第5話_好機を追う裏路地

「……っ、思ったより速い」

 愚痴るように呟いた私の声は、やや乱れた。

 人の気配は絶え、民家の明かりもすっかり消えた深夜。私は裏路地をほぼ全力で疾走していた。正直なところ相手を侮っていたし、自分の身体能力も過信していたと思う。追っている人は、もっと簡単に捕まえられると思った。けれど撒かれてしまう速さではない。体力的にもまだまだ余裕がある。入り組んだ道を細かく切り返して逃げる背中を、私はしつこく追い続けた。そして三十分ほど続いた追い駆けっこの末、相手は袋小路に到着して足を止め、ゆっくりとした動作で私を振り返る。息を付いて相手に向かって一歩を踏み出せば、私の背後から大きな体躯をした男達がそれぞれ武器を持って現れた。

「――無謀な子供ね」

 私の正面に立つ女性は、白銀の艶やかな髪を微かに揺らして、そう言って笑う。多少は呼吸を乱しているけれど、追い詰められている様子は少しも無い。彼女はこうして仲間を使って囲う為に、私を此処へ誘導しただけだ。

「でも、こんな入り組んだ裏路地でも迷いなく追ってきたことは、褒めてあげる。噂には聞いていたけれど、本当に耳が良いのね」

 追っている中、何度も視界から彼女は消えた。しかし極端に押し殺された足音であっても、私の耳は正確に聞き取ることが出来る。だから私は彼女を見失わずに追い続けることが出来ていた。もしも私の耳が常人のそれであれば、彼女の足音なんてそもそも聞くことすら出来なかっただろう。今まで聞いた中でも、彼女は一、二を争うと思えるほどに全ての動作が静かだ。特殊な訓練でも受けているのかもしれない。

「だから、最初から分かってました。彼らが周りに居ることも」

 私の言葉に、女性は笑みを消し、怪訝な表情で眉を寄せる。

 背後の男達は、彼女と比べてしまえばあからさまと言ってもいい程にはっきりと音を立てて動いていた。武器を持っていることも、私を誘い込んで囲むつもりであることも、疑いようのない音だった。それらを知った上で私は彼女を追い、此処に居る。

「人は、少しも怖くない」

 こんな状況下でも私の中には恐怖心らしいものは何も浮かんでこない。

「私はあなたに『仕事』を頼みたいだけ」

 深夜、何も知らずに眠る人達を煩わせぬようにと静かに紡いだ言葉だったけれど、これだけ静かな空間であれば、此処に立つ者は誰一人として私の言葉を聞き落とさなかっただろう。数秒間の沈黙の後、女性の口元が美しく弧を描いた。

「――いいわ、勇敢なお嬢さん。なら、楽しいビジネスのお話をしましょうか」

 女性が軽く左手を上げると同時に、背後の男達が全員、武器を下ろした気配がした。


* * *


 ヴィオランテがその女性と対峙した夜から三日後、フォードガンド国王の元には『法の貴族』四名全員からの『オリビア・フォンターナ収監に対する異議申立書』が届いていた。国王は、苛立った様子で目の前にある立派な机を叩く。

「国王陛下、その、予定されておりました面会がそろそろ……」

「分かっておる!」

 怒りを身体中から立ち上らせている国王に対し、予定を告げる側近は腰が引けていた。無用に怒鳴り付けられてしまい、身体を小さくして口を噤む。いつになく荒々しい動作で立ち上がった国王は、面会の場となっている応接間へと向かう。その道中、何かに気付いたようにハッとした表情を見せると、歩調を更に強め、急ぎ足でその場へと向かった。

「開けろ!」

 応接間の入り口に立つ衛兵を怒鳴り付ける。きっとその声は、中で待つ『来客』にも届いているだろう。それは明らかに、彼が国王という立場でなければ決して許されることのない無礼だ。しかし、誰も今の彼を咎められる立場の者はいない。衛兵は慌てて扉を開き、国王にその道を開けた。

 中で待つ人は、国王の訪れにソファから立ち上がり、彼の表情やその騒々しい登場に何の戸惑いも見せることなく、優雅にその頭を垂れる。

「……貴様か、アイリーン。一体、何をした?」

 本来であれば、形式的な歓迎の言葉を述べ、互いにソファに腰を掛けて会話をするはずだが、怒りに満ちた国王は彼女の前に立つと、その頭を見下ろしながら低く唸った。アイリーンは頭を下げたままで、静かに答えを返す。

「何についてのご質問でしょうか?」

「とぼけるな! ガエルがあんな小娘の言葉を聞くはずがない! 貴様が異議書を書かせたのだろう!」

 国王は、ガエル・ホワード氏とは旧知の仲だった。勿論それだけで『法の貴族』ともあろう者が、一切の異議を出さないということは無い。彼から異議が届くのはこれが初めてのことではなかった。それでも、今回に関しては絶対に上がって来ないだろうと国王は考えていた。ガエル・ホワードというその人が、『世界の脅威』に率先して戦おうとする人間でないこと、そして、若い娘から涙の訴えがあったとしても情に流されることが無いことだけは、よく知っていたのだ。アイリーンは一拍の沈黙の後、体勢も声色も変えることなく、淀みなく回答する。

「ホワード様も私のお客様のお一人ではございますが、ご依頼にお応えすることはあれども、私の方から何かをお願いするようなことは一切ございません。強いて、心当たりを言えば――」

 彼女の言葉に嘘は無い。彼女の方からホワードに対して連絡を取ったことは一度も無く、今回も例外では無かった。

「先日、ホワード様からのご依頼を一つ、お断り致しました」

 アイリーンへと連絡をしてきたのは、ホワードの方だ。答えながら、アイリーンは口元に笑みを浮かべた。頭を下げたままである彼女のその表情を、国王は見付けられない。しかし、声は明らかに、彼女の笑みを乗せた。

