第22話

 大ホールはほぼ満席で、僕たちは後ろの空いたスペースから立ち見をしていた。

 今は男女混じった五人組のバンドが演奏している。歌っているのは、恋する女の子への応援歌らしい、ポップな曲。聴いたことのない曲だった。オリジナルだろうか。

 僕はこういうライブでの楽しみ方がいまいちわかっていなかったけれど、隣の栗崎さんが曲に合わせて手拍子をしていたので、それに倣うことにした。

 バンドは似たような感じの曲を五曲ほど演奏したあとで、舞台袖に下がった。代わって、今度はトランペットやサックスを手にした四人組が出てきた。ジャズ研究部だと自己紹介をした彼らは、カフェで流れていそうな、おしゃれな曲を奏で始める。


 スマホが震えたのは、彼らが一曲目の演奏を終え、やっぱり似たような感じの二曲目に入ったときだった。確認すると、千紗ちゃんから『着いたよ、今どこ?』というメッセージが届いていた。

 僕は大ホールにいることを返信してから

「今、千紗ちゃんもここ来てるって」

 と、隣の栗崎さんに報告しておいた。

「え、あ、そうなの?」

 手拍子を止め、栗崎さんが僕のほうを見る。その表情はほんの少し強張っているようにも見えたけれど、僕は気づかない振りをして

「僕が誘ったんだ。家でごろごろしてるっていうから、日曜日ぐらい外においでって」

「そうなんだ。今どこにいるって?」

「今大学に着いたところみたい。大ホールにいるって送ったから、そろそろ来るんじゃないかな」

「そっか。じゃあ待っとかなきゃね」

 どこか押し出したような笑顔を見せてから、栗崎さんは前を向き直った。


  だけどジャズ研が三曲目の演奏を終えても、千紗ちゃんは現れなかった。

 僕たちは扉のすぐ側にいるので、誰かが入ってきたらすぐに気づける。扉が開くたび振り返って見るのだけれど、毎回見知らぬ顔だった。

 それでもしばらくは待っていたのだけれど、ジャズ研が五曲目の演奏を終えたところで、大学のサークルによる音楽ライブはすべて終わったようだった。次は、人気の芸人によるお笑いライブに移るらしい。こちらのライブは前もって配布してあった整理券が必要ということで、ホール内の観客はいったん外に出るようアナウンスがされた。


「千紗ちゃん、遅いね」

 栗崎さんが辺りを見渡しながら、心配そうに呟いた。相槌を打ってから、僕はスマホを取り出す。千紗ちゃんからの連絡はない。

「途中でどこかの展示でも見てるのかな。ちょっと電話してみる」

「うん」

 だけどそのとき、黄色いジャンパーを着た実行委員から、早く出るよう注意された。

 短く謝ってから、僕たちは追い立てられるようにホールを出た。


 次のお笑いライブの客なのか、大ホールの外は大勢の人でごった返していた。

 とりあえず人混みを抜けようと、かきわけるようにして外を目指す。建物の外も人は多かったけれど、少しは歩きやすくなった。大ホールへ向かう人の流れから外れるため、隣の校舎のほうへ移動する。そうしてそこで、あらためてスマホを開きかけたときだった。



 少し離れた位置から、なにかが落ちる物音と、悲鳴のような声が響いた。

 一瞬喧噪が止んで、その場にいた全員の視線がそちらへ飛ぶ。


  あったのは、校舎を二階でつなぐ渡り廊下に設置された、外階段。

 その下に、うずくまる人影が見えた。階段の近くにいた人たちが、弾かれたようにその人影に駆け寄る。「大丈夫?!」という切羽詰まった声が次々に上がるのが、こちらまで響いた。


「え、なになに?」「誰か落ちたの?」周りで、ざわざわとそんな声が広がる。誰もが状況を確認しようと、首を伸ばして階段のほうを眺めている。

「え、なんだろ。大丈夫かな」

 栗崎さんもつま先立ちになってそちらを眺めながら、不安げに呟いた。

 そのとき

 

「――五十嵐くんだ!」

 ふいに、近くにいた誰かが叫んだ。

「あれ、五十嵐くんだよ!」

 振り返ると、女の子が青い顔をして階段の下にいる人影を指さしていた。

 その声を皮切りに、周りの喧噪がいっそう大きくなる。とくに女の子たちの悲鳴のような声が。「え、五十嵐?」「あ、ほんとだ! 英次じゃん!」「うそ、大丈夫かな?!」

 見ると、たしかに彼の来ていた黄色いジャンパーと、少し癖のある茶色い髪が、ちらっと見えた。

「え、五十嵐くん……?」

 隣で、栗崎さんが強張った声で呟く。


  僕は咄嗟に、階段の上へ目をやっていた。

 誰もが階段の下の怪我人を見つめている中、一人、いた。

 背を向けて立ち去る、小柄な女の子。毛先をふわりと巻いた、セミロングの髪。五十嵐くんのために買ったのだと、あの日彼女がうれしそうに見せてくれた白いワンピースが、逃げるように人混みの中に消えていった。

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