第29話
千紗ちゃんの恋は、いつだって、完璧なまでの上書き保存だった。
電車の彼とは順調に進み、無事付き合えることになった日の翌日、千紗ちゃんは長かった髪をいきなりショートボブにしてきた。彼が短い髪が好きだと言ったらしい。
化粧も、しているのかしていないのかわからないぐらいの薄いものに変えた。彼がナチュラルメイクが好きだと言ったらしい。
その日から千紗ちゃんは、授業中でもスマホをいじるようになって、しばしば先生から注意されていた。学校を途中で抜けたり休むことも増えた。
そんな千紗ちゃんの行動は、ますますクラスメイトからのひんしゅくを買っていたけれど、千紗ちゃんはまったく気にしていないみたいだった。頭の中は彼氏のことでいっぱいで、それ以外のことなんて考える暇もなかったのだろう。
千紗ちゃんはいつだって、恋をするとその人のことしか考えられなくなる。
だから当然、付き合えば毎日会おうとするし、連絡も毎日どころか毎時間取り合わなければ気が済まなくなる。相手も千紗ちゃんと同じぐらいの熱量で付き合う人ならいいのだけれど、たいていはすぐに温度差ができる。
「もう30分も返信ない……」
昼休み、千紗ちゃんはそんなことをぶつぶつ呟きながらスマホと睨めっこしていて
「ご飯、食べなくていいの? 昼休み終わるよ?」
気になって声を掛けると、千紗ちゃんはスマホから視線を動かすことなく、うん、と頷いた。
「今日は食べなくていいやー。なにも買ってないし」
「え、大丈夫? パンいっこあげよっか?」
「いいよいいよ、こたちゃんが足りなくなっちゃうでしょ。わたし、あんまりお腹すいてないから大丈夫。ありがとね」
あっけらかんと言いながら、千紗ちゃんの指先はさっきから忙しなく画面の上をすべっている。彼氏へ追撃メッセージでも送っているのだろう。
思えば、昨日も千紗ちゃんは昼休みスマホをいじってばかりで、なにも食べていなかった気がする。明日は千紗ちゃんの分のお弁当も作ってきてあげよう、なんて僕は頭の隅で考えながら
「彼氏から返事こないの?」
「うん。30分も前に送ったのに。向こうも昼休みのはずなのに。おかしいよね」
「……そうだね」
浮気でもしてるんじゃないかな、これだから他校は嫌なんだよね、なんて強張った横顔でぼやく千紗ちゃんを眺めながら、またそろそろ終わりそうだなあ、なんて僕はぼんやり思う。
あれから千紗ちゃんは、何度か恋をして、何人かの彼氏ができた。
千紗ちゃんは可愛いし積極的だし、付き合うところまではわりと難なく進める。だけど問題はそのあとで、たいてい彼氏のほうが千紗ちゃんのテンションについて行けない。毎日のように会おうとしたり、四六時中連絡をとろうとする彼女に疲れて、けっきょく三ヶ月ももたず別れてしまう。
「あのね、こたちゃん」
「うん?」
「わたし、振られちゃったー……」
千紗ちゃんのほうを見ると、彼女はうつむいて、じっと自分の膝を睨んでいた。
ゆっくりとその頬が上気して、やがて目からぽろぽろと涙があふれ出す。
「わたし、なにが悪かったのかな?」
「なにも悪くないよ」
僕は手を伸ばして、千紗ちゃんの背中に触れると
「ただ、相性が悪かっただけだよ。次はうまくいくよ」
震える背中を撫でながら、いつものように優しい言葉をかける。
何度目だろうか、とぼんやり思う。
しばらく泣いたら、また千紗ちゃんは次の恋をするだろう。そうしたら、僕はまたその恋を応援する。付き合えることになったなら祝福して、きっとまた三ヶ月ももたずに振られる彼女を慰める。千紗ちゃんは悪くない、と、彼女が聞きたがっている言葉をあげる。
彼女はそれを、日常だと思ってくれればいい。与えられて当然のものだと、思ってくれればいい。ありがたがってくれなくていい。なにも返してくれなくていい。
僕からの好意なんて、空気みたいなものでいい。そこにあって当たり前のもの。
だけど、なくなったら死んでしまうぐらいの。そんなもので、いい。
千紗ちゃんの、薄っぺらな「好き」なんていらない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます