第4話_神に背く刃
最初の攻撃は平原に立つ我々からではなく、コンティ家からの矢だった。
神は通常の矢と同様に払い退けるつもりだったのだろうが、爪が矢尻に触れたことで、微かに爪の動きが止まった。ビシッという音と共に白い
続いて、後方の石垣からの一斉射撃。大砲を扱うのは控える話になっている為、今は鳴りを潜めている。大砲によってもし核を破壊できたとしても、破壊後の核を見失えば封印が困難となるからだ。大砲は、神がこの決戦地を離れようとした場合の足止め用に配置していた。
矢の雨に合わせて、精鋭部隊の内、盾を装備している三名が踏み込む。逆方向から降り注ぐ矢を盾で凌ぎながらも、長い槍で神の喉元を狙い、正確に攻撃を仕掛けた。
動きには一切の無駄がなく、確かに精鋭であることが窺える。ヴィオランテに、手本として見せてやりたいくらいだ。
申し分無かった。
相手が神でなければ、きっとあの攻撃だけで終わっていた。
しかし彼らが前方に構えた盾は、まるで泡で出来ていたのかと思うほどの容易さで切り払われ、斬りかかった三名の身体は瞬く間に神の爪に貫かれていた。
「……遅いな。身体の大きさ故か? まだあの小娘の方が速かった」
力を失った身体を方々に放り投げる様は、『神』と呼ぶにはあまりに残虐だ。神の後方から、号令と共に何度も矢が放たれ続けている。その音に紛れ、神が何かを呟いた声は、私には届かなかった。
「あれの攻撃は防具を貫く! 直撃をするな!」
部隊に声を飛ばしながら、私も神へと踏み込む。直前、またコンティ家から数本の矢が射られ、隙が生まれる。それを見極めて飛び込んだが、神からの攻撃を受け止めるだけで手一杯で、攻撃には一切回れないままで後退を余儀なくされた。手数を穴埋めするように他の兵も剣や槍を振るってくれたのだが、掠り傷一つ、負わせることは出来ない。
「くそっ」
他の兵らに聞こえぬよう、静かに舌打ちをする。私が苛立ちを見せれば兵らに不安が広がってしまうかもしれないという
神の動きは確かに鈍い。海水を浴びせられた影響は確実に残っているし、超低温の矢で隙は生まれ、反射も衰えが見える。それでも、何もかもが届かない。元々の実力差が大き過ぎた。
私が踏み込んでいる間は他の者らを仕留めるほど神も手が回らないのか、最初の三名以外には犠牲は出ていない。ただ、回避の遅れた者から着実に、防具や、手足の何処かを負傷していく。削られているのは、どう見ても此方だ。時間をどれだけ稼いだとして、此方にはもうこれ以上の戦力は無いというのに。精鋭らは間違いなく強い。ヴィオランテの数段上の腕を持っている。彼らを同時に相手しようとしたら私も危ないだろう。だが、神の前では大人と子よりも遥かに大きな差があった。
――『神』なのだ。
目の前に立つのは、間違いなく。人では太刀打ちできぬほどの強大な力を持った、創造主で。我々は今、大地を壊すべく剣を突き立てているようなものだった。
「下らぬ。何だったと言うのだ」
私達からの攻撃を容易く捌いている神から、溜息交じりの声が聞こえた。
その言葉の意味など考える余裕が無く、私はひたすらに、有効打を与える隙を探し、息を吐く間もなく剣を振るっていた。
「もう、飽いた」
しかしその言葉だけは、強く耳に残った。おそらく、直後の惨状のせいだ。
何かが来る。予感と同時に「下がれ」と叫んだと思う。皆に私の声が届いたかどうかは分からない。私もほぼ反射的に後方へ飛び退いた。避け切れずに左腕の防具が破壊され、血が噴き出す。そして、共に戦っていたはずの精鋭部隊の二十余名が、ばらばらとなって飛び散っていた。
「あ……」
何てこともない、戯れの時間だったのだ。
