第2話_勝てない戦い

「左翼隊、下がれ!」

 昼に至る前に合流した第一部隊の中、私は右翼隊のやや前方――つまり神からは少し距離のある位置を走っていた。扱っている馬は、先生が投獄された時に城下町で買った子だ。イザベルと名付けたこの子は、私にとって少し特別で、あれからはこの子に乗ってばかりいる。このような戦場に付き合わせても、不機嫌一つ見せずに私の為に走ってくれていた。

 神の姿は、兵らの隙間から時折目に入る程度で、走りながらということもあってまだ注視できていない。ただ、今見える限りでも姿形は火山で見たのと同じだ。違いと言えば、ガスのような白い気体を纏っていたのが無くなっているくらい。だけど逆にそれが無いから、――同じ人間に見えて、嫌だった。

「第二! 攻撃用意!」

 それでも、人間でないことは明らかだ。号令に合わせて射られた矢は全て、神に届く前に細切れになった。目に止まらなかっただけで、おそらく爪で払ったのだ。既にかなり海水を浴びているはずなのにあの速さかと思うと、勝ち筋が見えるとはとても言えない。四方八方から幾重にも攻撃をしているのに、今のところ、掠り傷一つ負わせることが出来ていない。

「くそっ」

「落ち着け! 我々は務めを果たすのみだ!」

 数名が苛立ちを露わにするけれど、各部隊の隊長らが何とか諫めている。そうだ、此処で傷付けることが目的じゃない。勿論、それが叶うならばと思ってしまうものの、計画の上でも、それは求められていなかった。とにかくあれを、決戦地まで引き入れるのが最優先だ。

 攻撃が全く通らなくても、その点においては順調だった。

 太陽が真上に来るまでは。

「待て、おかしいぞ」

「正面! 攻撃しろ!」

 神の進行方向が、決戦地から、明らかにズレている。私達、第一部隊がどれだけ攻撃しようとも神は意に介すことなく、むしろ迂回するように動く。攻撃を嫌がったのかと思い、続けて北側の部隊が仕掛けるが、それは易々と受け止めて、そのまま突き進んでいく。

「まずい、このままでは」

 決戦地へと入ることなく抜けられてしまう。周囲には焦りが生まれていた。この経路はどちらかと言えば火山に向かうよりも、シンディ=ウェルの方向だ。何度も軌道の修正を試みたが、神は思い通りに動かない。

「やむを得ない……左翼隊から直接攻撃だ!」

「駄目です!! 待っ――」

 右翼隊に配置されていた私の声は、届かなかった。いや、届いていたのかもしれない。だけど、騎兵らは馬を切り返し、槍を構えて神に向かって行った。きっと戦士の矜持だった。それを私みたいな子供が、無駄だと断じてはいけないのかもしれない。でも、今此処で散るべきだったとはとても思えない。

 馬と共に切り刻まれた騎兵らが辺りに転がって、神にとってそれはまるで、今まで射られた矢を斬るのと同じ容易さで。表情一つ、足取り一つ、変わらない。直接攻撃を命じた隊長からの指示が、止まった。

 私は手綱を強く引いて、大きく息を吸い込む。

「そのまま距離を保ってください! ――出ます!!」

「なりません! ヴィオランテ様!」

 止めようとした第一部隊の隊長は、私を神から離すようにして配置していた。私が貴族だってことを知っていたんだと思う。だけど――これは、『人類』にとって平等の戦いだから。

 私一人で、神の正面に出た。

 矢による度重なる攻撃と、先程の兵らの攻撃のお陰で、神の攻撃範囲もおおよそ見えた。届かないギリギリの線を保って馬を止めれば、神は私を攻撃すること無く、ただ、視線を向けた。

「火山へお戻りになると思っていましたが、お散歩ですか?」

 少しの距離があるので、声を張って話し掛ける。

 神は対話の意志があったのか、それとも気まぐれなのか。私の声に足を止めた。

「この先、虫共が集っているのは分かっている。わざわざ汚れに行く気にはならぬ」

 その言葉に私は、密かに歯噛みした。地脈に繋がっているとそのようなことも把握されてしまうらしい。私達の思惑がとっくに見透かされているなら、どのような手段を取っても、誘導などは効きそうにない。

「なるほど、神様でも怖いんですね!」

 私を無視して歩みを進めようとしていた神は、また動きを止めた。周りも私達の動向を見守るように、攻撃を止めていた。

「前回はそれで人間に負けたんでしたっけ? 今度は捕まらないよう、人間を迂回して火山に逃げようというわけですか」

 言い終わるや否や、攻撃が飛んできた。ざわりと腕が泡立って、咄嗟に馬を切り返した。攻撃範囲外だと思っていたのに、届かないわけじゃないらしい。少し馬を下げて、また距離を取る。でも、避けることは出来た。やはり海水によって衰えはあるんだ。加えて、この『神』には、。火山で会った思念体には無かったものだ。お陰で、私からすれば距離が取り易く、あの時より攻撃が見えていた。そうじゃなかったら今の攻撃だけで馬から落とされていたかもしれない。身体中から、冷や汗が噴き出ている。自分の身体が、神を前にして恐怖を訴えているのが、嫌と言うほど分かった。

