自由のキャンバス
暮
第1章_私を描くキャンバス
第1話_旅の始まり
「神様なんて、この世界には最初からいなかった。……いなかったんだ」
あの言葉が、今も忘れられない。何年経とうともその声は耳の奥へと棲み付き、幾度となく私へ囁いた。いなかった、いなかったんだ。私に忘れさせまいとするように、何度も、何度も、……何度も、夢に見るほど。
* * *
音を立てて地面に伏し、横たわるそれからは脈動の気配は無く、立ち上がる様子も無い。剣先で小さな十字を描くように軽く振って、私は一つ息を吐いた。軽く視線を動かし、全ての魔物を片付けたことを確かめる。それからようやく背後を振り返った。
「ヴィオランテ、怪我は――」
無いか、と問い掛けるはずだった言葉が止まる。二、三メートル離れた場所に見える彼女。私よりも幾分か背丈が低く、華奢な背中だ。私の声は届いているのだろうが、微動だにしない。のんびりとそちらへ歩み寄りながら、彼女も聞こえるくらいの大袈裟な溜息を吐いた。
「お前は、まだ戦っていたのか、そんな小さな魔物相手に……」
ヴィオランテの正面には、背丈が三〇センチ程度しかない魔物がいた。威嚇をしながら彼女と睨み合っている。目が離した方が負けと言わんばかりだが、傍から見れば正直、滑稽でしかない。
「せ、先生、こいつ全然隙がなくてですね」
「いやぁ……」
魔物を刺激しないように数歩手前で眺めていたが、どちらも動く様子は無い。また一つ大袈裟な溜息を零して、私は剣を握り直した。
「もういい、下がりなさい、ヴィオランテ」
切っ先は下げたまま、真っ直ぐに魔物へと歩み寄る。接近する私、そして未だ構えを崩さない目の前のヴィオランテとを見比べた魔物は、間合いへと入る頃には意を決して私に飛び掛かる。見え透いたタイミング、角度、速さ。予定通りに剣を振れば、小さな魔物はその身を二つに分けて地面に転がった。
「先生、流石です」
「うーん」
苦笑いと共に零れたのはそんな唸り声だった。教え子には困ったものだ。私はまた剣を十字に振り、それを鞘に収める。振り返った私の表情を見た彼女は、肩を縮めていた。頓珍漢なことを言っているが、正しく落ち込んではいるらしい。しゅんと眉を下げ、首を垂れた彼女の肩から、眩しいくらいの金髪が滑り落ちた。
「お役に立てなくて、ごめんなさい」
「その点は本当に、フォローのしようがないな」
「はい……」
私達は今日、旅を始めた。そしてこれが最初の、魔物との戦闘だった。来た道を振り返れば、今朝までを過ごしていた私達の街がまだ見えている。正確にはあれはヴィオランテの一家が治めている領地、その中でも最も大きな街だ。私はただ雇われて彼女の屋敷に住まわせてもらっていただけで、生まれ育ちは別の場所になる。
この旅は、ヴィオランテが成人を迎える為の儀式の一環だった。彼女の家が代々続けている伝統の儀式。十六歳を迎えたら四年間の旅に出て、当主が決めた地域と国を巡り、見聞を広める。私が彼女の教育係として屋敷に雇われたのは三年前のことだが、実際はこの四年間、旅の共としての役割が本命だったのだろうと思う。
「初めての魔物はどうだった、ヴィオランテ」
「とても手強かったです」
「うん……せめて剣を合わせてから言ってほしかったが」
結局、ヴィオランテは魔物との睨み合いしかしていない。先が思いやられる。此処は未だ領地の近くで、見通しの良い場所だ。魔物も比較的に小さくて弱いものしか居ない。お陰でこんな状態でも怪我なく済んだものの、手強い敵が複数で来てしまった場合はこうはいかない。いや、私が彼女を戦わせないように立ち回ればいいのだけれど、……そんな必要があると思っていなかったのだ。これは初日から大誤算だった。
「お前が手こずると思っていなかったよ、お前は弱くはないからね」
屋敷で剣や体術の指導もしていたが、弱いなどという評価は一切持っていなかった。だから小さな魔物を任せて目を離していたのだ。
