35 光の声を追って 

「……ニャートリーさん」


 俺は、再び言葉を噛むように絞り出した。


「その名は――。懐かしいですね。ゲームで親しくしていたペットの名前ですか?」


「とんでもないことを。俺が一番心を寄せている魂だ。猫鶏なのを除いても、とても気が合うと思う」


 天使プルヌスだった女性が、暫く俯いていた。

 ここは山の上空なのだが、さざ波が聞こえる。

 張り詰めた空気が戻って来た。

 霊峰富士にそろそろ降り立つときが来る。


「この階段に一緒に座りませんか」


 意外にも彼女からだった。

 七柱の女子高生女神達がふわふわと俺達の周りを飛んでいる。


「わ、わかった」


「お話をしましょう」


「話とは、天使プルヌスで魔女でニャートリーの貴女のことかな?」


 俺ったら、彼女をほじくってどうする。


「そうですね……。私の生き方は、雲から落ちた雨粒が、頂きからいずれ海に流れて行き、また雲になるようなのですよ」


「雲から雲へ。水の変化を繰り返しているのか。信じ難いが、現に花から女子高生で女神達が沢山産まれ咲いたことを考えれば、至極当然だ。それで、どうして転生を繰り返しておられるのだ」


 俺が階段に手をついていたら、彼女の方から触れて来た。

 ほ、ほわああ。

 ぷにぷにだな。

 さっきまで天使だった名残があるのだろうか。

 俺の母さんは、水仕事で手が荒れると困っていた。

 こんな手を荒れるようにはしたくない。

 は!

 嫁に貰おうとか考えている訳では。

 むにゃむにゃ。


「ここにいる皆が魔女だと思っている理由が、そこにあるのです。何をしても死なない。死んでも生き返る。蘇った姿は、決してボロボロの肉体ではなく、その度に新しい。だから――」


「ニャートリー! それ以上自分を追い詰めるな。俺がキミを守る。一緒に幸せになろうと申し出たばかりだろう」


 気が付けば、彼女の手をしっかと握っていた。

 俺が?

 女の子の可愛いぷにぷにの手を握る?


「だー! 誰か見ているから。手を繋ぐのは早いから」


 俺から繋いでおいて、ブンブンと振り切ってしまった。


「ニャートリー。今のキミは、誰だい? 何と呼んだらいい?」


「あの森の世界へ戻って、梅乃うめのになる予定でした。八人目の花から生れる女神。私は、女子高生ではありませんが、大神直人さんからはそう感じられたのですね」


 でも、また手を握られてしまった。

 意外と積極的なのだな。

 人生初の女性になる。


「ニャートリーから、梅乃さんか……」


「今の私は、森から出てしまいました。その理由は、古代遺跡のスポットを使って、やはり大神直人さんを元の世界に戻すのが、第一ではないかと思ったからです。だから、梅乃にはなっていません。あのピンクの姿を失った今、ニャートリーでもありません」


「はっくしょん。誰か、俺の噂した?」


 俺は、周りの女子高生女神達からの視線を感じた。

 黙って、俺達を囲んでいる。

 やはり手を繋いでいるのはおかしい。


「この階段で二人っきりでいるのって、恥ずかしいな。さあ、立ち上がって、目的地まで行こうよ」


「それでいいのですか?」


 俺は首肯した。

 この先に何があるのか、多少は分かっていた。

 俺の体は、ゾンビ。

 そこに入ったら、即死で、それこそ最後の審判だな。


「俺が、天国へ行けなかったら、ごめん。ニートの間、特に家族に悪いことをしたから、俺はその可能性もある。俺は、どんな天使でも梅乃さんでもニャートリーでも、それが魔女と呼ばれる所以でも、忘れない。キミのことを忘れないよ」


 階段は、もう数段だ。

 これからの俺、がんばるんだ。

 もしも、この愛しいニャートリーに会えなくなってもそれは俺が悪い。

 誰のせいでもないんだ。

 覚悟して、最後に霊峰への一段を降りよう。


「じゃあ……。皆、元気で。ニャートリーも無理するなよ」


 俺は、彼女の手を一度だけ強く握る。

 そして、離れようとするが、美しい人の目が許してくれない。


「大神さん!」


 皆の声がこだまする。

 やっと、離れた右手が、さっきまでの熱がこもっていて、もったいない。

 反対の左で彼女の頬を撫で、お別れのときを知らせた。

 俺の手が、淡いピンクへと染まって行くのを彼女は見逃さない。


「大神直人さん! 私、待ってます――! ずっとです」


 ニャートリーの決意がビシッと響いた。

 しっかり者らしいな。

 俺も負けないよ。

 この手に彼女の真珠のような雫がいくつもある。

 けれども、逃げて行く自分の体から、その宝物を掴めなくなっているのが分かった。

 足下を見ても、俺は、この霊峰に溶け込んで行きそうだ。


「ああ……。俺は、最後にニャートリーに会えてよかった……」


 胸の中は、幸せにできなかった悔いが残った。

 彼女の重い枷になってはいけない。


「でも、勝手に待つなよ――」


 彼女の涙の雫が俺の透明な体にまとわりつく。

 そこまで愛してくれていたとは、俺にはもったいない。

 ありがとう。

 ありがとう。

 ごめん、ぎゅっと抱き締めればよかった。


 ニャートリー、笑顔になってくれ……。


 ――こうして、俺の魂は、ふわりとピンクの光になり、弾けた。

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