ。大神家の恥となる』


 しじら織でも着て、袖に手を通して指示しそうだな、大神家の柱よ。


『お父さん、今はそんなこと言っていられないよ』


 ちょっとは俺の味方になってくれる優花は、いい妹だよ。

 こっちへ来て、気さくなお前のよさが分かる。

 ゲームで妹ラブとかあるしな。

 絶対に落とせないキャラなのに、萌え萌えになる。


『直人……』


 これは、家族以外で俺を知っている誰かの声だ。

 思い出せない。

 まさか、ニートのゲーム野郎に、超絶美人が迫って来ていたという事実が?

 俺は、封印してしまったのか。

 あれは、誰だろう?

 髪の長い……。

 行くな!

 行かないでくれ。

 頼む。

 美少女はスローモーションに髪を掻き上げた。

 横顔が色白で、見たことがある。

 まさか、振り向いたのは――。

 女神でなくて、母さん?


『直人さん、体は壊さないでくださいね。がんばらなくてもいいのよ』


 ――懐かしい声が五臓六腑に響いたので、俺はびくりと動いた。


「もしや、家族を投げ捨てて、ゲームに没入していた罰だろうか!」


 俺は、頭を抱えて、左右に振る。


「大神くん」

「大神さん」

「大神様」

「大神きゅん」

「大神殿」


 おー、皆か。

 皆、俺の顔でも覗き込んでいるのか?

 五人と一緒にチュウはできないからな、頬にしてくれよ。


「――頬なら、沢山空いているぞ!」


 俺は、がばりと手を振りながら起き上がった。

 いつから寝ていて、いつから起きたのか、それすらも分からない。

 巡り合えたのは、今の夢占いで現れた振り向き女神、一体どの女子高生女神だと言うのだろう?

 俺は、確か牛乳について考えていた筈だったな。

 どうしてこうなった?

 認めたくないが、病気のせいか?


「うわー。びっくりした。大神くんったら、急に大声出して」

「大神さん、何か夢を見ていたのですね」

「大神きゅん。きゅんきゅんな夢じゃないの?」

「大神殿、もしや邪にもキスなどをしたいとか?」

「大神様、ご心配しております。お祈りを捧げてよろしいでしょうか? 自信は、ないです……。ふう。」


 うおー、これは。

 この世界に呼ばれたときと同じ倒れている俺を女子高生女神が覗き込む夢とよく似ている。

 もう少し、いたような気がするが。


「いやいやいやいや。あ、もうお祈りが効果てき面。キキキキ、キスは、まだ早いでしょう? 女子高生女神には」


 実を言うと、俺は、女性と面識がない。

 何故か、ネカマの奈保子なほこさんとネットで知り合ってから、ゲーム内でもチャットが苦手になってしまった。

 騙された!

 そればかりで、悶々としていたからな。


「えーと、誰が誰とキスするの?」


 俺は、すっかりとぼけてみた。


「それは、百合愛さんと菊子さんでしょう?」


 誰が言ったかと思えば、紫陽花さんだ。

 茸の生えそうな暗い面差しで、意外なことを考えているのな。

 エッチ。


「私達、そんな関係じゃないもん。ね、菊きゅん」


「ゆりゆりしないの? 百合愛」


 菊子さんが、百合愛さんの口元に手を添える。

 きゅと下唇を拭う仕草がカッコイイ。

 百合愛さんが赤い髪に頬まで赤く染めて、珍しい赤い百合のようだ。


「はあ……? ゆりゆり? 僕は到底ついて行けない」


 俺は、目を覆っているのに、ガンガン見ている。


「勝手にさせてくれよ。こちらに召喚したのは、大神殿だろう? 花卉魔法かきまほうなんて、珍しくはないし」


「これは、ゲームのクエストではないのか? そんな魔法は使えないが」


 一瞬にして、沸騰したやかんから湯気が消えた。

 俺の波長って短波かよ。


「いや、春から始まって、再び春が来るまでに、きっと相当な数の女子高生女神を召喚するだろうよ」


「それだけではないでしょう。奇妙よね。……ふう、そうです」


 菊子さんに紫陽花さんは、割と直球なご意見ですこと。

 でも、召喚魔術ってカッコいいな。

 面倒だけど。


「奇妙だって? 俺を悪く言うなよ。ただでさえ、環境が変わって戸惑っているのに」


「大神くん、戸惑っていたんだ。何でも受け入れて上手にやっていると思ったよ」


 櫻女さん、それが間違いだって。

 俺は、あっちの世界で、器用にもいい学校ばかり進学していたよ。

 それだけで終わった。

 研修期間に使うコップ一つ、持って行けなかったって話だ。


「そうかな? 俺自身、俺のことを信じられないのだよ」


「大神さん。どうして自信を持てなくなったの? よかったら私に話して欲しいと思う」


 おう、菜七さんー。

 甘えたくなるよ。


「直きゅん、そんなに傷付いていたの。ブンモモモさん達は、強いからね」


 それを宥める百合愛さんも分からないが。


「牛乳が欲しいんだろう。大神殿の為にもさっさと作ろうか。ゆりゆりは、分からなくてもいいよ」


 菊子さんは、さっぱりしているよ。

 あー、美味しい牛乳が飲みたい。

 ふう。

 やっとここで、元に戻った感じだ。


「ではでは。ブンモモモさんからお乳をちょうだいするから、直ぐに殺菌して欲しいじゃん」


 百合愛さん、流石女神なだけに、こう見えてもお利口さんなのだな。


「先ずは、鍋を消毒しよう。それから、ブンモモモさんのお乳だね。鍋を井戸の近くで拾って来たのがあるから、水を沸かす準備をしよう」


 あの古代遺跡は、何かと気掛かりだが、便利な物が落ちているので、気にしない。

 非力ながらも紫陽花さんが、井戸で洗って来た鍋がある。

 水を入れてかまどに置く。

 火を入れるのに、スギの葉に、小枝のキボッチをくべた。


「おい、ニャートリー! いたら、着火を頼むよ」


「ニャートリー」


 おやおや、俺のことをちゃんと見てくれていたのではないか。

 上空を旋回している。


「着火、頼むよ」


「ニャニャニャ」


 決めては、これ。

 ニャートリーが、かまどへ滑降しながら嘴を開く。

 出た!

 必殺の咆哮。


「ニャートリーノ……!」


 よし、鍋が丸焼きになる程の滅菌ができた。

 次に搾りたてのブンモモモさんのお乳を鍋に入れる。

 引き続き、お乳が即高温殺菌された。

 やったね!

 さて、飲んでみないとな。

 女子高生女神は、霞を食べているそうだから、俺がお毒味だということになる。

 ――初の待望のお乳、腹当たりするなよ。

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