第2話:ゲームの世界へようこそ――下


――ギフト:【アウクソーの戒め】


 ゲーム好きとして、ギリシャ神話にはなんども目を通していた。だからこそ湧きあがる不安感。アウクソーが春を司る女神なのはいいとして、彼女は万物の生長を支配する女神でもある。


「なんてことだ……」


 成長を支配する女神の、しかも祝福ではなく戒め。


 もう嫌な予感しかしない。いや、予感というよりは確信めいた絶望感。それでも冗談であってくれと願いを込めて恐る恐る文字をタップし、画面を切り替える。


【アウクソーの戒め】――バッドステータス”呪い”の一種。どれだけモンスターを倒しても、どれだけ訓練しても経験値を獲得できない。ただし、スキル獲得についてはその影響を受けない。消費アイテム【成長の扉】か【エリクシル】で解呪できる。


※【成長の扉】:入手イベントをクリアした者しか使用することができない。成長に関する呪いを解除し、レベルを強制的に10引き上げる効果がある。同時にレベル上限も100から110に引き上げられる。ただし、ひとり一回しか入手できない。バトルフィールドでは使用できない。


※【エリクシル】:購入可能なアイテム。入手難易度は【成長の扉】よりも遥に高い。強制的にレベルを1上げ、全ての状態異常と呪いを解除し、全回復する。どこででも使用できる。


「経験値が獲得できないって……」


 呟きながら思わず卒倒しそうになった。


 今のレベルは当然ながら1だ。呪いのせいでレベル上げは無意味。どれだけモンスターを倒しても経験値は獲得できない。ずっとレベル1の最弱ステータスで生きていくことになる。


 レベル制のゲーム世界でレベルアップを禁止されたら、それすなわち詰みだ。普通はそう考える。


「ククククッ、祝福。ハハッ、とっておきの祝福ね……って、ざけんな!」


 とは叫んでみたものの、呪いをかけたのが自分なのだから怒りのやり場がない。


 たしかにオリジナルとして生きていたころは、いわゆる縛りプレイというマイナーな遊び方が好きだった。その道では、結構名をはせているという自覚はある。いや、はせていたと言ったほうがいいか。


 もちろん縛りプレイといっても、いわゆる性的な意味での変態行為ではない。名誉にかかわることなので断言しておくが、決してない。


 ゲームでの縛りプレイとは、ゲームをあえて不利な条件下でクリアすることを楽しむ遊び方だ。つまり、今の状況に当てはめれば、レベル1の圧倒的低ステータス状態でイベントをクリアし、解呪アイテム【成長の扉】を入手せよ。ということだろう。


「状況が違うだろうが……」


 現実世界で生きていたころは、ゲームなのだから当然と言えば当然だが、自分の命に危険はなく何度もやり直しができる環境だった。


 通常プレイでできることをやり終えたのちに、縛りプレイに興じるというのが楽しかったのだ。なんども失敗してはやりこんでゲームに慣れ、十分な知識と操作技術を身につける。その後さまざまな手段を駆使して極限条件下でクリアする。今まではそうやって遊んできた。


 一般的なコアユーザーはゲームキャラを極限まで成長させ、すべてのアイテムを集めたりして最強キャラを育て上げる。しかし、縛りプレイのだいご味はプレイヤー自身の強さ、上手さにおいて最強を目指すことにある。


 言い換えれば、縛りプレイとは最強のプレイヤースキルを身につけることに喜びを見出す遊び方だ。


 けれども今回は初手からレベル1に固定されるという、おそらくは、恐ろしく過酷な条件下で生きていかなければならない。


 この世界がゲーム世界だということは、もちろん理解している。しかし。


「危険のない所から自キャラを操作して遊ぶのとはわけが違うのだよ」


 と、オリジナルにこんこんと言い聞かせてやりたい気分だコノヤロウ。


「もう俺はこの世界から抜け出せねぇんだぞ!」


 そこにきてこの呪いだ。


「なにが祝福だ」


 いくら縛りプレイ好きだったからといって、ゲーム世界でその根幹となるであろう成長システムに、初手から制限をかけるのはやりすぎだと思った。現実世界で大人になったオリジナルを、おもいきり殴り飛ばしてやりたい。そう思えるほどに。


 この世界が人の手によって作られ、ゲーム世界を再現していることは重々承知している。登録時の説明でもそれは明らかだった。


 そしてゲーム世界だからこそ、そんな世界で生活することにあこがれたからこそ、第二の人生とも呼べるこの世界に登録し、こうして復活したのだ。


 それがよりによって、いきなりのレベル制限。


 しかも初期レベルとくれば、その絶望感は半端ないものだ。ゲーム世界を楽しめるという希望はみじんに打ち砕かれた。


「…………」


 しかし待てよと考える。大人になったオリジナルは、なにを考えてこんな過酷な制限を自分のいわば分身に課したのだろうか。


 遺言には、悔いが残っているような言い回しがあった。ただ単に大人になってから、ゲームをやりこむことができなくなったのだろうか。それとも、この過酷な条件をクリアできれば破格のご褒美でももらえるのだろうか。


「いや」


 オリジナルの性格からして、それ――破格のご褒美――は絶対にない。しかし、歳を取って性格が変わった可能性は……。


「ないな」


 たとえ現実世界と通信ができたとしても、オリジナルは死んでしまっているのだからどうしようもない。理由を聞くことなど未来永劫できやしないのだ。


 

「いっそこのまま、この世界から俺の存在をかき消してもらおうか」


 今の気分では否定的な考えしか浮かんでこない。それくらいには気が滅入っている。考えを巡らすことすら億劫になってきた。憔悴しきっていると言い換えてもいい。


「…………」

『チュートリアルを終了しますか?』


 絶望感にうちひしがれ、憔悴しきっていた頭のなかに催促の声が響いた。機械的で無機質なアナウンスに怒りすら覚えるが、皮肉を言う気力すら湧き上がってこない。むしろ、いたたまれない孤独感が襲ってくる。


