第3話_国王付きの情報屋
宿で待機していれば日が暮れるより少し前に、ジオヴァナ姫からの使者が手紙を持ってきた。
「ジオヴァナも少し滞在するみたいです。明日の夕方、宿に来てほしいと」
当然、私達は応じることにする。同じ目的を持っている以上、彼女らと話が出来る――あわよくば協力し合えるのは有益だ。彼女らが許可を取れていないとしても、今の私達にとって打てる手数は多いほどに良い。
「時間まではどうしましょう?」
「そうだな、先日話に上がった魔物の件でも聞き込みしようか。王都にもそう頻繁に来られるものではないからな」
「あ、そうですね、確かに」
明日の予定を大まかに立てた後には、早めに休むことに決めた。私の故郷から少し強行軍で王都まで移動してしまったので、元気そうに見えるヴィオランテも少しは疲れが溜まっているかもしれない。もしも望み通りヴォールカ火山帯へ入れるとしたら、いつも以上に準備と体調を整える必要がある。長く立入禁止となっている上、全ての情報を思えば、そこでは何が起こるのか、全く分からないのだから。
そうして、ヴィオランテがすっかり寝静まった夜。私も眠るつもりで身体を横たえたところで、窓の端に微かな光が横切る。数秒後、私は静かに身体を起こし、ヴィオランテを起こさぬように身支度を整えて外に出た。宿から出れば、カツンと遠くで音が響く。導かれるように進み、宿から幾らか離れた場所で、私は白銀の髪を見付けた。
「随分と突然の誘いだな、アイリーン」
「気付いて頂けて何より」
にっこりと笑っているのが気配で分かるけれど、街灯の届かないような路地裏に入り込んでしまえばよく見えない。ただ、彼女の髪だけは、微かな光に反射してその形を教えていた。
「一体どうした?」
呼び出し自体は珍しいことではない。『副業』の依頼はほとんどが彼女から不意に呼び出されて伝えられる。ただこんな夜中に、休んでいる宿へと呼び出しに来ることは稀なことだった。アイリーンは静かに私へと近付き、小首を傾げて身を寄せた。少しだけ甘い香りが私の身体に纏わり付く。
「……国王陛下は、あなたとジオヴァナ様の接触をご存じよ。今とても警戒されている。下手に動くのは得策では無いわ。また捕まっちゃうわよ、あなた」
「それは穏やかじゃないなぁ」
確かに私は嘗て、城に幽閉されていたが、何か悪さをして捕まっていたのとは違う。戦争中は、戦場で『使用』する為。その後は、私を『管理』する為だ。私は酷いPTSDに悩まされていた。その症状によって、無関係な人にまで刃を向けることがあった。錯乱状態の末のことであった為に罪には問われなかったものの、危険とみなされ、『治療』という名目で戦争終結後も四年間、城に閉じ込められていた。幸運にも今の薬で症状が抑えられることが分かってからは無事に家に帰ることが出来たけれど、国王にとって私は今も『切り札』のままだ。他国との争いが起こることがあれば、必ず私は徴兵されるだろう。そんな私に他国との癒着という嫌疑が掛かってしまうなら、再び『危険』と判断されて幽閉されるというのも、あり得ないことではない。
「だが、あの山に入るにはジオヴァナ姫の協力は必要そうだよ」
「そうね。だから火山に赴く目的があるのは、あなた以外でなくてはいけない。この件で、あなたは中心になってはいけない、ってことよ」
「……よく分からないな?」
全く理解できないとは言わないが、その言葉だけでは具体的な策が見えてこない。眉を寄せる私の反応を楽しむように見つめたアイリーンは、私の真正面に立つと、胸元から一枚の封筒を取り出した。
「『とっておき』のお土産があるわ、オリビア」
「これは」
差し出してくるそれを手にして、私は息を呑む。暗闇に慣れた目が、その正体をはっきりと理解した。
「ね、褒めて頂戴? きっとあなたの願いは叶うでしょう」
その言葉は少しも大袈裟ではない。私の手の中にある薄っぺらい紙は、私とヴィオランテがどんな手を尽くすよりも効力がある。そう確信できるものだった。
「相変わらず、耳と足と手の速いことだ」
「仕事ですから。それに」
一歩私の方へと歩いたアイリーンは私の身体に密着し、少し爪先立って耳元に小さく囁く。
「私は『国王付きの』情報屋なの。得意分野も良いところね」
「……何だって?」
他の何の音にも遮られることなく届いた言葉なのに、私は自分の耳を疑っていた。アイリーンは
「あら、そんなにおかしいかしら? 一番、羽振りがいいお客様よ?」
「それはそうだろう、しかし」
