29 歌声渋く

「結局、誰が魔女か何て分からないんだ。この話は、もうお終いだ。分かったね。喧嘩しないね」


 俺は、両手で頭の上を撫でるように、それぞれを宥めた。


「ところで、俺のハッピーバースデーらんらんらんとは、つまり、今は一月三日なのか?」


 素朴な疑問だが、確かめなければならない。


「おーい、水を打ったようになってどうした。皆、カレンダーも何もなく存在しているのか?」


 紫陽花さんが俯きながら掌をきゅっと握った。


「ええ、幽霊ですから。大神様。ふう……。いいえ、ひゅー、どろどろどろどろ……。ですかね?」


 紫陽花さんは、コミュニケーション能力に問題ありかな。

 それとも、諺で、女神と幽霊にカレンダーは要らないとかあるのでしょうかね?

 幽霊に手足があったりするのだろうか?

 しかし、花からご降臨されたのだから、不思議な存在ではあるな。

 空は、木漏れ日をずうっともたらしている。

 おかしい。

 木々もざわついている感じだ。

 魔女だの幽霊だのと騒ぐから思うのだろうか。


「昨日から何だか夜が来ないな。これでは眠れない。何て、ふざけている場合ではない。森の天蓋が崩れたりしないのか?」


 俺は、悩んでいる。

 これこそ、魔女の力で帳が降りないのではないかと。

 だが、ここで俺が魔女騒動を再び引き合いに出して、いいことなど何もない。

 俺って、結局平和好きなのだろう。

 百点満点くそ真面目野郎からニートに真っ逆さまに堕ちてさえ、その気持ちは変わらない。

 彼女達、皆にどうしてあげたらいいのだろう?

 俺ができることは、東大学時代で終わってしまった。

 少し、優花に兄だけれども家庭教師をしたこと位かな。

 あの頃は、多少疲れてはいても輝いていたと思う。

 野望、特待生!

 首席で卒業!

 これを背中に背負って生きていた。

 ――けれども、好きな女の子ができてしまった。


 ◇◇◇


「甘酸っぱい気持ち。伝えることもできないままに、遠巻きに見ているだけで幸せだった。けれども、本当にそれで終わってしまうとは、何て俺は情けないのだ」


 それは、俺も夏に大学院を受験して合格していたから、当然、彼女とこのまま同じ病理にいられると思っていた。

 病理のウイロイドゼミで彼女は、いつも高い所で髪を結い上げ、振りまくポニーテールからは、ローズの香りがした。

 女子なんて、女史の件で懲りているものだから、こちらから告白だなんてとんでもないと、近寄らないようにしていた。

 その上、彼女とは、全く口を利いたことがない。

 それでは、進展があるなんて考えられないよな。


「はあー。こんなにキュンキュンするなら、俺が恋愛小説書けそうだよ。実際は、院に行ってからのこともあるから、忙しいし、今のは、冗句だからね」


 チーム野田のだと合同実験をしているときだった。

 そのチームの助手、岩松いわまつ先生とのご結婚が決まっていると知った。

 彼女が……。


「そんな素振りは一度も見せたことがなかったのに」


 気持ちはぐったりとして、休憩コーナーへと行く。

 贅沢なブルーマウンテンを豆から挽いて、ゆっくりと飲む。

 座っていても落ち着かないので、お行儀が悪いが、カップを持ちながら立ち上がった。

 春は直ぐそこで、窓からは梅の花が一輪咲いたか咲かないかだったな。

 けれども、その日の夕刻には、雪がちらついていた。

 雪景色を四角い窓が切り取る。

 白と淡い花の色がそれぞれに膨らんで、とても綺麗だった。

 でも、デジャビュにもなっているんだよ。


「……だって、俺の眼が曇るから、そうなったんだ」


 この季節にも雪かと、足下をジャリジャリと言わせて、頭の中が考えることが多くて取っ散らかりながら、何とか帰った。


「コンコンですよ。置いておきます。ゆーかだよ」


 優花が、真っ黒なドラゴンを折り紙で下手くそに作って、自室のドアの所に飾ってくれていた。


「失恋がバレたか? 得てして女子とは恐ろしいものだ」


 この事件が、一番のショックだったな。


「俺には、一生春なんて来ないよ。鳶に油揚げを攫われるとはこのことだ」


 ガツリと床を叩いた。

 これ以上妄想していると、秋桜さんにビジュアル化されてとんでもないことになる。

 あー、止め止め。


 ◇◇◇


「味噌ラーメン食べたいなあ」


 ぼんやりと呟いてみた。

 さっきのケーキで満腹なんだが、今度はしょっぱいものが食べたい。

 特に母さんの仕込んだお味噌は美味しい。

 大豆からお味噌作りだ。

 その大豆は、田舎のおばあちゃんが送ってくれる。

 シズおばあちゃんは、優しくて大好きだ。


「ええーと、大神直人様は、シズおばあちゃんが大好きと。私の【八栞】にメモしました」


「人の心を読むな! 秋桜さんは、人が悪いよ」


 秋桜さんが、ほほほと笑ってよこす。


「まー、不躾ですね」


「それはこっちの台詞だ。そんな栞は、捨ててしまってくれ。メモもだ」


「魔女は、大神直人様です」


 懲らしめてやりたい。

 急に思い立った。

 でも、か弱い女子高生女神だぞ。

 そうは行くまい。

 とにかくだ、俺は悔しくて立ち上がった。

 何処へ行くとも当てがない。


「暫く一人にしてくれ」


 俺は、皆を後にした。

 どれ程急いだのか、何もかも振り切りたくて、すたすたと行く。

 気が付けば、さっきの晴れた空はもうなく、どんよりと曇っていた。


「ここは……。古代遺跡ではないか」

 

 知らず知らずの内に辿り着いていた。


「怖いな。たった独りだとそう思う」


 古代遺跡の蔦が歌い出す。


「タ~ナ~ン~ナナ~。タ~ナ~ン~ナナ~。タナナナナン、ナナ」


「こ、怖いなあ。止めてくれよ」


「さあ、お入りなさい。どうぞ、迷いの多い仔羊さんは、こちらですよ~」


 さあ、どうする?

 俺。

 男らしく決めないとな。

 ――行くか行かないか、ただ、それだけだ。

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