「魔物討伐をご所望でしたが、……あいにく、それをこなしてくれる働き者が、今は収監されておりますので」

「貴様……!」

 それはどう考えても『強いて』挙げた心当たりなどでは無い。間違いなく、彼女のその行動が、ガエル・ホワードに異議申立書を書かせた決定打だった。国王は部屋に居る誰からも聞き取れるほどぎりぎりと歯を強く食いしばり、更なる怒りで身体を震わせる。アイリーンはそれを全身に受けながらも、やはり動じることなく口を開いた。

「――我が君、まず、ご報告させて頂きたく存じます。私の判断にも、ご理解を頂けるかと」

 国王が此処で怒りに任せて彼女を追い払わなかったのは、今まで培った信頼によるものか、それとも、国王としての冷静な判断か。吐き捨てるように「報告しろ」と言った国王は、アイリーンに着席を促し、自らも正面のソファへと腰掛けた。改めて頭を下げたアイリーンが、静かにソファへと腰を下ろす。

「まず、ご依頼のありました調査報告について。詳細は此方にまとめております」

 そう言ってアイリーンは大きな封筒をテーブルに置いた。国王はそれを手に取らず、傍に控える側近へと目をやる。代わりに手に取った側近は封を開き、その中身を取り出した。その様子を見守ってから、アイリーンがその内容について簡潔に説明を述べていく。

 国王が彼女に依頼をした調査は、あの未知の脅威に関すること。特に、地震の記録や魔物の発生数など、城の中だけでは到底集まらない国中の情報についてだった。そんな情報を短い期間で掻き集めてくることは並大抵のことではない。しかしアイリーンはその苦労を微塵も出すこと無く、淡々と報告をした。

 まず、近年に頻発するようになってきた地震は、例の火山帯付近が最も多く、そしてその場所からある一方向へ道を敷くように集中しており、向かう先は海になっている。海――例の存在が、本体の封印先だと言っていた場所。

 そして通り道のような一帯にはもう一つ異変があり、それがここ最近で急に聞くようになった『魔物の大量発生』だった。現在確認できる限り、大半がこの一帯、またはその以南でしか発生していない。

「……以上のことから、未知の脅威が語っていた内容を全て真実と仮定し、急ぎ防衛の準備をするべきかと愚考いたします。また、『カムエルト』および『シンディ=ウェル』はオリビアの投獄措置に対して疑問を抱いているようで、既に抗議文が出される寸前である様子。この件、引き延ばせば、ひいては窮地に協力者を失うことになりかねません」

 国王はアイリーンの言葉に沈黙したまま、考えるように俯き、静かに唸る。この国は近隣諸国よりも立場が強く、多少の抗議などは聞き流したとしてもほとんど損害は無い。だから多くの場合、彼の『面子』を優先できていた。しかし今回は既に他国が本件には深く関わっており、また、『脅威』がただの魔物ではなく、自らを『神』と定義し、ファーストを沈めた張本人であると言う。到底信じられる話ではない。それでも万が一、真実であったなら。そんな仮定を残してしまう程度には、近年で観測できる『異変』の理由としてはあまりに辻褄が合い過ぎる。フォードガンド国だけで、果たして対抗できる存在なのだろうか。

「恐れながら、陛下、もう一点。憶測に過ぎない内容なのですが、宜しいでしょうか」

「許す」

 返事に一つ頷くと、アイリーンは一枚の紙を国王との間にあるテーブルに置く。地震の発生箇所が記されたこの国の地図だ。同じ紙が渡した資料にも含まれていることを説明しながら、細くて白い指が、地震が集中している『一帯』の南側をなぞる。

「地震発生地帯が『道』だとすると、目的地に向かって真っ直ぐ進みそうなものですが、やや東寄りの南へと膨らんでいるように見えます。魔物の大量発生も同じです」

 その言葉に、国王も側近も、興味深そうに彼女の指す部分を見つめている。発生分布がはっきりとズレていると言うよりは、アイリーンの示す場所だけ、分布が南南東へ

「この方角にあるものの中で、特に気になるものは――オリビアの故郷、そしてコンティ家の領地。どちらも、オリビアの活動地域です」

 彼女の故郷の村、コンティ家の屋敷の位置をアイリーンの指がそれぞれ示す。だが、その方角にあるものは当然それだけではない。確実にオリビアが要因と言えるような確たる証明は何も無く、アイリーンもそれは理解していた。

「根拠としては弱いものです。しかし、もしも『神の力の欠片』が事実であれば、オリビアがあの脅威を可能性も考えられるのではないでしょうか。その場合、陛下の御傍に彼女を置くことはあまりに危険です」

 何かあった時の為に、国王は手元にオリビアを置いておきたい。けれど逆に、彼女という存在が危険を呼び寄せて来るとしたら。国王の表情は険しさを増し、数秒間、沈黙した。その間、アイリーンも言葉を続けない。彼女の報告は以上なのだろう。側近が何度も資料を捲って内容を吟味する紙の音だけが、応接間には響いていた。

 最終的に国王は、近隣諸国との連携を強化の上、オリビアを釈放し、くだんの脅威に対応するのが得策であると判断を下した。何より、その選択が最も国王にとっては安全であるだろう。

「だが、アイリーン。めいを待たず動いたこの代償、高くつくぞ」

「心得ております」

 何もかも承知の上であったように感情無く返した彼女に、国王は不快そうに鼻を鳴らした。

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