第6話_牢獄への朗報

 お仕事を依頼した女性は『アイリーン』と名乗った。それが本名かどうかはともかく、私の依頼について考える素振りを見せたのは一分足らずで、思っていた以上にすんなりと了承した。予想としてはお金を積み上げて何とか頷いてもらうつもりだった為、少々肩透かしを食らったものの、私にとっては幸いだ。

 ただ、私が依頼した内容を考えれば安価には済まない。彼女への依頼は「ホワード様から『魔物討伐』の依頼が来たら断ってほしい」そして「その理由を『オリビア・フォンターナの投獄』にしてほしい」ということだった。

 ホワード様の治める領地内で起こった魔物の大量発生が以前に遭遇したそれと同じ現象だとするなら、討伐するには相当の戦力が必要のはずだ。あの時は先生が居たから原因となった巨大な魔物を討伐できた。けれど先生以外の人が戦うならば余程の手練れを多く連れてくるか、強力な兵器などを投入することになる。アイリーンさんが持つ戦力がどれほどのものか分からないものの、そう考えれば私の願いはそこまで無理がある内容ではないと思っていた。オリビア先生ならば間違いなく、あの大量発生を止められる。だけど今は先生が居ないから、『止められない』ことに

 これはアイリーンさん側に明確な損害が出る依頼だ。本来ホワード様から得られるだろう報酬はゼロになる。そして今まで彼との間に築いてきた信頼関係も損ねることになる。だからその損害を埋めるだけの金額を、私は支払わなければならなかった。つまり二つ返事で受けてもらったとはいえ、全く安い金額ではない。流石に私個人の資産では手が出ないので、事前におばあ様には泣き付いてある。

 正直、賭けだと思っていた。まずホワード様が懇意にしている『外部』の討伐委託先が彼女であることは五分五分だったし、すぐに依頼を出すかどうかも分からない。けれど以前にドウォールを訪れた際、彼女の気配がホワード様のお屋敷傍にあったことを私は記憶していた。『音』が極端に少ない、独特な気配だ。間違えるわけがない。そしてそんな人ならば『特殊な職業』をしているだろうことは想像に難くなかった。だから、街で聞いた噂の『依頼先』がアイリーンさんであるかもしれないと考えたのだ。

 五割は当たると思ったのは自分の五感に対する絶対の自信だけれど、五感以外には何の根拠も無かった。当たりを引けたと確信したのはアイリーンさんの返答。

『――ホワード様はうちの上客だから心が痛むけれど、コンティ家のお嬢様に恩を売るのも、悪くないわ』

 彼女が楽しそうに笑った顔を見る限りは、おそらくほっとしたのが私の顔に出ていたんだと思う。先生が居たらきっと、交渉時にポーカーフェイスを貫けないのは特大の減点だと言われただろう。

 そうして何とか賭けに勝った私は、無事、ホワード様を含む『法の貴族』四名からの異議申立書を得た。実際は私が運んだわけではなく、各々が国王陛下へと出して下さっているのだけど、その知らせが揃うと同時に、私は再び王都を訪れた。

 登城しても、陛下は残念ながら直接お会いしてくれなかった。理由は『時間が取れない』ということであり、先生釈放の詳細については代理の方が教えて下さった。事実かどうかはともかくとして、私の覚えは良くないことだろう。今後、コンティ家を継ぐ者としては頭が痛いが、背に腹は代えられない。

 次いで、私は先生の面会を求めた。前回同様、私の身分を知る兵士はとても丁寧に対応してくれて、先生の牢までを案内してくれた。

「どうぞ、此方です」

「ありがとうございます」

 声だけで、すぐに私が来たと分かったのか、先生は手に持っていた本を閉じて顔を上げるより先に、口元に笑みを浮かべていた。そして私が鉄格子の前に立てば、ゆっくりと顔を上げ、私を見て更に笑みを深める。

「ふふ」

「先生、ご無沙汰しています。……どうして、笑っているんですか」

 私の問いに、先生は軽く頭を振って、笑みを隠そうと口元を押さえている。その動きに応じて動いた鉄枷と鎖の音が相変わらず腹立たしいけれど、前回と比べればまだ冷静に受け止めることが出来た。そして先生はまだ笑っている。顔を見るなり笑うのはちょっと酷いと思う。身だしなみは、大丈夫のはずなのだけど。不安になって自分の服を見下ろすと、その動きにまた先生が笑った。

