第15話

 約束の時間に食堂へ行くと、栗崎さんはすでに待っていた。窓際の席に座り、笑顔でこちらへ手を振っている。

 僕は栗崎さんの向かいの席に座ると、鞄から巾着袋をふたつ取り出して、ひとつを栗崎さんのほうへ差し出した。

「これ、あげる」

「え、なに?」と不思議そうに巾着袋を手にとった栗崎さんに

「お弁当。よかったら食べて」

「へっ?」

 素っ頓狂な声を上げた栗崎さんは、驚いたように僕の顔と巾着袋を見比べながら

「なんで? なんで私にお弁当?」

「昨日のお詫びというか。たいしたものじゃないんだけど」

「えっ、そんな、気にしなくていいのに!」

 栗崎さんは恐縮したように顔の前で手を振ったけれど、「でも」とすぐにうれしそうに顔をほころばせ

「うれしい! もらっていいならもらっちゃお。ありがとう、宮田くん!」

「どういたしまして」

「ああよかった、まだお昼ご飯買ってなくて」明るい声で弾むように言いながら、栗崎さんは巾着袋から弁当箱を取り出す。そうして弁当箱のフタを開けるなり、わあ、と感動したような声を上げた。

「すごーい! めっちゃおいしそう!」

「よかった」

「さすがだねー宮田くん! 彩りも超きれいだし、お手本みたい!」

 大袈裟なほど褒めてくれる栗崎さんに、僕はちょっと照れくさくなって笑う。栗崎さんは鼻歌交じりにお弁当へ箸を伸ばすと、まずはほうれん草の白和えを口に運んだ。ひとくち食べるなり、また「おいしい!」と声を上げて頬に手を当てる。

「よかった、口に合って」

「ほんとにおいしいよ! びっくりした!」

 ご飯を作ってここまで喜んでもらえるのは久しぶりだなあ、なんて思いながら、僕も自分の分のお弁当のフタを開ける。中身は栗崎さんにあげたお弁当と同じ。鶏の照り焼きと卵焼き、ほうれん草の白和えに、梅と大葉の混ぜご飯。昨日の晩ご飯の残りではなく、今朝ちゃんと作ってきた。


「ああ幸せ。こんなにおいしいお昼ご飯が食べられるなんて」

 そんなことを言いながら、本当に幸せそうにお弁当を食べていた栗崎さんは

「昨日はごめんね。迷惑かけて」

 僕があらためて謝ると、ふっと真顔に戻った。ううん、と静かに首を横に振る。

「いいよ。千紗ちゃん、大丈夫そうだった?」

「いや、それが昨日はけっきょく会えなくて。電話も出てもらえないし」

「そうなんだ。心配だね」

「……栗崎さんさ」

「ん?」

「五十嵐くんとは仲良いの?」

 唐突な質問に、栗崎さんは箸を止めて僕を見た。それから少しだけ迷うように黙ったあとで

「べつに仲良くはないかな。あんまり喋ったことないし。それに五十嵐くん、もうバイト辞めちゃったし」

「辞めた?」

「うん、一週間ぐらい前だったかなあ。けっこう急だったから、どたばたしたよ」

 ふうん、と相槌を打ってから、僕は少し考えて、ねえ栗崎さん、と続ける。

「五十嵐くんって、どんな人だった?」

 訊くと、栗崎さんは戸惑ったように眉を寄せた。

「どんなって」ちょっと言葉を選ぶように言いよどんだあとで

「ふつうにいい人だったよ。あんまりよくは知らないけど。かっこいいし気さくだし、女の子にもてそうな感じで」

「でも彼女はいなかったんだよね?」

「うん、いなかったと思う。よく知らないけど」

 同じ台詞を繰り返す栗崎さんからは、あまりこの話題を続けたくないのが伝わってきた。だからここで打ち切ることにした。


「そういえば」僕は今までの流れをまったく無視する口調で、あらためて口を開くと

「映画はいつ行く?」

「え、映画?」

「うん、昨日観れなかった映画」

 言うと、栗崎さんはなぜか心底意外そうに、え、と声を漏らした。

「また行ってくれるの?」

 僕はきょとんとして、「そりゃもちろん」と頷く。

「約束してたのに、僕のせいでけっきょく行けなかったんだし」

 どうやら栗崎さんは、もう僕は栗崎さんと映画に行く気はないと思っていたらしい。なぜか。

 びっくりしたように僕の顔を見つめた栗崎さんが、一拍置いてぱっと表情を明るくする。そうして、「そうだね、いつにしよっか!」とまたさっそく鞄から手帳を取り出しながら、楽しそうに笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る