第3話:ようこそプレジャーガーデンへ――上
真っ白い部屋の壁に出現した扉のドアノブに手を掛け、ゲーム世界――プレジャーガーデン――に飛び出した。
襲い来る光のきらめきと爽やかな風の感触。かすかに聞こえてくる喧噪。視覚いっぱいに広がる雑多な構造物や遠くに見える人影。そのどれもが生きた世界を実感させてくれる。
そこは総大理石造りの神殿だった。床には二メートル四方に切り取られた光沢のある大理石が敷きつめられている。周囲には直径一メートルはあろうかという巨大な大理石の柱が、何本も並んで直立しているのが見える。
天井は見あげるほど高い。外からは明るい自然光が差しこんでいて、神殿の中央には大きな泉があった。さらにその中央の小さな浮き島には、女神だろう人物を模した白い石像が微笑みかけている。
泉の前には、女神像の正面には両膝をついて手を胸の前で組み、頭を下げて祈っている少女がいた。白い修道服を身につけた淡く柔らかそうな金髪の、その少女が立ち上がるのを見て思わず走り寄る。
「あの、すみません。すこしいいですか?」
「はい。なんでしょうか?」
振り向き、柔らかく微笑んだその人は、十五、六に見える可愛い少女だった。その顔、可憐な雰囲気はまさにストライクだ。それはもうど真ん中。ぜひとも親密な関係になっていただきたい。
けれども、今はもっと優先すべきことがある。このまま食事にでもお誘いしたい想いを、断腸の思いで断ち切った。
「ここはどこでしょうか? 街にいくにはどうすればいいのですか? もしよろしければ連れて行ってくださると助かるんですが……」
一瞬怪訝な顔をした少女だったが、すぐに柔らかい微笑に戻った。ただし、張り付けたような笑みだったのは、すこしだけ下心が言葉に出てしまったせいだろう。己の節操のなさに嫌気がさす。
「新規入植者の方ですね。ようこそプレジャーガーデンへ」
が、なんとか顔には出さずに踏みとどまり、鋼の意思で無表情を装う。なにごとも第一印象が大事だ。クールなイメージを刷り込んでおかなければ。
「ここは復活の神殿。あなたさまのような新規入植者や、戦闘不能になったお方が復活なさる場所です。そして、ここ復活の神殿は、はじまりの町とも呼ばれるサンシティの中央にあります」
願望は鮮やかにスルーされてしまったようだが、どうやら街へ行くにはフィールドに出る必要はないらしい。
「ありがとう。それからもうひとつ。宿屋とかはどの方向にありますか? 不案内なもので道順とか教えてくださると助かるんですが」
「街の南側が商業区になっています。宿屋は商業区に多くありますよ。不案内な方でも直ぐに見つけられますからご安心なさってください」
うーむ、ガードが堅い。いやいや焦りは禁物だ。今はこうやって話してもらえるだけで十分と考えよう。できれば少しでも印象を引き上げておきたい……。
「ありがとうございました。三沢真治といいます。よろしければお名前をお聞かせください」
気の利いた冗談でも言って少しでも印象を引き上げておこうという思いよりも、悲しいかな欲求の方が強かったらしい。思わず口をついてしまった自己紹介に、すこし自己嫌悪気味だ。
「どういたしまして。わたしは佐伯レミーアです。ここ復活の神殿でシスターを務めておりますので、なにかおありでしたら、またお声かけ下さいね」
笑顔でそう言ってくれたレミーアに感謝しなければ。それに、素直に名前を教えてくれた彼女に思わず惚れ直した。
「ええ、そのときはよろしくお願いします。では」
軽くお辞儀をし、努めてクールに、それでいて自然体を装って復活の神殿を後にした。
これからの生活を考えれば、ここの常連になることは疑いない。レミーアとは少しずつ親密な関係になれればいいさ。
焦ることはないのだ。焦ってアタックして嫌われでもしたら立ち直れそうにない。ならば、節操のないこの口を、もうすこし理性で縛り付ける訓練でもしておいたほうがいいかもしれない。
想いも新たに神殿を出た。南に向かって広大な広場を街へと歩く。
目の前に広がる光景は、まさに西欧ファンタジーそのもの。腰に帯剣した革鎧姿のイケメンが闊歩し、西欧風の街並みを背景にした広場は見目麗しい女たちによって華やいでいる。しかし違和感がひとつ。
「やけに黒髪が多いな。というかほとんど日本人じゃん」
日本人が作ったゲーム世界だからそれは当然なのかもしれない。それに……。
「まぁ俺もそうだしな」
そう口にしながらも己の姿が脳裏に浮かぶ。平均的な身長。母親似の女顔。髪は少し茶色がかってサラサラしている。「男の娘みたい。コはムスメのほうね」と女友達に言われたのがきっかけで、髪はいつも短めにカットしてもらっていた。
そんなことはまぁどうでもいい。注意深く街を見渡すと金髪碧眼も見かけないことはないが、数はやはり少なかった。しかし、日本人が多いことに不平を言うつもりはみじんもない。いや、むしろホッとする部分のほうが多いと思えた。
