第3話_弓兵

 計画通りに神がこの決戦地へ向かっているという一報に、小さな安堵の息を吐く。

 あれが想定外の動きを見せるほど、誘導役となる部隊が何かしら仕掛けなければならず、その分、部隊に配置されているヴィオランテの危険度も上がる。人間側が何をする必要もなく、この場に来てくれるのが一番いい。

 既に事が起こってしまった後であるとは何も知らずに、私は静かに決戦の時を待っていた。

 コンティ家の本隊はまだ到着しておらず、間に合うかは微妙なところであるようだ。神の移動が徒歩であり、その速度を思えば馬で領地から向かってくるコンティ家は間に合うだろうと思われていた。しかし予想外だったのは、各地の火山噴火による被害。そして付随して起こった地震で、一部地形の変動が見られたこと。コンティ家は少し、迂回を余儀なくされていると聞いた。

 そして噴火被害は人里にも出ており、今は小康状態となっているものの、同じ規模での噴火が続けば、一般人が危ない。

 この決戦地に来ていない軍や、各領地の私兵らは住民の避難や救助に追われており、この決戦が窮地に陥った場合にも、これ以上の援軍は難しいかもしれない。本当ならば人類の中、戦える全ての者が力を合わせたい状況で、手を割かれてしまったのは痛い。

 あのような圧倒的な存在に数の利など、どの程度あるかは不明ではあるけれど、戦う為にこの場に立っている兵らにとって、これ以上の助けが無いという状況が絶望に繋がらなければいいのだが。

 あらゆる不安が渦巻く中、ヴィオランテと別れてから一日半。翌日の正午頃に、決戦地がざわめき始める。神がすぐ近くまで来ているらしい。周囲にも緊張が走る。

「……何故、ヴィオランテの姿が無いんだ」

 誘導役を担っていた第一部隊が決戦地へ到着し、石垣の後ろへと回り込んでいった。続いて第二、第三部隊も別の部隊へと合流すべく動いているのが見える。その何処にも、彼女の姿が見えない。

 伝令役として先んじて別の部隊――例えばカムエルト陣営などに向かったのだろうか。それとも、隊列に紛れたのを見落としただけか。私にはヴィオランテほどの視力は無く、見付けられなかった理由など幾らでも思い付く。しかし胸騒ぎがまなかった。太陽の匂いが、ずっと、感じられない。

 けれど呆然と立ち尽くしているわけにも、あの子を探し回る為にこの場を離れるわけにもいかない。

 平原へと下りて神と直接戦う予定となっているのは、フォードガンド国が誇る精鋭の小隊と、私だけ。残りは弓などを用いた遠距離攻撃に徹してもらうことになっている。今は石垣とは対面側、下見の際にヴィオランテと立っていた丘の上で精鋭らと共に神の到着を待っていた。

 不意に、後方がざわ付く。

「何だ?」

「コンティ家の本隊が到着されました!」

 同時に、一際大きな馬に跨る大柄な男性が見えた。ヴィオランテの父君だ。彼が領地から弓兵を率いてきたらしい。神の気配がまだ平原に無いことを確認して彼へと駆け寄ると、直ぐに彼は気付いて馬を止めてくれた。

「ディオン様。ご領地からの遠征、お疲れのことと思いますが、宜しくお願い致します」

「いや、此方こそだ、オリビア殿。……この国は何もかも、あなたに頼ってばかりだな。私などが国を代表することは出来ないが、ただただ、深くお詫びする」

「とんでもございません。弱き者を守る為、」

 神が、私に与えてくれた使命であり、力だ。……そう信じていたけれど。もう、その言葉は言えそうにない。

「私は可能な限り、力を尽くすのみです」

「ありがとう。此方も全力で、あなたを援護する」

 他の領主や貴族に告げられた言葉ならば上辺だけを取り、ありきたりな礼を述べるに留まっていたかもしれないが、下げていた頭を上げて、私は彼が担いでいる大きな弓を見やった。使い込まれたそれには、今まで屠った多くの敵の怨讐が纏わりついているように思える。

「我が国で随一と呼ばれる弓の名手の援護ほど、心強いものはありませんね」

「そのように言われてしまえば緊張してしまうな……」

 薄く笑うディオン様に、私も笑みを返した。

 だが雑談ばかりしても仕方がない。これから始まる戦いもそうだが、それ以前に私はコンティ家から雇われた『教師』の立場がある。教え子が見当たらないことは、報告しておくべきだろう。

「あの、ヴィオランテですが、まだ姿を見ておらず。申し訳ありません、今、何処に居るのか」

「……ああ。……いや。今、娘のことは良い。目の前に集中しよう。もう間もなく、決戦の時だ」

 ディオン様は何処か忙しなく視線を彷徨わせて、平原へと向けた。まだそこは無人だが、確かに、神の気配は近付いている感覚がある。もしかしたらディオン様は別の伝令から神の位置や到着予定など、私よりも詳細を既に聞いているのかもしれない。

 計画では、神が平原に入り込めば、私と精鋭部隊が石垣の逆側に回り込んで、挟み撃ちにする形で戦うことになっている。始動までもうあと一時間も無いだろう。コンティ家弓兵にも準備の時間が必要だ。お止めしてしまったことを短く詫びた。

「オリビア殿。――ご武運を」

「ディオン様も」

 再び馬を進めたディオン様は、私達が待機している陣営の少し東側で、率いていた弓兵を展開させていた。その動きを見守り、私も精鋭部隊の傍へと戻るべく踵を返す。視線の先、精鋭部隊を挟んだ逆側でも、コンティ家の弓兵が展開していく。別動隊のようだ。

「第四隊は西側へ! 第五隊はやや後方に待機!」

 指示を飛ばしているのは、若い女性の声。その力強さには馴染みがないのに、透き通るような声の色には、覚えが、あって。戦場であることを思えばあり得ぬほど、一瞬、私の心は無防備になった。

「……アイリーン?」

 馬上で揺れる白銀の髪。見慣れぬ武装姿をしていたものの、見間違えるはずがない。声に気付いた彼女は、別れたあの日と何も変わらぬ仕草で、私を振り返った。

「あら。此処に居たの、オリビア。久しぶりね」

「い、いや、――はぁ!?」

「ふふ」

 私の動揺ぶりに軽く笑った後、アイリーンは部隊の者に何かを言付けてから馬に乗ったままで傍に来てくれた。

「あなたに名前を呼ばれるのが好きだったけれど、今後は二人きりのベッドだけにして頂戴。今の私はアイリス。覚えていてね」

 その言葉から何があったのかを察した私は、額を押さえて項垂れる。頭上から、アイリーンの笑い声が零れ落ちて来た。

 つまり『処刑』は形だけのものであり、実際は彼女から『名前』や『立場』を剥脱する処置だったのだ。彼女自身にはこの通り、傷一つ付けられていない。牢の中で私が感じた喪失と怒りが、更に行き場を失くして心の中で丸まった。

「それならそうと言ってくれ……大体、あの仰々しい別れの手紙は何だったんだ」

「本当にごめんなさい。だってあの時は私も、処刑されると思っていたのよ。だけど謁見の間に行ったら、陛下と共にアデル様がいらっしゃって」

 更に色々と察して、今度は空を仰ぎ見て深い溜息を零した。要するにアデル様が口添えする直前までは、本当に処刑の予定だったのだろう。あの御方は、一体、何なんだ。アデル様に対してこんな物言いは無礼と思うけれど、もう、他に言葉が思い浮かばなかった。

「だが何故、アデル様が君のことを?」

「あー、えーとね」

 私の問いに、アイリーンは何処か申し訳なさそうに笑い、視線を一度、彷徨わせた。

「実は私――というか叔父の代からね。元々はアデル様に雇われて、陛下の御傍に居たの。そしてあなたの傍に居たのは、陛下からのご指示。……この説明で、あなたなら伝わるかしら?」

「ああ、充分だ。よく分かったよ……」

 先代とアイリーンは、そもそもアデル様の部下であったらしい。陛下を監視する為に『国王付きの情報屋』として働き、その陛下から私を監視するように言われ、私の傍に居た。

「だけど誤解しないでね。アデル様は国王陛下に不信があったわけじゃないの。オリビアを心配していただけよ」

「私を?」

「だって陛下の御傍に入ったのは、オリビアが城に幽閉されてからだもの。あなたを利用する周囲を確認して、細かくアデル様にご報告する為の手段だっただけ。アデル様が本気で陛下に不信を抱かれるなんて、あり得ないことだわ」

 前半部分を「そんなまさか」と思ったのは一瞬で、アデル様なら私のような者の為にもそこまで心を砕いて下さるかもしれないと思った。あの御方はご領主という立場でありながら、本当に多くの時間、私の傍に居て下さったのだから。しかし後半については「そうだな」と容易く頷くことが難しい。思わず眉を寄せた。

