第11話

 その日僕の部屋を訪れた千紗ちゃんは、やたらと上機嫌だった。

「今度の日曜日にね、五十嵐くんとデートすることになったの」

 ふわふわのオムライスをすくいながら、千紗ちゃんが弾んだ声で言う。

 今日ははじめて、オムライスの卵を完璧な半熟状態にすることに成功した。ここ数ヶ月のあいだに、僕は両手で数え切れないほどのオムライスを作ってきた。出来映えも、回数を重ねるごとに上達している。そして今日ついに、僕の理想とも言えるオムライスを完成させることができた。

 けれど千紗ちゃんはもちろん、オムライスの出来になどまったく触れず

「しかも朝からだよ。すっごい嬉しい。一日デートなんて久しぶりだから」

 食事は片手間に、浮き立った様子で五十嵐くんの話を続ける。

「久しぶりなの?」

「うん。最近は昼間に会うことってなかったから。夜にどっちかの部屋に会いに行くばっかりで」

「……それって」

 言いかけた感想を、僕は途中で思い直して呑み込んだ。代わりに、「よかったね」といつもと同じ相槌を打ってから

「日曜日はどこに行くの?」

「まだ決まってないんだ。とりあえず、駅前で10時に待ち合わせっていう約束だけしてるよ」

「そっか。楽しんでおいでね」

 うん、と千紗ちゃんはうれしそうに頷いてから、麦茶を飲んだ。

 グラスを置いたところで、千紗ちゃんはふと改まったように顔を上げると

「ね、こたちゃん」

「ん?」

「こたちゃんは大学の授業、真面目に出てるよね?」

「出てるけど」

 唐突な言葉に、ちょっと語尾を上げた調子で頷けば

「あのね、ノート、写させてもらえないかな?」

「ノート?」

「うん。わたしが休んでた分の、授業のノート」

 続いたのは千紗ちゃんらしからぬ台詞で、僕は思わず無言で千紗ちゃんの顔を見つめてしまった。

 僕の驚きに気づいたのか、千紗ちゃんはちょっと恥ずかしそうに笑う。そうして指先で軽く頬を掻きながら

「五十嵐くん見ててね、思ったの」

「なにを?」

「わたしも、もっと頑張らないとなって。ただでさえ、わたし、五十嵐くんとは釣り合ってないのに。五十嵐くんはバイトも勉強も一生懸命頑張ってるんだから、わたしも、大学生としての生活をもっとちゃんと頑張って、五十嵐くんと釣り合えるような子になりたいって」

 訥々と語られる千紗ちゃんの言葉は大学生らしからぬ拙さだったけれど、その目はひどくまっすぐに輝いていた。「だからね」はにかむような口調で続けた彼女は、窺うようにこちらを見て

「わたし、これからは、もっとちゃんと大学行くね」

「……そっか」

 僕はできるだけ優しく笑って相槌を打つと

「じゃあ、今度会うときまでに、今までの授業のノート、コピーとっとくよ」

「え、いいの?」

「うん。たしか僕と千紗ちゃん、ほとんど同じ授業とってたよね」

「うん、そうだったと思う。ありがと、こたちゃん!」

 明るい声でうれしそうに笑う千紗ちゃんに、僕も笑顔で首を振った。


 10時を回った頃に、千紗ちゃんはそろそろ帰ると告げて立ち上がった。

「あ、ちょっと待って」僕は千紗ちゃんに言って、冷蔵庫のほうへ歩いていく。そうして中からいくつかタッパーを取り出すと

「これ、よかったら持って帰って」

「え、なあに?」

「冷凍したミートソース。あと、こっちはきんぴらとかピクルスとか、日持ちするおかずがいくつか入ってるから」

「えっ、うれしい!」

 千紗ちゃんは顔を輝かせてタッパーを受け取ると

「こたちゃんのミートソース、おいしいもんね。わたし、大好きなんだ」

「レンジで解凍してから、鍋でちょっと火にかければ食べれるよ。昼ご飯にでも食べて」

「ありがとう、うれしい!」

 もう一度繰り返して、千紗ちゃんは両手で大事そうにタッパーを抱える。

「こたちゃん、いつも本当にありがとうね」

 そう言ってまっすぐに僕を見つめる千紗ちゃんの笑顔にはなんの翳りもなくて、僕はまた確認するように思う。これでいい。今はまだ、これだけでいい。こうして幸せそうに笑う彼女を、傍で見ていられたら。

 僕はただ、それだけでいい。

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