彼女の主張は正しい。世界一の国土と人口を持つフォードガンドの国王陛下であれば、ともすれば世界一の財力を持つ可能性がある。彼女にとって『顧客』としたい理由には一切の疑問は無い。だからこそ、私は今の状況が信じられない。
「ならどうして国王でなく、私に有利に動くんだ」
「それは寂しい質問ね。勿論、あなたが大好きだからよ」
まるで用意されていたような返答に、私はただ溜息を零した。つまり彼女は真っ当に回答するつもりが無いようだ。私の望んだ回答でないことは理解しているのだろうに、アイリーンはそんなことをお構いなしに再び背伸びをすると、断りもなく私の唇にキスをした。
「火山から、きっと無事に戻ってね、愛しい人。そしてまた私の『相手』をして頂戴」
そう言うと、再び軽く唇を触れさせ、アイリーンが私の身体から離れる。手渡された封筒は確かに今の私にとって有益であり、与えられた情報も有難い。彼女の行動に対して納得が出来たわけではないにしても、彼女にも何かの考えと利があるのだろう。答えを得ることを諦め、私は肩を竦めた。
「まあ、この件については感謝している、誘いも構わないが、……あまり紅は付けないでほしいかな」
指先で唇を拭えば、アイリーンの口紅の色が指に付いた。これから宿に戻らなければならない私には、このような痕跡は都合の良いものではない。するとアイリーンは不愉快そうに目を細めて、ハンカチを私へと押し付けた。
「もう、無粋な人ね」
本当にこんなことで彼女が怒っているのかは分からないけれど、その後は特に別れの挨拶など無く、アイリーンは立ち去って行った。借りたハンカチは白く、口元を拭えば彼女の紅の色がそのまま残る。……考えてみればこのハンカチも、暴かれれば痕跡になるように思う。とは言え、拘束されず自由の身である私の持ち物を暴く者などもう居ない。彼女からのハンカチを捨ててしまうわけにもいかず、私はそれを丁寧に畳んで上着の内ポケットへと入れた。
翌日、私とヴィオランテは街の中で魔物の件について話を聞いて回ったが、これと言って情報は得られなかった。それが『王都付近での魔物増加は無い』ということなのか、それとも王都の者は地方の者に比べて外に出るようなことが少なく、気付いていないだけであるのかも確証は無い。
「少なくとも王都近辺では大きな異変は無い、ということしか、分かりませんでしたね」
「そうだな。この件については少し長い目で調査するしかないか」
色々と対象を変えてみても目新しい情報も無いままに、ジオヴァナ姫との約束の時間が迫り、私達は適当なところで聞き込みを切り上げる。ジオヴァナ姫がご滞在の宿は私達の宿とは正反対の位置にあり、私達が取ったような安宿とは文字通り桁の違う宿だった。王族であることを思えば当然かもしれない。あるいは、国王陛下がご厚意で用意をしたのかもしれないが。
訪れた私達に対してジオヴァナ姫は相変わらず気さくに笑顔を見せ、歓迎して下さった。
「早速だけど、私らも駄目だったわ。にべもないって、こういうことね!」
楽しそうに笑っている彼女に、ヴィオランテは苦笑いをしている。彼女達も断られてしまうだろうとは予想が出来ていた。今まで書簡上は断ってきた以上、来てくれたという一点だけで首を縦に振るほど、陛下は柔らかな方ではない。
「でも朗報が一つ。『シンディ=ウェル』の使者はカルロよ。話が早くて最高だわ。ってことで、組まない?」
「え?」
「それで一発覆せるような有効な手があるわけじゃないけど、今は味方が一人でも欲しいの」
言葉は軽いが、どうやら姫は私達と同じことを考えている。また、第一王女が御自ら赴いたこの遠征に何の成果も出せないというのは彼女ら側の面子にも関わることだ。必死さという意味では、私達に勝るものであるのかもしれない。そう思わせるほど、彼女の目は真剣だった。そしてその目は徐に私へと向けられる。
「それに先生様、話には聞いていたけど城内ではスゴイ影響力だったわ。伝説の戦乙女」
「ジオヴァナ!」
「いや、構わないよ。そうだね、使える名なら使いたかったが、今回は願いを聞き届けてはもらえなかった」
謁見を優先にして頂けたことは幸いしたが、結果が伴わなければ詮が無い。また、アイリーンの情報を信じれば『私であること』は今回に関しては悪手であった可能性もある。入山を求めているのが私達だけならば有効に使える手もあったかもしれないけれど、他国の姫らが関わったことで風向きが変わっている。この話を告げるかどうか迷い、私が少し沈黙したところで、部屋に新しい訪問者が入ってきた。