「随分とはっきり言い切るんだな」

「あら、知らなかった? お二人は小さな頃から本当に仲の良い、よ?」

「は」

 さも当然のように言ってくれるが、二人がご血縁であるなんて初耳だ。

 貴族界では有名なのだろうか――と浮かんだ考えを瞬時に打ち消す。それならばヴィオランテが知らないのはおかしい。きっとあまり広くは伝えられていないのだろう。アデル様の人柄を思えば、国王陛下との血の繋がりによって貴族界で優遇されるようなことを避けていた可能性もある。何にせよ、アデル様は『雇い主』としてアイリーンを守ることを選ばれた。……経緯を思えば、いくらアデル様といえどもただで済んだとは思えないが。そう思って顔を上げると、汲み取ってしまったらしいアイリーンは、やや眉を下げた。

「そうね。まあ、隠してもいずれ分かることだから。……引き換えに、アデル様、いえ、コンティ家はもう、『法の貴族』としての権限を永久に放棄したわ」

 驚きは無かった。それくらいの代償は払われているだろうと思ってしまった。

 だが、その事実は私の心にも重く伸し掛かる。アデル様は、法の貴族としての『最後の仕事』に、私を釈放させることを選んで下さったのだ。もしもアデル様がそのように動かなければアイリーンが命を懸ける必要も無く、結果、法の貴族を下りることも無かった。ともすれば今、私が此処に立っていることすら。

 国王陛下からすれば、この取引に応じれば怖いアデル様からの意見が二度と上がって来なくなり、表向きにはアイリーンを処刑したことにすれば面子も保てる。アデル様にとって陛下が信を置ける血縁であると同時に、陛下にとってのアデル様もそうなのであれば、アデル様の御傍なら、機密情報を持つアイリーンを置く恐怖も少なかったのだろう。逆に、監視してもらう意味では、最善の預け先とも言えた。

 アイリーンの顔を見た瞬間の動揺が一つの場所に収束して、諸々の疑問に納得したところで、ふと、戦場の空気が変わったことを感じ取る。

「アイリス、呼び止めて悪かった。……間もなく開戦になりそうだ」

 勘のようなものだ。あれの力かもしれない。近付いていると、肌で感じ取った。アイリーンもやや緩めていた表情を引き締め、自身が率いていた部隊の配置を確認するように視線を遠くへ向けた。馬の手綱を引き、数歩、私から離れる。

「オリビア」

「ん?」

 私も待機場所へと戻るべく、背を向けた瞬間、蹄の音が止まった。少し離れた場所で、アイリーンが私を見つめている。

「……きっと無事に戻ってね、愛しい人」

 火山へと赴く前にも、彼女は同じ言葉で私を見送った。

 待ち受ける脅威はあの時と同じだが、あの時と違い、アイリーンは共に戦場に立つ仲間となる。正直、もう死に別れはごめんだ。

「今度こそ、君もな」

 私の言葉が意味するところを汲み取って、アイリーンもふっと頬を緩めた。

 その時、一つの大砲が唸る。同時にアイリーンは弓兵の元へと駆け出し、私も平原を振り返った。

「オリビア様!」

「ああ、今行く」

 精鋭部隊らの傍へと駆け寄る。もう私の目でも確認できていた。神が平原へと入り込み、石垣の兵らは攻撃を開始している。大砲は決戦を告げる空砲だったようだ。着弾した跡は無い。精鋭部隊と共に、馬に跨った。

「――出るぞ!」

 私の号令で、一気に馬で急斜面を下る。神の背後に回り終えると、直後に馬は捨て、戦場の外へと逃がした。石垣からの弓を軽く爪で払っていた神が私達を振り返る。全員が同時に剣を抜いた。

 本体との対峙はこれが初めてとなる。神の攻撃範囲外と思われる場所から、私は注意深くそれを見つめた。そして、微かに安堵していた。今度は、見える。

「視認できるのはありがたい。核は、喉元の石だ!」

 太陽の光を吸い込んでいるかのように一切の輝きを返さない漆黒の石が、神の喉元に埋まっていた。精鋭兵らもそれを目標と定め、各々得物を構え直している。だが、弱点とも言える箇所を指摘された神は、ただただ愉快そうに口角を引き上げていた。

「また会えたな、娘。そうだ、これが私の核だ。知ったところで何もできまい。矮小な生命ども」

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