第8話
ぱしん、と頭を軽く叩かれて振り返ると、萩原がいた。
「こたろー元気かー」
千紗ちゃんと別れてから、萩原がやたら絡んでくるようになった。うれしそうに。たいていは合コンの誘いなので、またか、面倒くさいなと思って無視していたら
「今日はお前にプレゼントがあって」
そう言って僕の隣の席に座った萩原は、鞄からなにかを取り出した。
「ほい」と差し出されたのは、映画のチケットだった。しかも二枚。
「くれるの? なんで?」
「誰か女の子誘って行ってこいよ」
「相手いないよ」
「だから、探せっつってんの」
つっけんどんに言って、萩原は僕の手にチケットを押しつける。タイトルを見てみたけれど、知らない映画だった。邦画のようだけれど、テレビで宣伝されているのも見たことがない。
「これどんな映画?」
「あー、主役の女が二人の男の間で揺れる恋愛もの、みたいな?」
「あんまり興味ないからいいや。萩原行ってきなよ」
「俺はもう観たんだよ」
「そうなの? 萩原こういう映画好きなんだ」
意外に思って呟くと、違う、と萩原はため息混じりに突っ返して
「この映画に出てる女優が親戚で、チケット大量にもらってんだよ」
「え、親戚? すごっ」
「あ、主演じゃなくて全然脇役の女優な。それでも親戚のよしみで布教頼まれてるから、観てやってよ、お前も」
そう言われると断るわけにもいかなくて、二枚のチケットを受け取った。あては全然ないけれど、たしかにこの映画は女の子といっしょに観に行かないときつい気がするなあ、なんて思いながら、そのやたらキラキラとした前売り券を眺めていると
「千紗のやつは今日も学校来てねえのか」
だんだんと人が増えてきた講義室を見渡しながら、ぼそっと萩原が言った。
「そうみたいだね」と僕が気のない相槌を打てば
「例の彼と付き合うことになったんなら、もうストーキングはやめたんだろ? ならもう大学来れるんじゃねえの」
「付き合うことになったから、今度はデートで忙しいんでしょ」
「なんだそりゃ。しょうもな」
短く吐き捨てて、萩原は鞄からテキストを取り出すと
「このままじゃあいつ留年だぞ、たぶん」
「そうかもね」
「いいのかよ。お前ちょっとは叱れよ。仮にも元カレだろ」
「やだ。嫌われたくないし」
即答すると、萩原はあきれたようにため息をついてから
「こたろーさ」
「ん?」
「まだ千紗が好きなん?」
「そりゃまあ」
「……そんなにいいかねえ、あの子が」
ぼそりと呟かれた言葉は、もう何度聞いたかわからない。だから僕はいつものように、できるだけはっきりと頷いてみせる。だって、これだけは何の迷いもなく言い切れる。
「いいよ。可愛いじゃん、めっちゃ」
「いくら可愛くてもあれはないだろ」
萩原のほうもいつもと同じ台詞を返したところで、講義室の前方の戸が開き、先生が入ってきた。講義が始まる。映画のチケットが机の上に置きっぱなしだったので、鞄に入れようとすると、「とにかく」と萩原が横から低い声で言った。
「それは誰か女の子誘って行けよ。絶対だぞ」
「はいはい」
「あと、観たら感想聞くよう頼まれてるから、あとで聞くぞ」
「えー」
面倒くさいな、と心の中でぼやきながら、チケットに書かれた出演俳優に軽く目を通してみる。四番手ぐらいに、前に千紗ちゃんが「けっこう好き」と言っていた若手俳優の名前があった。
この人が出るなら、千紗ちゃんは観に行きたがるだろうか。だけど千紗ちゃんは、基本的に話題の映画しか観ない子だ。なにか賞をとったとか、めちゃくちゃ人気だとか。このレベルの知名度なら、きっと見向きもしないだろうな。
そこまで考えたところで、なにを考えているのだろうと自分にあきれてしまった。たとえ千紗ちゃんがこの映画を観に行きたがったとして、千紗ちゃんといっしょに観に行くことなんて、絶対にできないのに。
それでも、女の子と言われて思い浮かぶのは、僕にはどうしたって千紗ちゃんしかいなかった。
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