第28話

 佐久間先生の家も、僕が突き止めた。放課後、学校を出る先生を待ち伏せ、電車通勤だった彼の後をつけた。

 千紗ちゃんに教えてあげたら、それはそれは喜んだ。その頃にはもう、佐久間先生は学校で千紗ちゃんと顔を合わせないよう、さり気なく避けるようになっていたから。

「なんでこたちゃん、こんなに協力してくれるの?」

 スマホに住所をしっかりメモし終えたところで、ふと顔を上げた千紗ちゃんがそんなことを訊いてくる。

 この頃から、千紗ちゃんは学校で僕とばかりいっしょにいるようになっていた。きっと、他の友達には、佐久間先生のことで厳しいことばかり言われるから。

 耳を塞ぐように僕のもとへやって来る千紗ちゃんに、僕はいつも、彼女が欲しがっている優しい言葉だけをあげる。

「だって千紗ちゃんは友達だし。友達の恋は応援するでしょ、ふつう」

「でも、こたちゃんだけなんだよ。わたしの恋を応援してくれるの」

 拗ねたように唇をとがらせた千紗ちゃんは

「みんなは、ほんとの友達じゃないってことかなあ」

 寂しそうにそんなことを呟いていた。僕は曖昧な相槌だけ打って、とくになにも言わなかった。


 もともと、千紗ちゃんは人気者だった。見た目が可愛いから、それだけで男子からの評価は高かったし、その上明るく人見知りしない性格で、男女問わず友達は多かった。

 だけど千紗ちゃんが佐久間先生に熱を上げるにつれて、潮が引くように千紗ちゃんの周りからは人がいなくなっていった。恋する千紗ちゃんの暴走っぷりに引いたというより、親身にアドバイスをしても聞く耳を持たない彼女にうんざりした人が多かったみたいだけれど。


「こたろーさあ」

 萩原が渋い顔をして僕に言う。

「あんまり甘やかすなよ、千紗のこと」

 千紗ちゃんとは中学校からの付き合いだという彼は、今でも千紗ちゃんを心配してくれている数少ない一人だ。

「お前が甘いこと言うから、あいつも調子乗るんだって。単純だから」

「いいじゃん、べつに。悪いことしてるわけじゃないし」

「いや悪いだろ。少なくとも先生は絶対迷惑してるし。とにかく早めに止めないと、あいつ、だんだん歯止め効かなくなるからやばいんだよ」

 歯止めなら、きっともう効かない。明日にでも、千紗ちゃんは僕が教えてあげた先生の家へ向かうだろう。

「なあ、頼むからこたろーからもちゃんと怒ってやってよ。お前がいっかいマジで厳しいこと言えば、たぶん千紗も相当効くって」

 冗談じゃない、と僕は心の中で呟く。そんなことをしたら、千紗ちゃんにとっての僕の存在価値がなくなってしまう。千紗ちゃんにとって僕は、絶対に自分を肯定してくれる、自分の聞きたい言葉しか言わない、そんな甘いだけの存在で、だからこそ彼女は僕を必要としてくれているのに。

「俺らがなに言ったって聞かないんだよ。でも、普段優しいこたろーが怒れば、さすがのあいつも」

「やだ。嫌われたくないし」

 だから、僕は彼女を否定しない。厳しいことなんてひとつも言わない。

 たとえそれで、彼女がなにか間違えたとしても。



 千紗ちゃんの暴走が度を増して、ついに先生が学校を去ってしまった頃には、もう千紗ちゃんの周りに僕以外の友達は誰もいなくなっていた。

 先生の異動の報せを聞いた直後、さすがに千紗ちゃんは取り乱して、大急ぎで先生の家まで向かったらしい。だけど先生はすでに引っ越したあとで、けっきょくそれきり会うことはできなかったという。

 聞いた話では、例のカノジョと同棲を始めたらしい。あいかわらずどこから仕入れた情報なのか謎だけれど。もしかしたら、先生とカノジョにとってはちょうどいいきっかけになったのではないか、なんてちらっと思う。


 しばらくは「先生に会えないなら死にたい」なんてぼやくほど塞ぎ込んでいた千紗ちゃんも、二ヶ月も経つと急に元気になった。

 理由は、新しい恋をしたから。今度の相手は、他校の先輩だった。通学中の電車で大きな荷物を抱えていたら、席を譲ってくれたらしい。

「今まで出会った男の人でいちばん、かっこいいの!」

 異動にまで追い込んだ先生のことなんて、きれいさっぱり忘れたような笑顔で、いつかも聞いた台詞を口にする。実際、もう忘れていたのだろう。きっと今の千紗ちゃんの頭には、他校の彼しかいない。だから僕も笑って、「頑張ってね」といつかと同じような言葉を返す。

「僕にできることがあったら、なんでも、協力するから」

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