13 百合の蕾が滴るように

 ここにいるのは、櫻女さん、菜七さん、紫陽花さん、そして俺だ。

 さて、俺は【空腹】がそろそろきつくなってきた。


 ========☆

 大神直人


 HP  0082

 MP  0031

 【空腹】0028

 ========☆


「はう! 【空腹】のゲージが一桁ギリギリだって? 前は、【空腹】0008で、もうダメかと思ったのにだ」


 本当にお腹がぐううっと鳴った。

 ああ、ニートのときでも食べ物はあったのに。

 悔しいな。

 母さんの三食の差し入れ。

 それから、優花に買いに行かせた、モモンガ飴やおいもチップス。

 たらふく食べたいよ。


「それに、HPがかなり落ち込んでいる。この世界で生きて行くのに、HPは本気で大切なんだよ……!」


 俺ってだめだっ。

 お菓子とゲームをやりたくて、手指がこそこそと動き出す。

 プラスボタンを押したり、レバーでコントロールしたり、ときにアバターで変身願望を叶えたり。

 とにかく、世間に置いて行かれた感情を取り戻したかった。

 俺は、群生茸の前で、拳を空を切るように振り下ろそうとした。

 だが、ギャラリーは呑気なものだ。


「大神くん。そんなにお腹って空くものなのですね。生で食べるの?」


 口にちょんと指を当てるなよ、櫻女さん。


「大神さんは、我慢していたのかと思う」


 そうそう。

 あーあ。

 可哀想な子みたいに言うなよ。


「大神様……。痩せたければ食べなければいいのです。ふう、そうです。お得かも知れないです。ふう」


 何だと、若干ぷよぷよの脇腹を気にしているのに。

 年取ると基礎代謝が落ちる上に、運動不足になるのだよ。

 おいもチップスの呪いだとも思っているが。


「とにかく、茸! 茸だよ」


 ご機嫌に高く空の垣根を越えようとしているニャートリーは、噂をすれば地獄耳だからな。

 呼ぶか。


「ニャートリー、紫陽花さんに【雨霧】を出して貰おうと思ったから、データを出して」


 風を切り、超高速滑空をしながら、映写した。


「ニャートリー」


 ========☆

 紫陽花


 HP  0088

 MP  0030

 【雨霧】0001

 ========☆


「ええ? 【雨霧】が1って、どうしたよ?」


「ごめんなさい。【雨霧】を使い切ってしまったのです。大神様。ふう、そうです」


 頭上にある右手のやり場をなくした。

 紫陽花さんの額に、左手を当てて、その上から右手でぺちっとした。

 暴力はいけないからな。

 そうそう、動くと腹も空くだけだし。

 おう?

 俺の【空腹】が、とうとう一桁の9に下がっているよ。


「紫陽花さん。何でまた。茸暴走は、そのせいか?」


「あの、ちょこっと百合の蕾から滴るような水が不足したと思う。それで、【雨霧】を私からお願いしたのだと思う。すみません、大神さん。だから、紫陽花さんのせいにはしないで欲しいと思う」


 クエスト003、失敗に終わるのか?


 ◇◇◇


 さて、水も幾分か持ってきたことだし、ちょろちょろぱっぱとやりたい所だが、俺が往復してゲーム腰で疲れている。

 誰か、元気そうな女子高生女神に頼まなければ。

 美しさ期待大の百合から生まれる女子高生女神に会えないだろう。


「誰か、ここにある水をやり続けてくれないか」


「誰かって?」


 櫻女さんが、こちらにビビビと眼力を与えてきた。


「大神くんがすればいいね」


「そんな。井戸まで往復して疲れているんだよ? 俺は、一分も休めないの?」


 軽くだが、頬を膨らませる。

 むっとした思いが顔に表れてしまった。


「大神様、ここは神の試練です。ふう、そうです」


「なら、紫陽花さんがやればいいだろう? 【雨霧】なんかに頼らずに、鍋から直接手で育てればいいんだ」


 俺は、何をムキになっているんだ。


「結局、このファームは、大神さんのものだから、お好きにしていいと思う。でも、百合は枯れてしまうのは、自明の理」


「それは、脅しだろうよ。菜七さん。一番大人しいと思っていたのに」


「何でも言いなりになるのが、愛情や友情に繋がりません……。ふう。神はそう思っておいでです」


 皆して、急に協力を拒むとは。

 そうだ、猫鶏に訊いてみるか。


「ニャートリー! このファームは誰のものなのだよ。誰が働かなきゃいけないんだよ!」


 ニャートリーは、側の木に止まって毛づくろいを始めた。

 この一大事に何を考えているんだ?


 ========☆

 大神直人


 HP  0082

 MP  0025

 【奮起ふんき】0001

 ========☆


「酷いな! 俺だって、【奮起】あるぞ。ニャートリーは、データを捏造していないか?」


 頭にきて、鍋を引っ叩いた。

 俺の手の方が痛かった。

 あーあ。

 バカでしたよ。


 ========☆

 ニャートリー


 HP  9999

 MP  9999

 【奮起】9999

 ========☆


「その9999のカンストトリプルは何だって。ニャートリーは、データを捏造しているな。だったら、ニャートリーも水をやったりすればいいだろう?」


「ニャンニャンニャンニャー」


 俺の肩に乗り、耳元で啼いた。


「ここは……。『オオガミファーム』だって? オオガミとは、俺の名前の大神か?」


「ニャー」


「そうか。ならば、ここにいる女子高生女神に指示を出してもいいだろう?」


 そもそも俺が畑を耕し、花を咲かせて、三人も育てたんだ。

 誰にも文句は言われたくない。


「いいだろう! いいだろうよ。皆、俺の言うこと聞かないんだ。悔しいだろう?」


 もう、眼前のオオガミファームがどうなるかなんて考えていなかった。

 郷里の東京とうきょうのことを思い浮かべている。


 ひたすらにご飯を運ぶ母。

 冷めた頃に、誰もいないのを確認して食べたこともあった。

 妹が俺の部屋をノックしてきたとき、「菓子を買って来い」と、命じた。

 直ぐに帰らないと気が済まなかったので、「三分で帰れよ」とか言った記憶もある。

 優花なんて、俺の従属物でしかない。

 母さんは、直人を産んだことを後悔すればいい。

 父さんは、もう会わなくていいから、金をくれ。

 それから、俺は、病院とか病気とかそう呼ばれるのが嫌いだ。

 ――大っ嫌いなんだよ!


「もう、毒見はしなくていい。そこにある百合への水に茸をぶち込んで茸鍋にしよう。皆で、パーリーピープル? 何て、異世界の問答無用鍋を食しよう。いざ、茸の収穫だ!」


 俺は、ゲーム腰を我慢して、【雨霧】でふよふよに増えた茸をニャートリーの【奮起】に負けじとヤシの実に似た殻にほいほいと山にして行った。


「さあ、もう直ぐ鍋だぞー。もう、鍋大好きかも」


 後は、ニャートリーに火を頼むだけとなったとき、つむじ風が邪魔をした。

 俺は、風の行方を両の眼で追った。


 そのとき、百合の花に異変が生じた。

 ――白い百合の蕾から滴る水が赤く煌めいていた。

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