あの魔物に対峙したヴィオランテは、教えられた通りに正しく構え、敵の動きを警戒し続けた。横から私が話し掛けても目を逸らすことはなく、構えを崩しもしなかった。だから魔物が襲ってこない。いや、襲えなかったのだろう。
「動きを待つなら、わざと隙を見せなければならないよ」
隙が無いからと入れなかったヴィオランテと同じだ。間合いに入れば斬られると感じ取れば魔物は襲ってこない。動いてほしければ、構えを崩し、望んだ場所へ誘い込む必要がある。
「相手を動かすような戦いは、自ら動くよりも、“上手く”なければ成り立たない。そうなりたいなら、今以上に精進するように」
「うう、……はい」
肩を落としつつ、ヴィオランテは両手にそれぞれ持っていた短剣を二本同時に鞘に収めた。その様子からは剣の扱いも板に付いているように見えるが、実戦に関してはまだまだ課題が多そうだ。
「次の町は遠くない、順調にいけば陽が高い内に着けるよ、行こう。怪我は無いな?」
「ありません、行けます!」
元気よく右手を上げたヴィオランテに少し笑い、再び領地に背を向けて歩き出す。私も旅をする形で領地外へ出るのは三年振りになる。外に多くの良い思い出があるわけではないのに、懐かしさに少し長く空気を吸い込んだ。
見上げた空は青く、広くて、この子の旅立ちには似合いだと思った。
目当ての町に着くまでに何度か魔物と遭遇することはあったが、まだまだヴィオランテは一人では戦えなさそうだった。ただ私の方から魔物を動かし、ヴィオランテに斬らせることは出来たので、まあ、その辺りは、その内に。まだ始まったばかりの旅だ。終わりまでは四年ある。気長に考えよう。
「先生、まず宿へ向かいますか?」
「そうだな」
「えーと、宿、宿は~、あっ、あれです!」
「……お前は目が良いなぁ、私にはまだ見えないよ」
ヴィオランテは昔から、野生児のような視力をしている。私も悪いわけではないのだが、どれだけ目を凝らしてみても彼女が指差す看板に何が書いてあるのかさっぱりだった。ようやく宿屋であると認識できたのは、そちらに向かって歩いて五分が経過してから。疑っていたわけではないにしても、信じられない気持ちで肩を竦めた。
そうして無事に部屋を確保すると、もう空が赤くなり始めていた。この町に辿り着くまで朝から歩き詰めだっただけに、ヴィオランテも疲れているかもしれない。初めて訪れた町の市場くらいは見せてやりたいと思うが、疲れを明日に残すわけにもいかないし、さてどうしようかと振り返れば、目をきらきらさせたヴィオランテが既に扉へ手を掛けていた。
「先生! 市場を見たいので、行ってきていいですか!」
「お前は心配の甲斐がないくらい元気だな。……私も一緒に行くよ」
「はい! ん? 心配って何ですか?」
「何でもないよ」
外の世界にテンションが上がってしまって疲れが分からない可能性もゼロではないが、水を差してしまうのも野暮だろう。明日になって後悔をするなら、それはそれで良い勉強だ。
「さてヴィオランテ、歴史の勉強だ」
「えっ」
市場に着くなり、私はこの町の伝統工芸品の話を、ヴィオランテの家である『コンティ家』の歴史と交えて長々と説明する。ヴィオランテは目を瞬きながら、口を一文字に引き締めて聞いていた。彼女は勉強が苦手なわけではない。ただ、長い時間をじっとしていられない。
「そういうわけで、この町とコンティ家は」
「あ、あの先生!」
「何だ、あと少しだから最後まで……」
「違います、あれ!」
私の気を逸らして話を終わらせたいのかと思いながら、ヴィオランテが指差した方向を振り返れば、そこでは事実、何か争いが起きていた。平和な町の市場には似つかわしくない風体をした大柄な男三人が、どうやら争いの中心らしい。私はそこから視線を外すと、再びヴィオランテへと向き直った。
「お前はどうしたい?」
「行きます」
そう言うと、彼女は私の反応も待たずに脇を通り抜け、真っ直ぐに騒ぎの中心へと向かって行く。彼女のルビー色の瞳が、怒りのような何かでぎらぎらと燃えているように見えたが、彼女が向かう先の夕陽を受けていたせいかもしれない。私は笑みを浮かべて、その背をのんびりと追って歩く。
緩慢な歩みで騒ぎの場に私が辿り着く頃には、既にヴィオランテは騒ぎの中心で男達と派手に言い争いをしていた。相手は刃物など目立った武器は持っていないようだが、体躯だけでも一般人からすれば十分な武器だろう。長身と言われる私も“女としては”の範囲に留まるので、彼らの方がずっと大きい。
それはそれとして、本当に、ヴィオランテは心配の甲斐がない元気さだ。ここまで元気であれば明日になって突然歩けない立てないとは言わないだろう。若さ故の体力なのか野生児なのかは知らないが、状況にそぐわず何処か感心したような気分で私はそれを眺めていた。
「このクソガキ! 痛い目見ねえと分からんらしいなぁ!」
悪漢が悪漢らしく凄んだところで、ヴィオランテの視線も強さを増す。彼女は手早く腰の剣を、ベルトごと取り外した。
「先生! これ持ってて下さい!」
そうしてこちらを一瞬だけ振り返ると、二振りまとめて投げて寄越す。危ないなぁ、減点だぞ。周りの人間は私よりさらに遠巻きに騒ぎを見ているので、人に当たることは無かったが。
「なんだぁ? おい、美人な先生さん、あんたもやんのか?」
男達は私を見ると、値踏みをするように上から下までをじろじろ眺め、最後に腰に携えた剣で視線を止めた。ヴィオランテが剣を携えていた様子よりは、ずっと使い古されている、ということくらいは分かるのだろうか。何にせよ、無用な考えだ。
「いいや」
はっきりと首を振り、私は笑った。そしてヴィオランテの剣を手にぶら下げたままで、両腕をしっかりと組む。
「私の仕事はこの子の護衛ではないんだ。知ったことではないよ」
視界の端にあるヴィオランテの背中は動かない。絶えず男達を睨み付けているのだろう。一方、男達は一瞬だけ意外そうに目を丸める。なるほど、彼らの方が余程、私より心あるのではないかな。助けの無いヴィオランテに、同情を感じる程度には。
「はは! おいクソガキ、見捨てられたみたいだなぁ!」
「いいのか、今なら許し――」
げらげらと下品に笑っていた男が腕を伸ばせば、触れる前に男の膝を駆け上がったヴィオランテに顔面を思いっきり蹴られていた。あまり笑ってしまうと巻き込まれそうだ。私は口元をそれとなく押さえて隠したが、背後で遠巻きにしている幾人かが笑ったのが聞こえた。笑うよな、うん。
身体と声と態度ばかりがでかい男達は、ものの三分でヴィオランテに地面へと沈められ、みっともなく脚を引き摺ったりしながら市場から逃げて行った。周りからの拍手喝采。口笛までが響き、まるで祭りが始まるかのような盛り上がりだ。
「これくらい、外でも強くなってくれれば申し分無いんだがな」
預かっていた剣を返すと、彼女は受け取りながら乾いた笑いを漏らす。素手で、且つ相手が人間であればヴィオランテは強いのだ。だから、魔物を相手とし、剣を扱わせたという程度で『戦えなくなる』とは思わなかった。おそらくは彼女を送り出したご家族も、ヴィオランテほどに腕が立つなら外の世界も問題ない――と、考えていたのだろうに。
「いや、ええと、魔物と剣に慣れれば、多分もう少しは」
そう言ったヴィオランテに、そうであってくれればいいんだが、というか「少し」では困るんだがね、と思いながら苦笑する。
「先生? どうかしました?」
「……いや、何でもない。そろそろ、宿に戻ろうか」
「あ、はい」
剣を装備し直していたヴィオランテから視線を外し、市場の奥を眺めていた私を見上げて、彼女が首を傾ける。緩く首を振って笑うと、私達は揃って市場を後にした。道は暗くなり始め、太陽の光はもうその気配を山の向こうへと隠している。
「平和な町、か、上手く出来ているわね」
手の中へと小さく呟いた言葉を、隣を歩くヴィオランテが聞き取ることは無かった。
「先生! 今更、緊張してきました!」
「……何がだ」
宿で夕食を終え、ヴィオランテが先に入浴を済ませ寝支度を整えた後。ベッドの上できっちりと正座して彼女が叫ぶ。まだまだ元気そうだが、もう寝てもらいたい。それとも眠気で頭でもおかしくなったのだろうか。
「先生と同じ部屋で寝るの初めてです。どうしたらいいですか?」
「寝てくれ」
「ドキドキして、とてもじゃないけど眠れません!」
何を言うべきか考えながら軽く天井を仰ぐ。おそらく延髄を叩いて眠らせるのが最速だろうけれど、毎晩そんなこともしていられないので、ちゃんと自分で寝てもらいたい。しかし私の悩みも虚しく、一人ぶつぶつと何か呟いていたヴィオランテは更におかしなことを言い始める。
「そもそも、結婚前に同じ部屋で寝るのって許されるんでしたっけ?」
「結婚後という未来が私達の間には存在しないところからツッコめばいいかな、ヴィオランテ」
どうしてか、私はとてもこの子に好かれていた。先生として慕ってくれているだけではなく、「先生と結婚する」と言い張っているのだ。ご家族は「あー」と言っただけで、誰一人として彼女を宥めてくれないまま、旅の日を迎えてしまった。
「私の何が気に入ったんだか知らないが、ただの売れ残りだよ。女を選ぶにしたって、もう少し若い子を捕まえておいで」
「女性だから興味があるわけじゃありません。それに先生は私のなんで、残っていてもらわないと困ります」
「お前のものではないよ?」
この話をし始めると正直何と言っても『暖簾に腕押し』、ヴィオランテは全く引かない。国の法として言えば、伴侶は異性同性を問わない。少ないことは少ないのだが、同性での結婚は可能ではある。しかし肝心の私自身は女性にも子供にも興味が無いので応えようが無いのだ。だからと言って男性に興味があるかと問われても困るけれど、何にせよ、私がどんな形で断ろうとも折れてはくれない。私に今伴侶が居ないことも諦めない要因だろうが、慌てて作ろうにも、これから四年も旅をしなければならない身では、無理がある。そもそも慌てて作れるような人間ならとっくに伴侶が居る。つまりヴィオランテにとって都合のいいことに、少なくとも四年の間は『彼女のもの』と言われても過言ではないのだ。私は諦めるように項垂れた。
「まあいい、緊張しているところ残念だが、私は宿の主人と少し話をしてくるから、お前は寝てなさい」
「えー!」
抗議の声を背中に受けつつ上着を羽織ると、振り返ることなく部屋を出る。約束まではまだ少し時間があるので、部屋を出る時間としては早かったが、まあ、私が居なければさっさと寝てくれるだろう。やれやれと首を左右に振り、あまり意味もなく足早に一階へと向かった。
そうして私が不在となった三十分後には部屋の明かりは消灯され、おそらくヴィオランテは就寝した。その明かりが消える瞬間を、宿の外から見つめる陰の存在も何も知らないで。
「明日には街を出るとか言ってたぞ。それを狙ってもいいだろ」
低い声で小さく呟いた男の手には、刃物が握られている。市場でヴィオランテに恥をかかされた三人の男達だ。大きな図体を小さく縮め、建物の影に身を隠していた。
「あれだけ強いんだ、こっちに武器があっても危ない、不意打ちがいいに決まってる」
「とにかく眠って油断してる隙に、手か足どっちか使えなくしてやれ。そうしたら正面からやっても負けるわけがない」
彼らからは緊張と殺気がふつふつと湧き上がる。余程ヴィオランテにしてやられた件が許せないのだろうが、傍から見ればまるで下らない怒りだ。
「よし、中に入ったらまず、宿の主人を刃物で脅して黙らせて……」