 人が恐ろしくない私でも、人のよう見えるはずのこの存在が、今、怖くてたまらない。

 先程の攻撃はおそらく爪を軽く振っただけだったのだろうけど、それでも神は表情を歪め、攻撃が当たらなかったことを不愉快そうにしていた。

「私を怒らせて何がしたい、小蠅こばえ

 苛立ちを乗せた声。『神』にも感情があるということが、今は正直ありがたい。煽り甲斐がある。

「折角ですから、『我が子』とまでお呼びでしたオリビア先生にお会いになれば宜しいのでは、という親切心です。先生はその『集団』と共にいらっしゃいますよ?」

「オリビア……あの娘か。なるほど、お前、火山に来た者の一人か」

 あの時も神は先生ばかりを見つめていた。じりじりと後ろに下がっていただけの私は目に入っていなかったようだ。まあ、覚えて頂きたいとも思っていないけれど。

「お会いにならないので?」

「下らぬ」

 冷たい声が短く返る。期待の反応ではない。もう少し先生に執着があると思っていた。周囲からも動揺と戸惑いが感じられる。だけどまだ、私に時間を欲しい。そう周りへ伝えるように、また声を張った。

「そこまで必死に避けたいほど人が恐ろしかったとは思わず、失礼しました!」

「小蠅が……耳障りな」

 また攻撃が迫る気配があったので馬を走らせる。蹄の跡を辿るように、神の爪が地面を抉った。私が少し逃げる形で離れたら、若干、神は私を追って、思い通りの方角へと歩いた。周囲は私を援護して、もしくは守ろうとして、海水と矢を放つ。それらを乱暴に振り払った神が、再び足を止めた。

「……煩わしい」

 さっきから、攻撃が来る時には身体がざわついていた。それはオリビア先生が私によく言う『野生児』の『勘』のようなものなんだろうけれど、今回身体が感じ取ったそれは、先の二回とは比べ物にならなかった。恐怖に喉の奥が震え上がる。

「撤退して下さい!!」

 咄嗟に悲鳴のような声が出て、私も慌てて馬を前に走らせた。攻撃範囲は一気に広がり、神は何を狙うでも誰を狙うでもなく、無差別に爪を振るった。範囲外と思われる位置で弓を引いていた部隊にまで、被害が及んでいる。多くの悲鳴や呻き声があちこちから上がっていた。

 私も完全には攻撃を避けられなかった。くらの一部が破損し、左のあぶみが外れた。愛馬イザベルが倒れ込み、私は地面に放り出されてしまう。幸いイザベルには直撃しておらず、すぐに立ち上がっていた。だけど私を案じて傍に寄ってこようとしていて、咄嗟に追い払うように手を振る。

「来ちゃだめ、離れて!」

 叫びながら留めれば、イザベルは私の指示に従った。単身で、部隊の方へと逃げていく。そんなイザベルに神からの追撃は無かったけれど、私には新たな斬撃が迫り、立ち上がるのは間に合わずに、横へ転がって回避した。

「総員、急いで撤退してください! 範囲外へ!!」

 攻撃範囲は、私達が思うよりもずっと広い。攻撃先を定めている時と無差別である時が別なのか、それとも、復活から経過した時間が関係しているのかは分からない。だが、先程のような広範囲攻撃を続けられてしまったら、第十二まで用意された誘導部隊は壊滅してしまう。

 馬を放棄した私は、もう、範囲外に逃れることなど到底叶わないけれど。

「私程度の相手は、お嫌ですか?」

 正面に立ち、二本の短剣を腰から引き抜く。冷たい目が、呆れた色で私を見据えていた。

「お前ごときに、何が出来る」

「そうお思いならば恐ろしくありませんよね? 是非、『神様』とお手合わせさせて頂きたく」

 騎兵である第一から第三の部隊は、もう充分に離れている。だけど周囲から兵器を使って攻撃をしていた第四以降の部隊は馬を持たない。そして海水の放水装置を手放すにはまだ、私達の目的は果たせていない。装置と共に移動をするには、時間が掛かる。何としてでも、その時間稼ぎが必要だ。

 私の言葉からひと呼吸すら空けずに、爪が振るわれる。やはり海水の影響か、火山で見たよりは動きが遅く、そして影を持つ為に反応は間に合っていた。しかし、私などが敵う相手じゃないのは明白。ものの十数秒後には私の両肩、そして右腕の防具は破壊されて地面に転がった。