「そんなことはさておいてだ」
入植時に所持金があることは確認できている。その額は十万円。単位が円なのは、日本人が創った世界だからだろう。ファンタジー感より実用性重視なところは嬉しいかぎりだ。物価は現実世界より若干安いとヘルプに書いてあった。
現時点で現実世界の物価がどうなっているのかは分からないが、そんなには変っていないと思う。それよりも、まずは宿を決めてこれからの計画をたてようかと考えている。
しばらく広場を歩いて振り返ると、神殿の造形がローマ建築だと分かった。神殿は円形の大きな広場の中央に建っている。広場は小高い丘のようになって芝が植えられ、ところどころに樹木と、木陰に入るように木製のベンチがセットで配置されていた。
「雰囲気でてるな。なんかワクワクしてきた」
神殿の正面からは幅十メートルほどの石畳の道が広場を超えて伸び、直径一キロメートルはあろうかという円形の広場の周囲にも沿うように道が走っている。
神殿の正面から延びる道の両脇には、人が行き交う歩道と街灯と三階建て程度までの赤レンガ造り建物が並んでいて、道には少ないが馬車が行きかっている。
大通りの右側の歩道を歩きながら左右を見回し、宿屋を探す。この世界の交通ルールを理解しているわけではないが、日本人ならば右側を歩くべきだろう。
別にこだわっているわけではないが、他人様からは几帳面な性格だとたまに言われていた気がしないわけでもない。歩道だから気にする必要はないのだろうけれど。
「あれかな?」
三十分ほど歩いたところで宿屋らしき建物を見つけた。途中で道具屋だの武器屋だの食事処だのが目に入ったが、宿を探すことを優先していたので寄り道などはしていない。開け放たれた入り口の上にかかる木の看板には『あさつゆの宿』と書かれているから間違いなく宿屋のはず。
少し緊張して中に入ると、むき出しのレンガの壁に木製の床板、古めいたテーブルや椅子が目に入る。大通り沿いなのに見た目はまんま場末の安宿だった。
奥にカウンターがあって、左側に階段、右側には胸ほどの高さの衝立の向こうにテーブルが並べてある。今が午前中だからだろうが、人が少ない。カウンターには白髪の女性が座っている。七十歳くらいだろうか。
「二、三日泊まりたいんですが、一泊いくらですか?」
「シングルなら三千円、食事は別料金だよ。シングルなら空いているから泊まってくかい?」
「はい、とりあえず三泊でお願いします」
カウンターに埋め込んであるタッチパネル式のスクリーン。サイズはA4横程度のメニューの中から払込みを選択すると、金額を打ち込む欄が表示される。そこにアラビア数字で九千と打ち込み、確定と書かれたボタンをタッチしてお金を払いこんだ。
本人の認証というか識別はこの世界の母体となっているコンピュータが勝手にやっているので、カードも必要なければサインも必要ない。
「さすがにゲーム世界だ。便利だよな」
「なに言ってんだい。そんなこと当り前じゃないか。こう見えても、あたしゃハンター上がりなんだよ。レベルも50さ」
そう言ってカハハと笑う老女になごむ。きっと彼女も、若いころはバリバリにモンスターを狩っていたのだろう。今は老後を楽しんでいるってところか。
この世界では、お金を持ち歩くことがない。モンスターを倒して得たお金や、アイテムを売って手に入れたお金は、自動的に所持金となってメニューの所持金欄で確認できる。
払いこみも自動的に所持金から引き落とされるようになっている。譲渡や貸し借りも互いのメニュー欄からできるし、やろうと思えば捨てることもできるようだ。
デスペナルティーをうければ、この所持金が十分の一になるのだろう。ただし、この世界には銀行もあって、そこにある端末を操作すれば所持金を預けることができるらしい。
この、銀行に預けられたお金はデスペナルティーの影響を受けない。バトルフィールドに出る前には全ての所持金を銀行に預けておいた方がいいだろう。
「部屋は二〇一号室だよ。そこの階段を上がって一番奥の部屋さね。朝食は別料金だが、食べるなら朝六時半から九時半までだからね」
「分かったよ。ありがとうおばちゃん」
「うれしいこと言ってくれるね、あんちゃん。あたしゃもうおばちゃんって歳でもないよ」
ニコやかに笑顔で礼を言って、ご機嫌な様子の老女が座るカウンターを離れた。なにごとも第一印象が大事である。階段で二階に上がり、廊下を歩いたつきあたりの部屋のドアを確認すると二〇一と書いてあった。
その部屋に入り、とりあえずベッドに腰を下ろす。部屋の広さは三畳ほどで、ベッドのほかには小さなテーブルと椅子があるだけ。お世辞にも清潔な部屋だとは言えないだろう。気にはしないけどな。
「さぁて、なにからはじめようか……」
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