石垣からの矢も完全に止まっている。何度も響いていた射撃号令も聞こえない。今の攻撃範囲は何処までだったのだろうか。例えこの惨状に驚いていたとしても、完全に攻撃を止めて静まり返ってしまうほどフォードガンド国軍がやわだとは思えない。おそらくは、届いてしまった。すぐに攻撃に転じることが出来ない程度に、石垣の方でも被害が出ている。
「オリビア」
神が私の名を呼んだ。いつ何処で私の名を覚えたのかという疑問など浮かばなかった。ひくりと喉が戦慄き、恐怖が身体を覆う。だが次の瞬間。神の身体をコンティ家の矢が貫いた。核を狙ったようだが、それは神の爪で防がれていた。神の視線がコンティ家の弓兵へと向けられるより早く、私は反射的に踏み込んで剣を振るう。
それを軽く受け止めた神は、何処か呆れた顔をしていた。
「無意味だ。何を求めて戦う」
「お前のような存在から、人々を守る為だ!」
「何の為に?」
「神に――」
与えられた、使命だった。
弱き者や罪なき者を守る為に戦うことが私の神の、そしてその神を愛していた父からの、
「神は私だ。私はそのようなことを望んでいない。退屈な大地を作り直し、新たな命を観察する。そこに人はもう不要なのだ」
少しの風が吹く。いつの間にか太陽を遮っていた薄い雲が流れ、陽が差し込む。太陽の匂いがした。ずっと消えていたその匂いが身体を包み、私の心を折らせなかった。剣の柄を、強く強く、握り直す。
「……お前、ではない」
目の前に神が居る。しかしそれは私と父さんが信じてきた優しい神が『居ない』証明であるなどと、誰にも言えはしない。今までだって、誰もが「神など居ない」と笑った。だけど私も父さんも、そんな言葉に傷付きはしなかった。私達は、私達はそれでも。
「確かにお前は神なのだろう。だが『私の神』はお前ではない。私が信じた神は、断じてお前のような傲慢な存在ではない!」
神は必ず居る。清く正しく優しいものを救う神が。誰が信じなくとも、この目に映ることが無くとも、存在を照明するものが何一つ無かったとしても、――私の、心の中には。
「愚かな」
神が微かに攻撃の動きを見せた為、一度大きく後退する。同時にコンティ家から二つの矢が入った。私はそれに合わせて飛び込むが、神には一撃も入らない。
けれどこの時、コンティ家が二つの矢を入れたのには今までとは違う理由があった。
馬の蹄が地を叩く音が聞こえた。反応を前に、神と私の間に影が差す。
「イザベル、そのまま抜けて!」
異変を感じて神から距離を取った私の真後ろを、馬が駆け抜けた。そして神へと斬りかかったのは、ヴィオランテだった。
「ばっ……! お前が来てどうする!!」
私は息を呑んだ。身体中から冷や汗が噴き出した。
ヴィオランテの剣の腕は『そこそこ』だ。精鋭兵や私と比べてしまえば、実力は遥かに劣る。神に敵う道理など全く無かった。瞬き一つの間に彼女の身体が最初の精鋭兵らのように貫かれる、もしくは切り払われてしまうとぞっとした。だが、そうはならなかった。
二本の短剣で素早く攻撃を仕掛けるヴィオランテに対して、神が凌ぐことに苦戦していた。ヴィオランテの剣が、明らかに今までに見た速さではない。
「……何、だ?」
思わず足を止めて疑問を零せば、苦しげな表情を見せていた神が、唐突にそれを歓喜の色に変える。
「ふ、ふははは! 貴様、適応したのか!!」
その言葉を理解すると同時に、私は目を見張った。
神と斬り結んでいるヴィオランテの鎧は胸と胴の辺りに数カ所、穴が開いている。これだけの速さを見せていて負傷しているとは思えないが、まるで『貫かれた後』のような状態だ。ふと見れば、私が先程、攻撃を受けた左腕もいつの間にか血が止まり、傷口が塞がっていた。
