第7話:望外の来訪者――上

 近づいてくるその姿がはっきりと識別できるようになるにつれ、心臓の鼓動がすこしづつ早まっていく。それは、近づいてきたのが男ではないと分かったからだ。


 しかし近づいてきたその女は、なぜかオドオドしていて様子がおかしい。見ていて面白いというか、どう対応しようかと頭を悩ませていると、その女は十メートルほど手前で立ちどまって、さらに挙動不審になった。


 その女、いや、少女といったほうがいいだろうか。彼女は顔を赤らめ、あたふたとなにかを言おうとしているようだが、相当恥ずかしいのだろうか言い出せないでいた。


 その様子を眺めてドキドキしていただけの俺が言うのもなんだが、なんか可愛い。レミーアにはすこし及ばないが、活発そうな顔立ちでサラサラ栗色のショートボブから飛び出たアホ毛がなんともいい感じだ。ハーレム計画を発動したくなる。


「あ、ああああ、あのッ。お話しさせてもらっても……」


 尻すぼみにそう言った少女の顔はますます赤くなり、短い藍色のスカートの先を両手で握りしめて、とうとううつむいてしまった。


 そかし、今はそんなことを悠長に観察している場合ではないのだ。


 それは神秘の領域が見えそうで見えないという、男子憧れの状況が、今まさに目の前に展開しているからに他ならない。けれども彼女のガードテクは、想像以上に固かった。だがその状況が男心に火をつける。


 見えそうで見えないその領域を妄想し、すこしづつ、すこしづつ身を低くしていく。体育座りの状態から不自然さが出ないようにゆっくり足を伸ばし、鍛えあげた腹筋にものを言わせて上体を少しづつ後ろに倒してみたが、ギリギリのところでやはり見えない。


「ココに座ったのは失敗だった」


 いまの位置関係からいって、丘の中腹あたりに腰かけていれば間違いなく拝めたはずだ。そう思いながらついつい心の声が漏れた。しかしさいわいなことに、その声は彼女には聞こえなかったようだ。


「あのッ!」


 しびれを切らしたかのように、少女は短く叫んだ。ヨロシクない妄想というか、目の前にあるはずの神秘に気を取られすぎた。これはいけないと正気を取り戻す。なにごともクールに決めなければ。


「あ、うん。もちろんいいですよ」


 少女がうつむいていたせいで、みだらな妄想も妖しい挙動も感づかれることはなかったはず。そう信じてすこしだけドキドキしていると、ほっとしたような笑顔で少女が近寄ってきた。いまだに彼女の顔は赤面している。


「わたし、江戸川結衣といいます。よろしければ狩りのこととか教えてもらいたくて。その、入植してきたばかりでなにも分からなくて、不安で……」


 彼女をじらすようなことはしないほうがいいだろう。冗談でも言ったほうがいいか? いや、ストレートに話したほうがきっと場が和らぐ。


「そうだったのか。俺はてっきり、愛の告白かと思ったよ」

「そっ、そんなことありません! わたしは狩りができるようになりたくて……」


 少女は最初憤慨してみせ、そして尻すぼみに思いを告げてきた。愛の告白じゃなかったことは残念だが、そんなことはほとんど期待してなかったからダメージはない。それよりも。


「あはははッ、冗談だよ。ああ、俺は三沢真治。真治って呼んでくれ」

「うふふっ、わたしのことは結衣でいいですよ」


 頬をプクッとふくらまし、その後微笑みかけてくれた結衣は、最初の印象よりもだいぶ可愛かった。話を聞いてみれば、モンスターハントがしたくて入植してきたのはいいが、いざフィールドに出てみると家でゲームをしていた時とは違って思い通りに体が動かず、怖くなってエンカウントしたスライムから逃げ出してきたそうな。


 そんなときスライムを倒しまくっているのを見かけて、遠くから観察していたらしい。狩りに集中してたから気づかなかったよ。


「それで勇気を出して声かけてくれたんだ」

「はい。ここで狩りをしてるってことは、真治君も入植してきたばかりなんですよね? それでも、あんなに上手く戦っているのを見たらつい」


 まぁ普通はそう思うよな。間違ってない。でも、この後もずっとココをメインの狩場にする予定だとは、彼女も思っていないだろう。


「……たしかに、俺が入植したのは五日前だ。けど、ここに来たのは今日がはじめてだよ」

「やっぱり。わたしは三日前なの。でも、はじめてでどうしてあんなに上手く戦えるの?」

「うーん、どうしてかって言われると……チュートリアルで練習バトルをしっかりやっていたから、かなぁ」


 今、小さな嘘をついた。


 たしかチュートリアルで練習バトルはやった。しかしそれはたったの一戦だけだ。俺が上手く戦えるのはゲームに対する慣れの部分が大きい。わざわざ嘘をついたのは、からかってみたかったという理由も無きにしも非ずだが、とある予想によるところが大きい。


「チュートリアル?」


 やっぱりだ。予想どおり結衣はチュートリアルをすっ飛ばしている。コテンと首を傾げた結衣の可愛さに、つい見とれてしまいそうになるが、自然体を装って冷静に答えることにしよう。


「その言い方だと、チュートリアルをすっ飛ばしたね。もしかしなくても、説明書とか読まないほうでしょ」

「はい……分かっちゃいますか?」

「その顔を見れば、ね」


 再びカアァァァっと赤くなった結衣は、うつむき加減で黙り込んでしまった。可愛いじゃねぇかコノヤロウ。いや、ヤロウじゃないか? 女の子が相手の場合なんて言えばいいんだろう?


「まぁ、なにはともあれ戦ってみればわかるよ。チュートリアルバトルの相手はここに出てくるスライムと同じだからね。実利も上がる実戦で練習しようか。まずは俺が戦いながら倒し方を教えるからそこで見てて」

「うん」


 すこし恰好つけてショートソード片手に立ち上がり、結衣の周りを歩きながら周回してエンカウントを待った。すると、一分もせずにスライムがポップする。


「スライムは攻撃してくる前に不規則に跳ねだすから、こっちから動くとダメージを喰らいやすいんだ。だからスライムが体当たりしてくるのをこうして待つ」


 直後、不規則な動きから体当たりを敢行してきたスライムを、ショートソードでたたき伏せた。結衣は真剣な顔でウンウンと頷いている。


「一撃では倒せないから、もう一回同じことの繰り返しだ。これを分かっていれば一回攻撃を当てたあとも冷静にスライムの動きを見ることができる。そして、飛びかかってきたらしっかり見てたたき切るッ!」


 二度目の攻撃が当たったスライムが、水滴となって飛散した。結衣は分かったようで分かっていない顔をしている。


「分かった?」

「うん? もう一回見せてください。おねがいしますっ!」


 結衣はそう言って腰から体を折り、頭を下げた。こんな可愛い顔で女子に頼られたら応えないわけにはいかないだろう。というかものすごく嬉しかった。ひとから、いや、美少女から頼りにされるのがこんなに嬉しいとは知らなかった。


 頭を下げたまま拝むようにしている彼女のリクエストに喜び勇んで応え、もう一回解説しながらすこしだけ動きがシャープになるように心がけてスライムを倒して見せる。


「次はやってみなよ。危なくなったら逃げればいいから」

「うん……やってみる」


 ショートソードを両手に持って、おっかなびっくりではあるが、ついさっき見せた手本と同じように歩きはじめた結衣の前に、さっそくスライムがポップした。さて、彼女の戦いぶりはどうだろう。じっくりと見定めさせてもらおうか。

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