第2話_隣国からの使者

 父の手紙に書かれていた火山帯の名は『ヴォールカ』といい、その一帯は噴火以降、国王の命によって一切の立ち入りを禁止された。この世界には人の命を奪うような天災は少なく、多くの命を奪った噴火というのは全世界に恐怖を齎した。実際、戦争が一時であれ休戦となったのも、その影響が大きかったと聞く。

「私は、そんな山の名を聞いた覚えがありませんが」

「そうだろうな、一度きりの噴火だった。その前も、以降も、兆候すら見せていないんだそうだよ」

 火山の動きも特に無いまま、立入禁止になってもう長い。街でも話題に上がることはほとんど無いだろう。当時を知らない若い子であれば、名前を聞いたことが無くても不思議ではない。噴火当時、ヴィオランテはまだ生まれてすらいないのだから。

「国王陛下への謁見は私の名前で申し込みますか?」

 城を見上げ、私達は一度立ち止まる。来たのはいいが、まずは国王陛下に会う必要があり、更にそこから入山許可を貰わなければならない。課題は山積みだ。しかし、本来はヴィオランテの旅であったものを、私の事情で捻じ曲げている。元々の目的でこの場所に来ていたのならばヴィオランテの名を出すのが筋だろうけれど。

「いや、此処は私の名前で行こう。……その方が、おそらく都合がいい」

 ヴィオランテは私を見上げて沈黙したが、この言葉に首を傾ける様子は無い。私が言わんとしたことを、彼女は理解しているようだ。もしくはそれを予想していたからこそ、先に『誰の名で申し込むか』を問い掛けたのかもしれない。案の定、城に入ると同時に、私を知るらしい数名が緊張した顔を見せた。

 謁見の申し込み自体は一般的には十数分で終わり、会える日時を伝えられるだけで当日は帰されるものだが、私達は明らかに待遇が違った。すぐに別室へと通され、そこで少し待機するようにと指示される。

「これは……もしかして?」

「ああ、そうだろうね」

 ヴィオランテが苦笑いと共に零した言葉に、私も笑って同意する。予想通り、私達はそのまま日を跨ぐことなく国王陛下への謁見許可が下りた。数名の兵士と従者に案内されるままに謁見の間へと進む。道中、私を見止めた者達がはっと息を呑む様子が伝わってきた。進むほどに城内が、ぴりぴりとした緊張感に覆われていく。『戦乙女』と私を呼ぶ者がこの城には多く残っている。鉄格子を挟んでしか私と対峙することが出来なかった兵士らが今、自由に歩く私を目の前にしているのだ。無理もないかもしれない。……国王陛下を守る精鋭であることを考えれば少々情けなくも思うけれど。

「久しいことだな、オリビア。何年振りになる」

「十年近くお会い出来ていなかったものと存じます」

 私の名で謁見を求めたものである為、ヴィオランテは一歩下がった位置で、私と同じくして陛下の御前に膝を付いていた。

「ふむ、今はコンティ家当主の孫娘と、旅の途中ではなかったのかな」

「ご認識の通りでございます。こちらに控えさせております娘が、アデル・コンティの孫娘、ヴィオランテにございます」

 ヴィオランテを示せば、彼女も勝手知ったる様子で深く首を垂れ、うやうやしく挨拶の言葉を口にする。それに対して、……凡そ予測できていたが、見上げた陛下は難しい顔をした後で、何かを誤魔化すようにして咳払いをした。

「そうか、して……その旅の最中さなかにあって、余に一体何を求める」

「は、僭越せんえつながら――」

 一層深く頭を下げた後、ヴォールカ火山帯へ立ち入りたい旨を告げた。父の手紙の多くは説明せず、ヴィオランテの後学の為、災害と戦場の跡を見せることを目的だと伝えた。立入禁止とされているが故に、あの場所は他の何処よりも、災いと戦いの跡がそのままの形で残されているからと。

「許可は出来ぬ」

 返答は呆気ない。容易く許されることはないと思っていた為、私は陛下のこの言葉に驚きはしなかったけれど、続いた言葉には首を傾けた。

「どいつもこいつも……あの火山帯が一体なんだというのだ」

「それは、どういう意味でしょうか」

「いや、こちらの話だ。目的は理解したが、あの火山帯は危険だ。我が国の英雄であるオリビア、そしてコンティ家の令嬢をそのような場所に護衛なく送ることは出来ん。勿論、その為に兵を出すほど我が国も暇ではない」

 問い掛けに対する説明は特に無いまま、国王陛下は私達の願いを一蹴した。こちらの要求も理由ももう告げてしまった以上、陛下を相手にしつこく食い下がれる立場でもない。何か手を考えて出直すのが無難だろう。時間を取って頂いたことへの礼と、約十年振りにお会い出来たことの喜びを丁寧に告げ、私達は謁見の間を後にした。

「さて、何か手土産が無いと難しそうだね」

「手土産……私達を入山させるのは国にとって有益である、と思わせる『何か』ということですか?」

「ああ」

 言葉にするのは容易だが、実際は私達の『興味』に近い理由で入山するのだから、そんなものを引き出すことは難しい。頭を悩ませながら城を出ようとしたところで、何やら物々しい集団が登城してきた。

「あれ……?」

「ん、――おや、姫じゃないか」

「ジオヴァナ!」

 声に反応し、兵士らに囲まれて中央に立っていた少女が振り返る。

「あら! ヴィオラ!」

 気さくに手を上げて微笑んで下さっているが、彼女は隣国の第一王女だ。彼女を取り囲んでいるのは、護衛として共に来た彼女の国の兵士らなのだろう。気軽に無防備に彼女が歩いてしまうものだから、乱れてしまった列を慌てて整えながら付き添っている。少し同情した。

「ヴィオラったらどうしたの、こんなところ――って言ったら不味いか、アハハ」

「そうだね、隣国の城に来てるんだからちょっと考えようね」

 二人の会話に思わず噴き出して笑う。ヴィオランテが窘める側に回ったことが面白くて仕方が無い。一瞬顔色を青くした従者にもまた同情したが、この城の関係者は二人を遠巻きに見るばかりで、会話は聞こえていない様子だ。傍に私が立っていることも、人が近寄らない一因かもしれない。

「私は例の旅の一環。それより、ジオヴァナがわざわざ城にまで来るなんて、何かあったの?」

 姫は第一王女という立場上、隣国『カムエルト』から出ることは多くない。それが兵士らを携えて城にまで訪れているのだから、大きな国際問題でも発生しているのかと考えるのが普通だ。しかし、そこまでの緊張感はジオヴァナ姫からは感じられない。彼女は呑気な様子のままで、私達を驚かせる言葉を続けた。

「いやーちょっとさ、ヴォールカ火山帯に入りたくて、許可貰いに来たんだけど」

「えっ?」

 二人の会話が終わるのをのんびりと待っていただけの私も思わず振り返る。ジオヴァナ姫は私達の表情に目を瞬き、不思議そうに首を傾けた。

「なに?」

「え、あ、いや何て言うか、火山帯なんて、どうしてジオヴァナが?」

「うん、ほら、最近妙に天災が多いじゃない、地震とか」

 彼女の言う通り、ここ数年で地震や嵐は少しずつ増えている。今までには全くと言っていいほど無かったものだ。言い知れぬ不安と違和感は誰しも抱いているだろう。それはこの国ではまだ『違和感』程度だが、カムエルト国内では既に「調査すべき」という意見が上がっているそうだ。そして、調査対象として挙げた内の一つが、かつて大きな災害を起こした記録を持つヴォールカ火山帯なのだと言う。

「実は私の国には、あの山には神様がいるって文献が残ってるの」

「神様……?」

 ヴィオランテが私へと視線を送る。既視感のある話だ。表情を凍り付かせた理由が『神様』という得体の知れないものを挙げたせいと考えたのか、ジオヴァナ姫は軽く肩を竦めた。

「神様じゃなくっても、何か原因になるものが在るんじゃないかって話になってね。それなのに此処の国王様は『ばかばかしい』って耳を貸さない。だけどカルロの国でも同じような文献があるんだって。偶然でそんなことある?」

 カルロ王子の国は別名『海の国』とも呼ばれる、フォードガンドの北西に位置する国だ。ジオヴァナ姫が住むカムエルトはフォードガンドの北。つまり二つの国は隣接していて交流が深いはずだが、他国にある火山帯に関する文献を両国が似た内容で持っているというのは確かに妙であるとしか言いようが無い。

「もう書簡だけのやり取りじゃ埒が明かないから、私が使者として直接来たってわけ。多分『シンディ=ウェル』からももうすぐ使者が来るよ。カルロかどうかは分からないけど」

 陛下が先程言っていた「どいつもこいつも」というのはこの件だったのだ。二つの隣国から入山依頼が書簡で届いていたところに私達が偶々、同じ依頼を持ちかけてしまった。――偶々なのか。本当に。私とヴィオランテは静かに視線を合わせ、頷き合った。

「あのね、ジオヴァナ。実は私達もその火山帯に入れないかってさっき頼んできたところだったの。断られちゃったけど」

「え、そうなの?」

 目を瞬いた彼女へ、私は軽く父の手紙について説明した。国王陛下には『神様』という言葉を信じて頂けないと思い、内容をお伝えしていないことを含めて。ジオヴァナ姫は少し考える顔をして沈黙するが、傍に控えていた従者に声を掛けられ、申し訳なさそうに私達を振り返る。

「ごめん、そろそろ謁見の時間だわ。後で連絡するから、二人の宿の場所だけ聞いていい?」

 何の約束も無く一国の王女様を気軽に呼び止めてしまったのはこちらの方だ。姫に謝罪をした上で、私達は今夜の宿の場所を伝えた。


 結局、ジオヴァナ王女の直談判も、フォードガンド国王は受け入れず、王女を追い返した。玉座に深く腰を掛け、疲れた様子で溜息を零す。

「おいそこの、あの者を呼べ、至急」

「あら、お呼びはわたくしでしょうか?」

 国王が従者に声を掛けたと同時に、謁見の間に音もなく入り込む女性の姿。控える兵士が身構えるが、王はそれらを手で制した。

「ああ、流石の耳の良さだな、アイリーン」

 歩く動作に応じて少し耳から流れ落ちた白銀の髪を指先で払うと、アイリーンは国王へと微笑み、そして跪いた。

「早速だが、一つ、仕事を頼みたい」

 国王の言葉が重く謁見の間に響く。アイリーンは顔を上げぬまま、頷くようにして深く頭を下げた。

「――全てあなたの仰せのままに、我が君」

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