第9話:苦行の終わり――上
「真治君おはよう」
「おはよう結衣」
翌日からは約束どおり、結衣とともにスライム討伐行脚に勤しむこととなった。日の出とともに起床し、準備を整えてから街の南門で彼女と合流する。二人でスライムの丘まで徒歩で向かい、ひたすら歩き回るのだ。
もちろん結衣とは二、三十メートルほどの距離をあけているわけだが、どちらもソロで狩りを行っているからだ。ここスライムの丘では、単独でしかスライムがポップしない。パーティーを組むと、稼ぎの効率が半分になってしまうのである。
そして月日は流れる。その期間がどれだけ苦しいことであっても、辛いことがあっても、必ず月日は流れる。
それはまさに苦行と呼べるものであった。来る日も来る日もスライム。寝ても覚めてもスライム。ルーチンワークが苦手なこともあって、こうも毎日同じことを繰り返すということは、苦行以外のなに物でもなかった。
毎日毎日規則正しく繰り返される、まさに修行僧の苦行である。ときには息抜きで遊んだりもしたが、過ぎると戻れなくなってしまうう。だからほどほどに抑えたのが余計にダメだったのかもしれない。
スライム討伐行脚をはじめた最初のうちはよかった。結衣もそうだが、戦いにおける見切りや、体の動かし方が、次第に研ぎ澄まされていくのを実感できたからだ。一か月ほどで実際に【速足】を習得できたし、もちろん彼女にも勧めて習得させた。
予定外だったのは”素早さ”を上げることができる、とあるアクセサリが非売品で、いくらお金をためても入手不可能だと分かったことである。これはただ単に、アクセサリ一覧表の行を一つ間違えて見ていたからなのだが。
それはいいとして、それ以降が最悪だった。それからの五か月は前述のとおりの苦行である。心の支えになったのは新しく取得するスキルと、攻撃を喰らうことがほとんどなくなったおかげで少しずつたまっていくお金、それに、結衣との会話だった。彼女のおかげで、レミーアにストーカーまがいの迷惑行為をする必要がなくなったのは幸いだ。
しかしこの苦行は、ハンターを志す者ならば避けて通れない通過儀礼でもある。それ以外でこの苦行を繰り返すのは、職にあぶれた一般人くらいのものだろう。ハンターたるもの、ちょっとやそっとの気力体力精神力では務まらないのだ。
それでも、これから先の凶行というか、傍から見れば無謀極まりない挑戦の数々を考えれば、スライムを半年の間狩りつづけるといった苦行は、ほんの序章にしかならないと理解しているつもりだ。
「やった、やったよ真治! とうとうレベル4に上がったよ」
「おめでとう結衣」
「でも……真治はレベル上がらないんだよね」
そう言って悲しそうな顔をする結衣。この頃になると、彼女とはたがいに呼び捨てで話すようになっていた。かといって関係が進展しているわけではない。友達以上恋人未満といったところだ。
そして結衣には、ギフト【アウクソーの戒め】のせいでレベルアップできないことも知られてしまっている。それでもパーティーを組んでくれるというのだから、彼女には頭が上がらない。
「結衣が気にすることじゃないさ。これでも俺は成長してるんだし、スキルも増えた。それに、大きな目標もある」
「でも、ハンター続けるって本気なの?」
「ああ本気さ。本気じゃなけりゃこんなことはやってないよ。とっととほかの職に就いてる」
信じられないものでも見るように目を丸くしている結衣。呪いを解呪するという目的のために頑張っているということは常々話してきたから理解していると思っていた。しかしどうやら、冗談かなにかと思っていたようだ。
「それにしても、ホントに俺なんかでいいのか?」
「あたり前じゃない。真治がいなかったらわたしなんて……」
「ありがとう結衣」
三人から五人でパーティを組んでボスモンスターと戦ったり狩りをしたりするのがこの世界での常識だ。ソロ限定のボスモンスターも存在するが、基本はパーティで攻略するように戦闘バランスが調整されている。
ちなみに、スライムの丘での戦績はというと、残念なことに、とは言えないだろうが、いまだ一度もバトルで戦闘不能になったことがない。まぁ、スライム相手に戦闘不能になることなんて、まずあり得ないんだけどな。
だからといってはなんだが、レミーアとは最初に会ったとき以来会話ができていない。今の結衣との関係が気に入ってしまっているから不満もないが。
それはさておき、半年にわたる苦行の成果は、五十万円を超える貯金と【ポーション】と【ミドルポーション】をそれぞれ九十九個ずつ、それから、【速足】と派生形の【俊足】さらに派生した【音速】最終派生形の【超速】、盗賊スキルの【警戒】と、防御スキルの【防御】を取得したことだった。
【俊足】と【音速】を使うことはたぶんないが、【超速】はムシュフシュと戦う上では必須のスキルである。結衣はというと、【速足】を取得後、バランスよく四つの別系統スキルを獲得している。
これでようやく、ムシュフシュ戦で必要なものをひとつ入手したことになる。そう、まだたったのひとつだ。まだまだ先は気が遠くなるほど長いし、こんなところで立ち止まるわけにもいかなかった。
ともあれ、最初の関門――ハンターになりたいなら必ず通過しなければならないが――を突破したことを記念して、結衣がレベル4に上がったところで、まだ昼前に今日の狩りは中止することにした。
スライムの丘で入手できる攻略に必要なものは一週間前にすべて揃っていたが、あと少しで結衣がレベルアップしそうだったから今日まで付き合っていたのだ。
「よし、今日はお祝いだ。約束どおりどこかで祝賀会をしよう」
「行きたいところは決まってるんだ。案内するね」
ルンルン気分の結衣に連れていかれたのは、おしゃれなケーキ屋さんだった。商業区の目抜き通りにあるその店に入ると、結衣はさっそく店員を呼んでケーキを注文していた。
本当は結衣の復活記念日に食べたかったらしいが、スライムの丘を卒業できたことがあまりにも嬉しくて、今日そのケーキを注文することにしたそうである。言葉にすることはなかったが、彼女にとってもスライム行脚は苦行だったに違いない。
「俺も同じものをください」
甘いものは嫌いじゃない。だから結衣が心待ちにしていたといいうケーキを食べたくなった。結論から言うと、そのケーキはかなり美味しいもので、彼女も大満足のようだ。
「上品な甘さで美味しいよね」
「うん、俺も好きだなこのケーキ」
「ところでさ、真治はこれからどうしたいの?」
「そのことなんだけどさ、買おうと思っていたアクセサリが非売品だったんだよ。勘違いしていた俺が悪いんだけど。それでさ、代わりになるものを手に入れようと思うんだ」
痛恨の見間違い、というほど大げさではないが、精神的にかなり痛いのは事実だ。その見間違いのせいで、倒さなければならないボスモンスターが一体増えてしまったと感じるのは間違いだろうか。
「なにを手に入れたいの?」
「足軽の靴っていうんだけど――」
【足軽の靴】は”素早さ”を上げてくれる靴である。非売品であり、『大鷲』というボスモンスターがドロップするアクセサリに分類されている。アクセサリといっても普通に足に履く靴なのだが、”素早さ”を2底上げするる補正がかかる珠玉の逸品である。
「その大鷲ってどんなモンスターなの?」
「レベル10のボスモンスターさ」
「えっ!? レベル10のボスなんてわたしたちだけじゃ倒せないよ……」
結衣の反応は一般的なハンターなら至極当然のものだろう。しかし、縛りプレイ愛好家にとっては小手調べにちょうどいいレベルの対戦相手だ。
「結衣は戦わなくていいんだよ。大鷲戦はソロ限定だから俺一人で戦わないといけないから」
「そんな! レベル10のボスを真治ひとりでだなんて余計無茶だよ」
大鷲と戦う推奨レベルは15以上。デスペナルティが強烈だから、かなり安全側に振られたレベルで挑むことが常識になっている。
「大丈夫さ。作戦はもう考えてあるんだ。それに、俺の目標はレベル50のイベントボスを一人で倒すことなんだから。レベル10の大鷲なんかでつまづいていられないんだ」
「そんな……」
呪いのせいでレベルが1から上がらないことを知っている結衣は、悲壮な表情で絶句してしまった。
「ムシュフシュっていうんだけど、そいつがドロップする【成長の扉】っていうアイテムでしか俺の呪いは解けないんだ。そして、ムシュフシュ戦もソロ限定バトルだから」
本当は【エリクシル】というアイテムでも解呪できるが、値段が二億円以上するうえに数年に一度しか市場に出回らない。そんな幻のアイテムは無いのと同じだ。
「……でも、レベル50だなんて、絶対に無理だよ」
「そんなことないさ、レベル1でも倒せる方法はあるはずなんだ。そしてその方法もだいたいは考えてある。俺はムシュフシュにレベル1で勝つために必要なものをこれから集めなくちゃならないんだ」
「…………」
レベル制のこの世界では結衣が言っていることは誰もが納得する常識だろう。ソロ限定バトルのムシュフシュ戦推奨レベルは、攻略法が確立しているのにも関わらず60にもなるしな。
「無理して付き合ってくれなくてもいいんだよ」
「……わたしも手伝う。手伝わせてよ真治」
まだ無理だと思っているのだろうか、結衣の表情はすぐれない。それでも彼女は、涙ぐんだ顔に決意じみた色を浮かべて手伝ってくれると言う。その気持ちは正直嬉しかった。と同時に俺なんかに付き合ってくれて貧乏くじを引かせてしまったなと、すまないと思う気持ちでいっぱいになった。
「ありがとう。結衣」
せっかくの祝いだった席が、しんみりとした雰囲気になって、少し早まったかと後悔している。結衣に本当のことを――ムシュフシュを倒すということ――打ち明けるのはもう少し後になって、たとえレベル1でも工夫次第で高レベルモンスターに勝てるということを見せてからでも遅くはなかったかなと。
「結衣、辛気臭いのは無しにしよう。俺はまだこのケーキを食べたいんだ。注文してくれるか?」
「うん。わたしも食べる」
涙ぐんでいた結衣は、振り払うような笑み見せてくれた。そんなけなげな笑顔を見ていると、守りたいという気持ちになってくるのはなぜだろうか。いずれにせよ無謀なことに付き合わせてしまうのだから彼女のことは意地でも守り抜くつもりだ。
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