「すまない。いや、ヴィオランテ、お前ちょっと顔付きが変わったね」

「そう……ですか?」

「ああ、精悍せいかんさが増しているよ。どうやら随分、私が苦労を掛けたらしい」

 肩を竦めながら、先生はそう言った。確かに先生の傍を離れてから今までの苦労は全て先生を釈放する為のものだけれど、先生のせいだとは思わないし、申し訳なさそうにされるのは違うと思う。あと、顔付きについては自分ではまるで自覚も無く、よく分からない。この短い時間に成長できたとも、特に思っていない。

 しかし褒められたと思ったのも束の間、次に続けられた言葉は聞き捨てならないものだった。

「お前の成人の儀は、もしかしたら私無しの方が良かったのかな?」

「絶対に嫌ですよ」

 先生はまた笑っているが、まるで笑いごとではない。大体、そんなことの為に頑張ってきたわけではないのだから。拗ねたような顔を見せてしまった私を、先生は馬鹿にするようではなく、少し眉を下げて微笑んでいた。

 さておき、先生の釈放は、既に手続きに入っているとのことだけれど、流石に一日二日で簡単に解放されるものではないそうだ。諸々の段取りを経て手続きが終わるまでの間、先生にはまだ此処で我慢してもらうしかない。釈放が決まったという報告をしつつも、まだ不便をさせることを申し訳なく思っていると、先生は何でもないことのように笑っていた。

「かつては何年も投獄された身だ、慣れたものだよ」

 私は同じ経験があっても、同じように言える気がしなかった。そもそも牢の中の生活が、『慣れてしまえば何てことない』ものであれば、犯罪者が反省しないことになってしまうだろう。私を気に病ませない為に言ってくれている、のだと思うけれど、先生は底が知れないので本心である可能性もある。それ以上は掘り下げないことにした。

「それよりも、外の様子は変わりないか? 神の動向は……いや、あれを何と呼ぶべきか、まだ整理が付かないが」

 徐に先生はそう言うと、先程まで憂いの欠片も無かった表情を少し曇らせ、視線を落とした。私は短く、まだ何の動きも見えないと伝えるけれど、頷く先生の表情は晴れない。

 先生は、神を本当に心から愛していた。そして、信じていた。神という存在自体を信じていなかった者よりもずっと、先生は傷付いたのではないだろうか。私に置き換えてみれば、おばあ様が本当は国家転覆や民衆の虐殺を目論むような人だったと突き付けられるようなものだ。改めて考え、想像し、ぞっとした。

「今なら、父が狂った気持ちも少し分かってしまう。……自分の信じていた『神』があのような存在であったと知って、父は、絶望してしまったんだろうな」

 私は黙って、先生の言葉を聞いた。釈放させることに集中してしまって、ちゃんと先生の気持ちを考えられていなかったのかもしれない。先生は『神』と名乗ったあれに対して、改めて、剣を向けることは出来るのだろうか。最初に対峙した時は無我夢中だったのかもしれないけれど、『神』と本当に飲み込んだ後で、同じことは出来るのだろうか。視線を落としたままで沈黙してしまった先生に、きっと、信者でなかった私は何も気の利いたことが言えない。だから、私は私が、やるべきことだと信じる方へ進むしかない。

「人間にとっての脅威である以上、あれが何と呼ぶべき存在でも、戦わなきゃいけません。少なくとも私は、大人しく殺されるつもりはありません」

 先生は視線を上げて、じっと私を見つめてくる。相変わらず綺麗な瞳の色だなって、一瞬、見蕩れてしまいそうになったけれど、真面目な話の真っ最中だから一旦、横に避けた。

「それから、幾つか記憶を辿って、思ったことがあるんです。もしかしたらファーストの『おとぎ話』は、あれに関わる内容ではないですか?」

 あれが私達に語ったことと、私の知るファーストのおとぎ話を幾つか並べ、もしかしたらと思った。幾つか例を挙げていくと、先生も考える顔をした後、「なるほど」と小さく応えてくれる。確証は全く無いけれど、調べる価値はあると思っていた。

 それと同時に、私は先生と海の近くへ行った時のことが気になっていた。海に封印されているという、あの存在。そして、海を妙に怖がっている様子だった先生。あの時は戦争の記憶と思って踏み込まなかった。だけど今は、それよりも大切に想う『世界』がある。先生の傷に触れてしまうかもしれないと思いながらも、今度は、飲み込まなかった。私は先生の瞳を見つめ、はっきりと問い掛ける。

「先生にとって、『海』がどういう存在なのかを教えて下さい」

 黙って聞いてくれていた先生は、どうしてだろう。口元に笑みを浮かべて、何処か嬉しそうに目尻を緩めた。

「そうだな、お前に少し、私の話をしようか。……長くなってしまうから、釈放後にでも」

 けれどその声はやはり何処か元気の無いもので、本心を言えば先生にとって話したいことではないんだろうと思う。心苦しい思いはどうしても湧き上がるけれど、先生の口から否が伝えられない以上、無闇に気遣うことはしないようにした。


* * *


 ヴィオランテが立ち去った後、牢屋に残ったオリビアは再び小さな本を手元で開く。

 彼女は特別、読書が好きであるわけでもないが、静かに大人しくしていないとオリビアの一挙一動に対して見張りの兵士らが怯える為、気遣っているのだ。強固な牢の中、手枷足枷が付いていても尚、彼女に対して恐怖を抱く兵士らの性質は、何年経っても変わることは無い。

「手紙が届いております」

「ああ、ありがとう」

 不意に掛かった声にオリビアが顔を上げれば、兵士の一人が幾つかの封筒を、食事を受け渡す際の小さな窓から内側へ入れた。言葉遣いも投獄されている人間に対するには少し丁寧すぎるが、釈放された後のことを考えているのだろう。国王も、兵士らも、誰一人オリビアを真に犯罪者として扱ってはいない。いつかは必ず自由になるとまでは思わずとも、何かの折、例えば戦争があれば牢を出される存在である、という認識が少なくともあるのだ。

 兵士が離れたのを確認してから、オリビアは緩やかな動作で立ち上がり、その手紙を取り、再び椅子に戻る。手紙は全部で六通あった。

「複数の女性から来ているようですが、どのようなご関係でしょう」

「ん? 中身は読んでいるんだろう?」

「え、ええ、勿論、検閲しておりますが」

 問い掛けた兵士は質問を返されると何故か視線を彷徨わせる。オリビアは可笑しそうに目を細めた。

「特にこれと言ったではないよ。退屈しのぎの慰めを送ってくれているだけだろう。気が紛れてありがたいね」

 結局まともな答えであるとは思えない発言だけをして、オリビアが手紙を開く。兵士に納得した様子は無かったものの、小さく息を吐いてそのまま口を閉ざした。彼女の様子を見る限り、追及しても詮が無いと諦めたらしい。また、追及すべきと思える内容は、やはり検閲した上で見られなかった為、この程度で済むのだ。

 オリビアに届く手紙は、いつも多い。一体何処から情報が漏れたのか――という疑問も、兵士らに浮かぶことは無かった。オリビア達が火山帯から城に戻った日はそれなりに騒動になっていたし、なし崩しに彼女を牢に入れたのだから、徹底した箝口令も敷いていない。あの日、城内に居た者から城下へ、そして外部へと広まっても不思議ではなかった。兵士が不思議と思うのは、ひっきりなしにオリビアへとラブレターが届くことだ。

 同じ人物が日を分けて二通送って来ることもあるが、ほとんど違う女性らから。『戦乙女』と呼ばれた人は、城から釈放されて十年間、一体何をしていたのだと思えるほどの女性人気。熱烈で、時に過激なラブレターを毎度検閲させられる兵士らは、形容しがたい疲労を抱えている。

 口元に緩い笑みを浮かべながら手紙を読むオリビアは、時々微かに目を細め、同じ文章を数回読み直すように視線を動かしていた。

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