「…………」

『チュートリアルを終了しますか?』

「……ああ、すまない。もう少し続けさせてくれ」

『了解しました』


 現実味がない無機質なこの空間が、孤独感をより強めていく。が、うじうじ考え込んでも仕方がないと気力を振り絞る。


 たとえレベル1でも、生産系とかだったら未来はあるかもしれない。


 商売や内政系だったら活路が見いだせるかもしれない。


 そういうふうに、無理やり前向きに考えることにしよう。そうでもしなければ、読み続けることさえできそうになかった。


「でもな」


 それでも、せっかくゲーム世界に来たのだから、モンスターとのバトルには興味がある。いや、バトりたい。


 爽快なバトルは、恐らく楽しむことが出来ないだろう。世界中を冒険し、強敵とバトルすることもできないだろう。もしかすると、低レベルのモンスター相手でさえ、苦戦するどころか勝つことさえできないかもしれない。


 そんなことを考えながらも読み進めていく。


 なに気なく目に映った、バトルに関する項目をタップした。たとえ無理だと理解していても、モンスターとのしびれるようなバトルにあこがれている自分がいたのだ。不憫に思った神さまかなんかが、ご褒美でもくれないだろうか。


「そんなことあるわけ無いか……」


 あきらめ気分で読み進めていくうちに、しかし一筋の希望を見出すことになる。


 それは、絶望感をぬぐいさるに十分なものだった。いや、一筋の希望どころの騒ぎではなく、それはまさに煌々と輝く希望の光だった。その言葉は神からもたらされた恩恵に等しい。まさに神の恵みだ。


「デスペナルティ」


 あぁ、何と甘美な響きだろうか。思わず声に出してしまったが、その項目を見つけたとたんに狂喜の感情が膨れ上がった。


 デスペナルティが存在する。


 ただそれだけで、ダダ下がりだったテンションが一気に爆上げ状態だ。それが存在するということは、この世界ではバトルにおいて死んでしまっても復活できるはずだ。いや、はずではない。できると断言しよう。


 いかにもゲーム世界らしいが、デスペナルティがあるということはそういうことだ。


 それはまさに宝物を見つけた少年になったような気分だった。希望の光に向かって邁進していこうという逸る気持ちを抑えながらも、テキストを読み進めていくまなこに力が入るのを抑えられなかった。


 デスペナルティ――バトルにおいて戦闘不能になった場合は教会で復活する。そのさい、ペナルティとして所持金十分の一、余剰経験値消失、未使用スキルポイント消失、レベル半減(小数点以下切り上げ)が課せられる。


「やっぱりだ」


 ちゃんと復活できる。それが確認できただけで今は十分。そもそもレベル半減なんて、普通に考えればあり得ないほどに厳しいペナルティだ。しかしそんなことは些細な他人事だ。


「これ以上、下がりようがないしな」


 ニヤニヤが止まらないのが分かる。というかレベル半減など、高レベルの者にとっては一回でも喰らえば立ち直れないような過酷さだだろう。


 けれども、レベル1から成長できない身の上だ。余剰経験値消失とかレベル半減は、なんの意味もなさない。むしろデスペナルティは恩恵であって罰ではない。


「やり直しが効く」


 言い換えれば、なん度でも挑戦できるということ。死ねば終わりのデスゲームなどではない。今はそれだけで十分だ。


「せっかく俺はゲーム世界の住人になったんだよ。なのにモンスターとバトルしないなんて考えられねぇよな」


 ついさっきまで絶望の淵をさまよっていたことなど、すっかり忘却の彼方に追いやり、食い入るようにテキストを読み進めていった。


 よくよく考えてみれば、絶対にクリアできないようなゲームバランスを自分の分身? に押し付けはしまい。と、冷静に思考できるまでになっていたのである。


 チュートリアルメニューの中には練習バトルとかも存在していたが、それ自体はいつでもどこでも何度でもできるようなので後でやってみよう。


「それよりも」


 気持ちに余裕が出てきた今は、この世界を早く見てみたいという欲求のほうが強くなっていた。死んでも復活できるのだ。レベル1でも工夫次第でバトルを楽しめるだろう。


 低レベルの身で圧倒的レベル差の強ボスを倒す。不可能を可能に変えた時の、湧き上がるような達成感。それを得ることこそが、縛りプレイのだいご味なのだ。


「あの感じをもう一度味わえる」


 縛りプレイでの経験をふまえれば、そう確信させるだけの情報を得ることができたのは大きい。


「まぁ、そう簡単にはいかないんだろうけどね。とりあえずはこんなもんかな。街の様子も見てみたいし」


 メニューから目を離して天井を見上げると、なにもなく真っ白なはずなのに光り輝いているように見えた。それは明らかに錯覚だが、今の晴れやかな心の現れなんだろう。


『チュートリアルを終了しますか?』

「ああ、終了してくれ」

『チュートリアルはメニューの中にも存在しますので、どこにいても行うことができます。それでは、ゲーム世界プレジャーガーデンで第二の人生をご堪能ください』


 音もなくスクリーンが消え去り、正面の壁に金色のドアノブが付いた木の扉が現れた。あの向こうに新しい生活が待ち構えている。それが過酷なものになることも分かっている。それでも気分は初春の陽気のように晴れやかだった。


「初期レベル攻略……やったろうじゃねぇか」


 こうして、地味で無謀で過酷で修行僧のようなバトル生活が幕を開けたのである。

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