第4話

「わ、おいしそう!」

 上からそんな高い声が降ってきて、僕は顔を上げた。

 そこにいたのは、茶色い髪を頭の上でお団子にした、見知った女の子だった。赤い縁の眼鏡の奥にある丸い目が、じっと僕の手元を見つめている。

「栗崎さん」と同じ学部の友人である彼女の名前を呟けば

「これ宮田くんが作ったの?」

 これ、と栗崎さんが指したのは、僕が食べているお弁当。昨日、千紗ちゃんのために作った豚丼がそのまま詰まっている。

「うん、まあ」

「すごーい! すっごいおいしそうじゃん!」

 感心した声を上げながら、栗崎さんは僕の向かいの席に座った。うどんの載ったトレイをテーブルに置く。そのあとで思い出したように、「あ、ここいい?」と訊かれたので、笑って頷いた。

「宮田くんて、いつもお弁当作ってきてるの?」

「いや、いつもじゃないよ。今日は昨日の晩ご飯が残ってたから」

「え、晩ご飯自炊してるの? すごい!」

 そこでまた栗崎さんが心底感心したように声を上げるから、僕はちょっとこそばゆくなって

「そんなたいしたものは作ってないよ。炒めただけとか煮ただけとか、そんなんばっか」

「充分だよ。すごいおいしそうだもん。ね、それ一口もらってもいい?」

「いいよ。どうぞ」

 ありがとう、と笑って、栗崎さんは自分の箸を僕のお弁当へ伸ばした。豚肉の小さな切れ端をひとつつまんで、口へ運ぶ。そうして三回ほど噛んだあとで、目を見開いて僕の顔を見た。

「おいしい!」

「よかった」

「すごいね、宮田くんて料理上手いんだ」

「べつにたいした料理じゃないって。肉焼いて味つけただけだし」

「でもおいしいよ。私、料理なんて全然出来てないよ。いつもパスタ茹でてソースかけただけ、みたいな。頑張らなきゃとは思ってるんだけど。見習わなきゃなあ。駄目だよね、今は男子ですらこんなに料理してるのに」

 ぶつぶつと喋る栗崎さんの顔がしだいに落ち込んでいくのを見て、僕は苦笑しながら

「でも栗崎さんは、僕と違って忙しそうだから」

 社交的な栗崎さんは僕と違ってサークルにも入っているし、僕なんかより友達もずっと多い。きっといろいろな付き合いがあるに違いない。大学とバイト以外は、ほぼ千紗ちゃんにご飯を作るぐらいしかすることがない僕とは生活スタイルが全然違うはずだ。

 僕の言葉に、ふと思い出したように顔を上げた栗崎さんは

「宮田くんって、なにもサークル入ってないんだっけ?」

「うん」

「ね、じゃあうちのサークルとかどう? テニス、楽しいよ」

「いや、いいよ。テニスなんて生まれてこの方したことないし」

「全然大丈夫だよ。初心者いっぱいいるし、ていうか、ほぼ飲み会がメインみたいなもんだから」

 それじゃあなおさら無理だ、と僕が苦笑すると、栗崎さんが首を傾げて

「なんで?」

「カノジョのご飯作りに忙しいからでーす」

 答えようとした僕の声に重なるように、後ろから声がした。

 テーブルにカレーの載ったトレイが置かれる。振り向くと、いつの間にやって来たのか、萩原が僕の隣の席に座りながら

「夕方から夜は食材の買い出し行ったり料理したり、お前、主婦みたいな生活してるもんな」

「え、そうなの?」

 萩原の言葉に、栗崎さんが驚いたように僕を見た。「うん、まあ」と僕が曖昧に頷けば

「宮田くん、カノジョいたの?」

 栗崎さんが驚いたのはそこだったらしい。

 その心底意外そうな口調に、僕はちょっと傷つきながら

「え、そんなに意外ですか」

「ああいや、ほら、なんか宮田くんってそういう雰囲気なかったから。なに、同じ大学の人?」

「うん。てか、学科も同じ」

「えっ、うそ、誰誰?」

 好奇心に満ちた目で身を乗り出してくる栗崎さんに、「たぶんわかんないと思うけど」と前置きしてから、千紗ちゃんの名前を告げた。

 案の定、栗崎さんはぴんとこなかったようで、思い出そうとするように眉を寄せた。「千紗ちゃん……」呟きながら、記憶を辿るように宙を見つめる。僕が苦笑して、「たぶんわかんないよ」と重ねると

「あいつ、大学まともに来てねえもんな」

 あきれたように萩原が言った。「そうなの?」と栗崎さんが今度は萩原のほうを見る。

「え、じゃあ宮田くんはその子とどうやって知り合ったの?」

「高校の同級生だから」

「ああ、高校の頃から付き合ってるんだ。もう長いの?」

「いや、付き合い出したのは大学に入ってからだよ。まだ一ヶ月ちょっと」

「へえ。じゃあまだラブラブな時期かあ、いいなあ」

 ラブラブ、と思わず苦笑して栗崎さんの言葉を繰り返してしまうと、栗崎さんはきょとんとして

「へ、違うの? うまくいってないの?」

「いや、そんなことはないけど」

 さっきから、隣の萩原がなにも言わずに僕らのやり取りを聞いているのがなんとなく居心地が悪くて、歯切れの悪い口調になる。

「ただ、ラブラブって感じではないかな」

「でも、毎日カノジョにご飯作ってあげてるんでしょ」

 栗崎さんはあっけらかんとした笑顔で、いいなあ、と続ける。

「あんなにおいしいご飯を作ってもらえるなんて、幸せなカノジョさんだね」

「え、そう思う?」

 そこでなぜか急に、萩原がうれしそうな声を上げた。「栗崎、マジでそう思う?」意気込んだ調子で重ねる萩原に、栗崎さんはきょとんとした顔で頷いて

「そりゃ思うよ。おいしいご飯毎日作ってもらえるなんて幸せだもん」

「じゃあさあ、こいつどう? 栗崎の彼氏に。けっこうおすすめだけど。あんまり面白みはない男だけどさあ、とりあえず優しさと料理の腕だけは保証する」

「はあ?」という僕の声は、それより大きな栗崎さんの「はあ?」にかき消された。

「なに言ってんの。宮田くんカノジョいるじゃん」

「いるけど、ほとんどいないようなもんだから。どうせそろそろ別れるし」

「意味わかんない。うまくいってないわけじゃないんでしょ?」

 そこで怪訝そうな栗崎さんの目が僕のほうを向いた。僕は曖昧に笑って頷くと、「まあ」と呟く。

「たしかに、そろそろ別れるとは思うけど」

「ええ?」

 どういうこと? とますますわけがわからないという様子で声を上げる栗崎さんに、萩原が面白がるように意味深な笑いだけを返している。そんな二人のやり取りを聞きながら、僕はポケットからスマホを取り出し確認してみた。千紗ちゃんからの連絡はない。

 千紗ちゃんはちゃんと会えたのだろうか。例のパスケースの彼に。ぼんやりそんなことを考えながら、僕はスマホを閉じてふたたびお弁当に箸を伸ばした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る