 まだ、二本の剣が無事なだけ、マシか。

 だけど総員の撤退まではあと一分は欲しい。

「オリビア先生は」

 攻撃の気配に合わせて口を開けば、神がまた止まる。やはり、先生への執着、完全には消えていない。神が痺れを切らさぬ程度に間を空けてから、言葉を続けた。

「あなたに、会いたがっておられましたよ、

 目が合っているだけで、体力が搾り取られていくほどに恐ろしい。神は目尻をぴくりと震わせ、不機嫌を露わにした。

「そうは呼ぶが、お前からは私への畏敬の念が感じられぬ。いつまでも神の前に立ちはだかる無礼、ここまでと思え。……周りのごみと共にな」

 身体中が震えるような気配に、神がまたあの無差別の広範囲攻撃をしようとしているのを感じ取る。まだ、左右の部隊に届いてしまう。間に合わない。

「くっ、――させ、ません!!」

 私は大きく前方、神の懐へと飛び込んだ。

 接近戦に持ち込んで、私の剣を受け止める為に爪を使ってくれさえすれば、僅かでも攻撃が止まるはずだ。

 だけど爪は、私の剣と交わることは無かった。

 まるで私が先程までしていたことを真似るように、神は二振りの剣を爪の先で受け流し、擦り抜けた。私の胴を、神の左手から伸びた五本の爪が貫く。固い金属で作られた防具も、爪を防ぐ役割にはならないと初めから分かっていたけれど。

 右側の陣形からは悲鳴が響いた。私の踏み込みで守ることが出来たのは、左側だけ。

「か、はっ……」

 口から勝手に、大量の血が吐き出された。両の足は地から離れ、私の身体は神の左側でだらりと浮いていた。

「大人しく私の与える破壊を待っていれば、このような苦痛も無かったものを。いつの世の人も、理解が及ばぬ」

 つまらなそうな神の声が、まるで遠くから響くように聞こえる。視界は端が黒く塗りつぶされたように、狭まっていた。爪に付いた埃を払うような軽さで、神は私の身体を地面へと放り投げる。身体の何処も動かすことが出来ず、私は受け身も無く転がった。

「……ま、すぐ、そのまま、……どうぞ先生に、殺さ、れて」

 口から零れる血に邪魔されて、上手く音にならなかった。しかし神は確かに足を止め、私を振り返る。

「小蠅の分際で、まだ息があったか。まあいい、その無駄に潰える小さき命に免じて、会いに行ってやろうか」

 嘲笑が聞こえた。ああ、神からすれば、そうだろうなと思った。この命で守れるものは僅かであって、ほんの少しの期間の延長で。神が気を変えたのだって私の功績ではなく、ただの気まぐれ。何かを切っ掛けにしてまた気分を変えたなら、潰える命が手を伸ばせるわけもない。

「三千年の鬱憤、この手で少し、人に返してやるのも面白い」

 それでも、神は確かに、歩みを変えた。

 決戦地の方へと、静かな足音が遠ざかっていく。真っ直ぐそのまま進んで。どうぞ、オリビア先生に、殺されてください。じわじわ狭まる視界が捉えられるものは、もう、力無く地面に落ちている自分の指先くらい。

「加点、帳消しの、減点、です、ね」

 吐き気とはまるで違うものがせり上がって、また、血が口から溢れ出す。この吐血量なら、内臓の一つや二つは割かれてしまったんだろう。助かりようは、無さそうだ。

「せん、せい……」

 ご褒美、ほしかったな。ただ見つめて、褒めてくれるだけでも、良かったのに。

 目を閉じた先は、私が愛した深い夜空色なんかじゃなくて、冷たくて真っ暗の闇だった。


* * *


 決戦地には、まだ戦いの音も、神の気配も届かない。人の歩くような速度で近付いていると伝令から聞くばかりで、それを感じ取れる者は誰も居ない。順調に神の歩を誘導してこの地へと引き込めたとしても、今の速度であれば丸一日は掛かると見込まれていた。

 大きな雲が、上空を横切り、中央の平原に影が掛かる。

 休息の為に木陰で目を閉じていたオリビアは、明るさの変化に、一度その目蓋を開いた。

 弱い風が吹き込んで、乾いた土が微かに舞い上がる。雲が流れ、また、強い太陽の光が平原に差し込んだ。しかし、影は僅かな時間を横切っただけだったのに。太陽の匂いが、辺りから消え去った。

「……ヴィオランテ?」

 つい口元でその名を呼べば、幻聴のように、彼女の元気な返事が、オリビアは耳の奥で響いたような気がした。だけど記憶の中ですらも、太陽の匂いが蘇ることは無かった。

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