「カルロ!!」
「ヴィオラ! 久しぶりだなぁ!」
先程話題に上がったカルロ王子だ。彼は『シンディ=ウェル』の第四王子であり、今回、ジオヴァナ姫と同じく使者として訪れ、ジオヴァナ姫によって協力を持ち掛けられてこの宿まで訪ねてきたと言ったところだろう。しかし、カルロ王子とヴィオランテは緊張感など無く、久しぶりの再会を楽しんでいる。
「カルロ、背伸びたねぇ!」
「お前も高くなってんじゃん!」
中型犬と大型犬がじゃれ合うようにして、ハグをして飛び跳ねながら回っている。ううん、二人は今年で何歳だったかな。百歩譲って嬉しいのは分かるが、此処はジオヴァナ姫が取っている宿の一室なのだけど。案の定、二人を見つめるジオヴァナ姫は整った眉を吊り上げて、不満そうにわなわなと震えていた。
「ちょっと二人共ずるくない? 私ずっと真面目にやってんのに! 私だってハグくらいしたかったんだけど!?」
しかし、勢いよく椅子から立ち上がって彼女が叫んだ言葉は私の予想からは大きく外れていた。レベルが同じだ。肩を組んでいるカルロ王子とヴィオランテが大きく両腕を広げると、ジオヴァナ姫はそっと二人に身体を寄せて改めてハグしていた。三人共、呑気だな。ジオヴァナ姫とカルロ王子の従者はそれぞれ何とも言えない顔で佇んでいる。昨日から何度目か分からない同情の念を抱いた。
「さて、それでどうするか、よね。下手に圧力を掛ければ反発しそうな感じの、気位の高い御方だし」
閑話休題、ジオヴァナ姫はきちんと話を元に戻した。聞けばカルロ王子は陛下との謁見が明日予定されているそうだが、ジオヴァナ姫があっさりと追い返されていることを考えれば、『シンディ=ウェル』からの使者、というだけでは同じ結果となることだろう。何か手土産となるネタがあるのかをジオヴァナ姫が問うけれど、カルロ王子は残念そうに首を横に振った。
「国境で起こった二年前の疫病、俺の国からの医師団と薬が大事無く鎮めてやっただろ、とか言いたいとこだが、アレも相当フォードガンド国王からの援助金あってのことなんだよな。今のところ関係がイーブンどころかちょっと分が悪いよ」
彼の国『シンディ=ウェル』は、医療や科学の分野において世界で最も進んでいると言われている。彼の言う疫病のことも当初は酷く恐れられたものの、彼の国からの援助によって、ものの数か月で鎮静化され、死者は少なかった。しかし我が国の王も押さえるべきところは押さえていると言うか、この国が取れる最善の手で対応していたらしい。印象としては酷く頭が固く、自分本位で、非情とも思える方だが、付け入る隙があまりに少ない。
「本当に、私達だけでは不可能とも言える壁だったわけだな。……しかし一つ、良い手があってね、姫と王子にもご協力を仰ごうと思っていたんだ」
「え、どうしてそれ私も初耳なんですか? 今日ずっと一緒に居ましたよね?」
ヴィオランテが呼吸も挟まずに入れた指摘は正しいが、私は何も言わず、にっこりと笑った。咄嗟にヴィオランテが「顔が良い」と呟いたのは聞かなかったことにして、さっさと話を進めよう。私はアイリーンから受け取った封筒を取り出す。
「それは?」
「アデル・コンティ様からの書簡だ」
「おばあ様の!?」
大袈裟なほどに驚いているのがヴィオランテで、二人は目を丸めるものの、これがどうしてそれほどの衝撃なのか、そして『良い手』であるのかを理解しない。
「ヴィオランテを火山帯へ視察に向かわせる、その許可を願う内容になっている。それを、成人の儀のルートの一つとする為だ」
「いや確かに私はそうお願いする手紙を出しましたが、出したのが三日前で……ええ……どういう……?」
順調に手紙が届いていたとしても、アデル様が返事を書いて此方へ届けるには全く足りない。直ぐに対応頂いていたとしても後二日は必要だ。アイリーンという存在を知っている私でも『早すぎる』と思うが、手段についての疑問は後でも構わない。ヴィオランテの目で見てもこれは間違いなくアデル様の書簡であるのだから。
「これを使おう。アデル様の発言力の怖さってものを知る、いい機会だ。この一枚、おそらく国王の回答全てが覆せる」
書簡の詳細を説明するも、姫も王子も、そしてヴィオランテまでも、効力については半信半疑の顔をしている。だが、これは圧倒的な勝ちの手だと、私は確信していた。
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