第8話:望外の来訪者――下

「スライムの動きをよく見るんだ。不規則に飛び跳ねだしたら攻撃の前兆だから、飛びかかってきたら落ち着いて剣で叩き落とせ」


 真剣に敵の動きを目で追う結衣に向かってスライムが体当たりを仕掛けた。すこし反応が遅れた彼女だったが、見事にスライムを叩き落とす。剣撃が中心から少し逸れていたせいで、表示されたダメージは30だったが、十分許容範囲だ。


「スライムのHPは50だ。今の攻撃で残りHPは20だからもう一回で倒せるぞ。気を抜かないように」

「はいッ!」


 再び不規則に跳ねだしたスライムが、結衣に体当たりしてきた。自信がついたのだろうか、彼女は落ち着いて【ショートソード】を振り下ろし、スライムの中心を切りつけることに成功する。表示されたダメージは34。それと同時にスライムが飛び散ってバトルが終了した。


「いい動きだった。完璧とまではいかないけど、実戦を続ければもっと上手くなれるよ」

「本当ですか。ありがとう」


 弾けるような笑顔でそう言った結衣は、ピョンピョン飛び跳ねて喜びを表現した。よほど嬉しかったのだろう。


「いいって、いいって。あと何回かやってみなよ。見ててあげるから」

「うん」


 結衣は嬉しそうに頷くとスライムとのバトルを重ねていった。一戦ごとに動きがよくなっていく。そろそろ狩りの続きをはじめることにしよう。そう思って立ち上がり、彼女に声をかける。


「もういいみたいだね。ずいぶん戦い方がサマになってきてるよ」

「ありがとうございました。真治君のおかげです」

「じゃあ、俺は狩りの続きをはじめるから」


 そう告げたとたんに結衣の表情が曇った。まだ不安なのだろうか。


「あの……近くで戦っていいかな」

「ん? じゃあ近くで狩りを続けようか。そのほうが安心できるしね。なにかあったら対処もしやすい」

「ありがとう。真治君」


 結衣の安心したような、嬉しそうな顔を見て、これは脈ありかもしれない。と、思うと、悪い気はしなかった。いや、このまま親密な関係になれるかもしれない。となればできるだけスマートに戦うことにしよう。そう考えて気を引き締め、スライム狩りを再開したのだった。



「ふぅ、今日はこれくらいにしておこうか。おーい――」


 人間気を張っていればミスをしにくいものである。そう実感できるスライム狩りができたと、陽が沈みかけた午後七時、午後からの後半戦をノーダメージで戦い抜き、自分に最大限の賛辞を送っていた。


 結衣はといえば、見ている限りこれまた実に慎重な戦いぶりで、一度でもダメージを受ければちゅうちょなく【ポーション】を使い、安全確実で堅実なバトルを実践していた。


「――で、何匹倒した?」

「ちょっと待ってね。えーっと――」


 結衣に成果を聞いてみると、七十二匹倒したと嬉しそうに報告してくれた。「頑張ったね」と素直に褒めると、はち切れんばかりの笑顔で感謝された。そんな彼女に癒されながらも、どれ、ノルマは達成できたかなとメニューを開く。すると、午前と合わせて百五十九匹のスライムを倒していた。狩りの最中はいちいち倒した数など数えていないが、所持金欄に刻まれた3180という数字から、それはすぐに計算できる。


【ポーション】については九個、【ミドルポーション】一個を新たに加え、合計で九千九百八十円。あとスライム一匹で一万円の大台に乗るところだった。結衣は【ポーション】が一個に【ミドルポーション】が二個増え、都合五千六百四十円の稼ぎだったようだ。スライム七十二匹でミドルポーション二個とは運が良いと彼女に告げ、街への帰途についた。


 スライムの丘から、街へと続く道へと二人で出る。途中それぞれ二匹のスライムを倒し、俺の稼ぎは一万円の大台に乗っていた。決められた道ではモンスターがポップすることはないという素敵仕様のおかげで、帰りは気楽なものだ。


「真治君、今日はありがとう。おかげさまで自信がついたわ」

「俺も退屈しないで済んだからお互いさまさ」

「でも、あれだけ倒したのにレベルアップしなかったのが悔しいな」

「…………」


 レベルアップという言葉を聞いて、不覚にも一瞬自分の不幸にやるせない気持ちになってしまった。けれども、その不幸を乗り越えてやると決意したことを思い出した。そして、結衣が自分のステータス画面さえろくに見ていないことに唖然としたのである。


「あのなぁ、ステータスぐらい確認しておこうな」

「えっ?」

「ステータス画面開いてみ。そこの獲得経験値の横にNEXTって書いてあるだろ」


 メニューを出してステータスを確認した結衣が驚き絶句している。


「……19856」

「そう、あとそれだけ経験値を獲得したらレベルアップさ」

「こんなに……」


 彼女のその驚きは、あまりにも遠いレベル2までの道のりを示す数字の大きさにだろうか、それとも必要な時間にだろうか。


「誰だって同じなんだ。スライムの経験値は一匹当たり2だからな。レベルアップまで出ずっぱりで二か月ちょっと。気長に行くしかないんだよ」

「……そうだね」


 結衣は相当にショックを受けているようだった。しかし、これがこの世界の現実だ。ほぼ毎日狩りに出て経験値を稼ぎまくっても、レベルアップできるのは二か月に一回。一年で五つレベルが上がればいいほうなのだ。


 よくよく考えてみればすぐに分かる。普通のゲームみたくバンバンレベルアップしていたら、この世界は高レベルのハンターであふれ返ってしまうだろう。一生をこの世界で過ごすことを考えれば、この遅いレベルアップ速度もうなずけると思っている。


「元気出せよ。なっ」


 そう言ってうつむいている結衣の頭をポンポンと軽くなでる。


「真司君……」


 見上げてきた結衣が可愛い。ここまで可愛い女子と、これほどまでにお近づきになれたのは僥倖といっても差し支えないだろう。この幸運を無駄にしないためにも早まった言動は控えよう。そう心に誓ったのだった。


「そうそう。顔を上げて明日からも頑張ろうよ。俺も頑張るし、結衣ちゃんと、お、応援するから」

「結衣って呼んで」


 本当はお友達になってくれと言いかけたが、すんでのところで言い換えた。だから挙動不審気味に日本語がおかしくなってしまったが、結衣の一言で言う必要がない一言だったと安心したし、彼女との距離が近づいた気がして嬉しかった。


「分かった。結衣、これでいいよな」

「うんっ!」


 スライムの丘を卒業するまで早い者でも約半年。卒業してからもそのペースは早くなるどころかすこしづつ遅くなっていく。現役のうちにレベル50を超えれば優秀なハンターだということは、ネットにいくらでも書いてある。


 フィールドから大通りに出て結衣と並んで歩きながら、そんなことを話したりしているうちについつい考え込んでしまった。


 成長に時間がかかるゲーム世界で、たとえ生き返るとはいえ、デスペナルティーのレベル半減がハンターにどれだけの絶望感をもたらすかは、想像に難くなかった。


 それでも、レベル1固定に比べればたいしたことないじゃないか。そんなことが頭に浮かび、現実を突きつけられたような気がして、すこしだけ口数が少なくなってしまったのは失敗だと思った。けれども、街に入って彼女が泊まる宿の前で報われた気持ちになった。


「真治君、明日もつき合ってくれると嬉しいかな」


 もじもじと恥ずかしがりながらも笑顔をプレゼントしてくれた結衣に、精一のさわやかな笑みを返す。


「こちらこそ」


 結衣と別れたあと、この幸運にスキップしたい気持ちを抑えて『あさつゆの宿』へと戻り、夕メシをかっ喰って宿の風呂に入った。


 宿の風呂は日本の温泉旅館のそれそのものであり、外のファンタジー世界とは隔絶した空間になっている。日本人ならやっぱり広い風呂につかりたいのだ。この世界の創造者が日本人であったことに、このとき心から感謝したのは言うまでもない。


「ふぃ~。疲れが取れる気分だぜ」


 風呂につかりながらスキルのことについて考える。最初に取ろうと考えているのは軽戦士系の【速足】というスキルである。常時発動型のこのスキルは、一度使うとMPの消費なしに一日の間発動し続けるという優れものだ。発動MPも10と恐ろしく安く、レベル1の俺でも気軽に使える点が気に入っている。


 【速足】の効果はバトル時の動作速度の向上と、ステータスの”素早さ”を、バトル中に2だけ上昇してくれる効果がある。”素早さ”は与えるダメージに直接かかわってくる要素なので、戦士系のハンターならば必携のスキルだというのが定説だ。


 【速足】獲得までに必要なスキルポイントは5000。スライム一匹倒して得られるスキルポイントは1だから、五千匹のスライムを倒せば獲得できることになる。一日百五十匹強のスライムを倒せば一か月で到達できる数値だ。


 そのほかにも”素早さ”を上げることができる要素はあといくつかある。スライムを倒して得たお金をためて、それのうちの一つを手に入れるのが当面の俺の課題だ。それらを手に入れることができれば、計算ではスライムを一撃で倒せるようになるのだから。


 などなど、至極真面目なことを考えていたら長風呂になってしまった。部屋へと戻って今日一日の成果を再確認し、レミーアと結衣の笑顔を思い出して幸せな気分のまま床に就いたのである。

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