これが『復活した神』の力に適応したものの副産物であるならば、彼女は私よりも大きな傷を負っていたのではないか。生存本能が神の力を手繰り寄せ、適応したのだとすれば。――私より、深いかもしれない。
「うああああっ!!」
「ぐっ、この、小娘が……!」
一瞬前まで笑っていたはずの神が、ヴィオランテの攻撃に再び眉を顰める。速さだけを見れば私と同等か、僅かに上か。しかも彼女は元々が二刀流だ。手数の多さに、神の余裕が失われていた。
喜ばしいことだろう。これ以上ない増援だ。それなのに、ヴィオランテからまるで太陽の匂いがしないことは、私にとって希望ではなかった。
瞳はいつもの彼女のそれとはまるで違う。怒りも何も無い、純粋な殺意ばかりを宿している。
魔物を前にしてもヴィオランテがそんな目を見せたことは一度も無い。いつだって彼女の瞳は透き通っていて、感情が鮮やかなものだった。それが今、神の力による衝動が濃く出ていて、覆い隠されている。その分きっと神と戦えるだけ強い力を得ているのだろう。しかしこのまま戦わせれば、飲み込まれてしまう。私の父のように、もしかしたら狂ってしまう。
神とヴィオランテが激しい打ち合いの後、互いが大きく後退して距離を取った。この隙に、一度ヴィオランテを止めなければ。そう思って再び私は剣を握り直したが――、ヴィオランテが苛立ちを示すように、右足で強く地面を叩いた。
「ッあーーーーーーうるさいなぁ! なんかめっちゃムカつきますねコレ!」
平原に響き渡る元気過ぎる声に、一瞬、呆けてしまった。
「先生もこんな感覚だったんですか!? こいつの力と声が頭の中を引っ掻き回してイライラする!!」
……ああ。
なんだ。
ヴィオランテだった。
今は間違いなく戦争中で、今までに無いほどの強敵と対峙していて、人類の未来が懸かっているのだけど。私は多分、生涯で一番と言っても過言じゃないくらい大きな声で、笑ってしまった。きっと遠くで、アイリーンは呆れているんだろうな。
「あーあ。お前のそういうところが大好きだよヴィオランテ」
「えっ、何ですか、もう一回」
「言わないよ」
ともすればこの戦場で最も緊張感を保っていたのは神だろう。
静かに動き出したその音に応じ、私とヴィオランテも、神との間合いを保つようにゆっくりと移動する。私と神、神とヴィオランテ、ヴィオランテと私のいずれも、同じほどの距離を置いて三角形を作っていた。神から目を離すことなく、私は剣の先で、十字を切る。もう迷いは無い。私の神は居る。そして『希望』が、並んで共に居る。
「お前からの再三の結婚申し込み、ちょっと考えたくなってしまったな」
「へっ? いい今のも! もう一回言ってください!」
「言わないが」
私の回答が不満だったようで、むっとした顔をしているのが視界の端で分かってしまって、また少し笑う。ヴィオランテは、私から離れるように――いや、神を私との間に挟むように少し早足で移動を始めた。
「もーいいです! 終わったら聞きます!」
「ああ、そうしよう」
地面を強く蹴ったヴィオランテが一気に神へと距離を詰める。
先程、彼女と激しい打ち合いをした意識からか、神はヴィオランテに反応して身体を素早く反転させた。だがヴィオランテはそのまま一太刀も入れようとせず同じ速さで後退する。彼女の動作に釣られて爪を空振りした隙を狙って、逆側から私が剣を振った。
一センチにも満たない深さだったが、初めて、神の身体に剣先が掠る。
「小賢しい……!」
目の前で神が怒りを露わにしているにも拘らず、もう、少しも恐怖は無かった。
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