もう少し様子を見るつもりだったけれど、いい加減、笑ってしまいそうだったので諦めた。私はブーツの踵をわざと鳴らすようにして彼らに歩み寄る。
「無鉄砲な策に笑ってしまうよ。何より、私の存在が数に入っていないようだ」
驚き、振り返る様子すらも滑稽で、どうしても私は笑ってしまうのだ。しかし暗闇に紛れたか、それとも彼らが狼狽しているせいか、笑ったことについて気付いた様子は無い。
「お、お前、護衛じゃねえって自分で言ったんだろ」
「はは、そうだね、だが私の寝室でもある。侵入されては困ってしまうよ。夜は静かに眠りたいんだ」
私の意見は至極真っ当だと思うのに、男達は口々に反論している。そんなに早口で同時に喋られても何を言っているのか分からない。まあ、一人一人ゆっくり主張して頂いたとしても、私に彼らの言い分を理解する気は無いのだけど。話を続けるつもりが無いと示すように、彼らの方へともう一歩足を進める。
しかしその時、正面に見据えた男達とは別の気配が、私の後ろに立った。肩口に振り返れば、更に三人の大柄な男がそこに立っていた。
「俺達だけだと思ったのか、無鉄砲なのはお前だ、ばかが」
街灯の光もほぼ入り込まない路地裏。正面に男が三人、後ろに三人。
ようやく、これで全員が出てきたらしい。私は彼らに見せつけるようにゆっくりと鞘から剣を引き抜いた。彼らが一斉に刃物を持ち直し、此方へと向ける。
「それが、遅いんだ」
独り言にも近かった。聞かせるつもりも、説明するつもりも無い。誰にも見えない程度に小さく切っ先を十字に振ると、私は彼らが構えるのも待たず、一番近くに立っていた男の心臓を一突きにする。
「は……?」
「お、お、おまえ」
絶命した仲間を見下ろす男二人は呆然としていた。背後に立つ男らも同じだろうか。此方へ斬りかかってくる様子が無い。攻撃する前に、構えを待ってやっても良かったし、さあ始めようと合図をしてやっても良かった。それだけの余裕が私にはあったのだ。けれど。
「申し訳ない、職業柄、これは秘密なんだけどね。……『話し合い』で解決するのが、苦手なんだ」
剣を向ければ早いんだ。殺してしまえば早いんだ。こんなに楽な手段があって、道理の分からない阿呆が目の前に居て、長く話し合うのは時間の無駄だろう。外に出てから、今で何分経ったのだろうか。胸ポケットに入れた時計を取り出して確認したかったが、この暗さでは見えそうにない。ならばやはり、早く、済ませてしまおう。
何かを言おうと口を半開きにしている男も続けて斬り伏せれば、その男の傍に立っていたもう一人は巻き込まれて倒れ込む。背後の男達はようやく決心が付いたのか、二人が同時に斬りかかってきた。だが、今更だ。折角の多勢に無勢を、最大二人では意味がない。それぞれ一振りずつで確実に命を奪い、あと二人。
死体と仲良く倒れ込んだ男は、どうやら腰が抜けているらしい。それを一瞥して、私は逆側のもう一人へと歩み寄る。男は近付く私に鉈のような刃物を向けているものの、じりじりと後退していく。あまり時間が掛かるようならこのまま斬ってもよかった。彼は勘違いをしているが、彼の立つ場所は既に私の間合いだ。彼が瞬きをしている間に距離を詰めて殺せる。しかし、彼の後退は長くは続けられない。既に彼の後ろには壁があり、それ以上を下がれない。悟った彼は、壁と私を見比べると、武器をその場に投げ捨て、降参を示すように両手を上げた。
「はは、そうか、良い子だな」
私は彼に微笑んだ。彼は怯えた目をしながらも、ほっとした様子で微かに口元を緩める。それを見届けて、私は抵抗の無いその胸へと剣を突き刺した。大きく目を見開き、地面に伏す男へ向けて、切っ先を十字に振る。
「その潔さは、神に許されるかもしれない。お前は地獄にまで落ちないといいね」
後は一人。踵を返して腰を抜かした男の方へと歩み寄る。丁度いい、そちらが宿への帰り道だから。それを計ったつもりは無かったけれど、少し短縮が出来た時間に気を良くしていた。ただ、最後の男はまともに立つことも出来ない癖に、地面を這いながら私から逃げようともがく。
「た、た、助け――!」
言葉途中、真上から真っ直ぐに剣を突き立てる。何度か手がぱたぱたと上下に動くが、反射か何かだろう。男は既に絶命していた。
「お前は見苦しい、神に説教を受けるといい。それだけの愛を受ける権利が、お前にあればだけどね」
私は路地裏から出ると、転がる男達の影を瞬き一つ分の時間見つめ、ゆっくりと剣を鞘に収めた。
「――終わりましたよ、町長殿」
宿に戻れば、正面にあるロビーには小柄な老人が座っている。私の姿、そして言葉に落ち着きなく顔を上げると、近くに控えていた数人の男達に幾つか声を掛ける。彼らは私と入れ違うようにして、宿から出て行った。おそらく死体を片付けるのだろう。あのままにしておいては、『町の平和』に関わる。
「お、お怪我は、ございませんか、オリビア様」
「いいえ、全く」
「そ、そうですか……」
町長の声は震えていた。元々そういう話し方であるのか、私と対峙しているせいなのか、他の理由であるかは判断のしようが無かった。
「あ、あの、ありがとうございました」
弱々しい声と共に、震える手で差し出された包み。手に取り、それが謝礼であることを理解して、私は彼に向かって深く頭を下げた。
「あのような輩による被害で困っていた善良な町から、謝礼を受け取ることをお許しください。旅には何かと、入り用なもので」
「と、とんでもありません、お礼としては少ないくらいです。どうか、お受け取り下さい」
「ありがとうございます。これも神のお導きです。お困りの時期に偶然訪れることが出来て幸いでした。……それでは、私はこれで」
淡々とそう告げると、頭を低く保ったままで数歩下がる。ゆっくりと体勢を元に戻し、視線を向けても、町長は私を見つめてはいなかった。テーブルの木目へと、意味もなく視線を落としている。彼の隣に立っている、側近らしき若い男も同じだった。自分へと視線が向けられていないことを確かに理解しながら、私は再び軽く頭を下げると、彼らに背を向けた。
「町長、あれが本当に伝説の戦乙女なのですか? もっと荒々しいお方だと思っていましたが」
「滅多なことを言うものではない。あの方は――」
一階奥の角を曲がる直前、耳に届いた会話に一つ溜息を零す。突き当たりにある階段を目指して静かに歩きながら、ずっと気になっていた時間を確認すべく、胸元からお気に入りの時計を取り出す。
「危うく時間を過ぎてしまうところだったわね」
予定していたより、時間が掛かっていた。同じポケットから銀色の小さなケースを引っ張り出し、その中から一粒の錠剤を手の平に転がす。喉の奥へとそれを放り込んでようやく、肩の力が抜けた。
「……子守に、掃除ね。全く、教育係というのは苦労の多い仕事だわ」
割に合わないとまで言うつもりは無いが、楽な仕事とは言い難い。右肩近くで一纏めにしている長い髪に、返り血などが付着していないことを確認して、私は部屋へと戻った。消灯された部屋の奥、ベッドの上でヴィオランテはぐっすりと眠っている。あまりの元気さに、ちゃんと眠ってくれるか不安だったけれど、やはり慣れない旅の疲れはあるのだろう。近くにある私の気配に身じろぐことなく、深く眠っていた。
この子の旅は始まったばかりだ。これから、難しいことも、恐ろしいことも、面倒なことも、どうにもならないこともあるだろう。……この子だけではなく、おそらくは私にも。
「おやすみ、ヴィオランテ。また明日」
ただ、明日も私が隣にいて、私の隣にはこの子がいる。それだけは、再び領地へと帰るその日まで、きっと変わらずにある。
私は自分の胸元に、指先で小さく十字を描いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます