第6話_おとぎ話の狂信者
鞘から剣を抜く瞬間は何も考えられないことが多いから、せめて収める時は丁寧に、祈るように。そうであるべきと定めたわけではなかったが、そうであれば次に剣を振るう際、心と腕の調子が良いような気がしていた。これは
「慣れてはきましたが、違和感はありますね」
「うん?」
私の思考など何も知らないヴィオランテは、自分で斬った魔物の身体を見下ろしながら呟く。
「魔物です。獣に近いように思いますが、やっぱり違う。斬った感触に、命を感じません。動いている限り、意志があって、命があるようにしか見えないのに」
「そうだな、死への恐怖も持っているように見える。しかしあれらは、斬り捨てた後に屍すら残さない。奇妙なものだ、本当に」
ヴィオランテが見つめていた魔物の身体は、ゆらゆらと形を曖昧にし、そして世界に溶けるようにして消えていく。どの魔物も同じだ。斬った後、少しすればその身体は消えてなくなる。体毛も、爪も、全てが残らない。
「ヴィオランテ、魔物とは何だ?」
「はい、分かりません!」
「……間違っていないが言い方が悪い。減点」
「うっ」
反応が早いことは褒めてもいいが、一拍置いたら正しい答えを口にしたかもしれないと思うと、少し堪えることを覚えた方が良いだろう。ヴィオランテは一度ゆっくりと目を閉じて、言葉を選び直した。
「発生は百年ほど前ですが、未だ謎に包まれており、分からないことが多く、各国が研究中です」
「その通り」
魔物について私達が知っていることはごく僅かだ。その『知っていること』も大半が統計的なデータであり、確定情報とは言い難い。先日のような『大型の傍には小型の魔物が寄り付き易い』もそれに近いが、あれは周知もされていない情報である為、数の内ではないだろう。研究が進まない理由は、やはり魔物に屍が残らないことが大きいのだと聞く。当然、研究者は生け捕りすることで調べようとしたが、その状態では間もなく死んでしまうらしい。その死因も、消えてしまえば分かりようもないのだ。
「発生する条件も分かっていないんですよね」
「ああ。繁殖行動も見られないし、突然変異にしては形が多様で範囲も広すぎる。似ている生物が全く無いものも居るからね」
「確かに……」
今までに遭遇した魔物を思い出している様子で、ヴィオランテは目を閉じて頷いている。
「ならば何かの病原体による変異か、と言われた時期もあったようだが、獣が魔物に変化するケースは百年間ただの一度も確認されない。今はあまり聞かない説だね」
そしてこの国『フォードガンド』は魔物の発生が最も多い国だ。しかしそれは、気候的な要因ではないという説が有力となっている。砂漠の多い隣国『カムエルト』は、世界で最も魔物が少ないとされているが、フォードガンドにも砂漠地帯はあり、その場所での魔物の活動も多く確認されている。
「ジオヴァナの国ですね、元気にしてるかなー。あ、すみません……お話続けてください」
脱線してしまったことを照れ臭そうにヴィオランテが笑う。私も少しだけ笑った。彼女が口にしたジオヴァナという名は、カムエルトの第一王女だ。アデル様がカムエルト王と親交がある為に、幼い頃から何度か交流があるらしい。私も数回お会いしている。勿論、国が違い、相手にも立場や公務がある為、そう頻繁に会うことは出来ないけれど。
「あと、カルロの国、『シンディ=ウェル』も比較的少ないんですよね。あの国の気候は、フォードガンドとほぼ変わりません。海に面している地域が多いだけ、でしたよね」
「その通り」
カルロというのも同じく王族であり、彼はシンディ=ウェルの第四王子。こちらは確か、国王ではなく王妃とアデル様に親交がおありだった為に交流があったように思う。何にせよアデル様の顔の広さと発言力の強さは改めて考えれば恐ろしい。
とにかく、魔物の発現には地域差がある。しかしその理由は明確ではない。フォードガンドの特徴は領土が広く、人口が多いこと。けれど人口密度とも比例しないことから、それらが理由であると言う者も少ない。
「つまり、うーん、本当に何も分からないんですね」
「私達二人がここで考えても答えは出ないさ。しかし統計に協力くらいは出来ればいいね」
「そうですね、気付いたことはメモしてみましょう」
そう言うとヴィオランテは、どの地域にどんな魔物が、どれだけ居たかを今後書き溜めると言ってメモを取り出した。早速、先程の魔物について書くつもりなのだろう。
「そろそろ行くよ、ヴィオランテ。街はすぐそこだ。宿で書きなさい」
「あ、そうですね。はい、行きます」
半端な場所で立ったままメモに向かっていたヴィオランテを置き去りにするように、私は緩やかな坂を下り、街への道を進む。もう次の街が見える場所まで来ている。到着まで三十分も掛からないだろう。太陽の位置はまだ高く、今回の移動も大事なく終えられたことを神に感謝した。
到着した街では特に『副業』の話も無く、アイリーンと会う予定も無い。装備の手入れを終えれば特にやる事も無いのでシャワーを浴びるべく立ち上がった瞬間。地鳴りと共に、床が縦に大きく揺れた。
先にシャワーを終えたヴィオランテはつい先程布団に入ったばかりだが、普段は寝入りのいい彼女だ。もう眠っているか、起きていても意識が曖昧かもしれない。咄嗟に私は彼女を庇うように覆い被さる。揺れは、十数秒だけの間だった。
「……治まったか。ヴィオランテ、大丈夫――、なんだその顔は」
見下ろした彼女は目を丸めて、驚いているような、困っているような、泣き出しそうであるような、それでいて喜びを抑え込んでいるような、複雑な表情を浮かべていた。目を見る限りは寝惚けていない様子なので、揺れた瞬間から起きていたのだろう。彼女は口を引き締めて何度か目を瞬き、視線を彷徨わせて私の問いに答える。
「い、いえ、役得と言うか、でも本意ではないと言うか、出来れば私は上の方が良いと言うか」
「毎度のことだが、何を言っているんだお前は」
呆れた表情を隠す気もなく表に出し、さっさとその場から立ち退く。するとヴィオランテも身体を起こし、小さな溜息を零しつつ頭をわしわしと掻いていた。溜息を吐きたいのは私の方なのだけれど。
「まあいい。私はこれからシャワーを浴びてくるが、一人で眠れるか?」
「えっ、一緒に寝てくれるんですか」
「そんなわけがあるか。今、一人になるのが怖いのではないかと案じたんだ。いつものことだが甲斐の無いやつだな」
ヴィオランテは、天変地異の類が極めて苦手だ。大柄な悪漢にも巨大な虫にも怯えることの無い彼女にしては少し意外なものだが、小さな雷にも怯える様子があるし、今のような地震があった日はしばらく不安そうにしている。
「ええと、さっきの先生でちょっと飛びました。少し不安ですが、大丈夫です」
「……出来るだけ早く上がってくるから、眠れなくても横になっているように」
「はい」
返事の通りヴィオランテは再び横になり、布団を肩まで引き上げている。その様子を横目に、私はバスルームへと入った。彼女のことが無くともこんな日は私も早く済ませて上がりたい。シャワーの真っ最中にまた揺れられては堪らない。
近頃、地震が増えているという報告は国中で上がっているそうだ。地震でだけではなく、気候の異常なども増えていると言うが、具体的な数値は出されていない。民衆の不安が、普段との違いを見つけやすいだけかもしれない。しかし事実であるとするなら、そんな時期にヴィオランテの旅が始まってしまったのは少し不憫だ。ただでさえ彼女は、それらが苦手であるのに。
素早く済ませて寝室へ戻れば、横になっていたヴィオランテと目が合う。大人しくベッドには留まっているが、やはり不安であるらしい。
「私が居るから心配は無いよ、寝なさい」
「はい……おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
その夜は私もすぐに横になり、身体を休めることにした。もしかしたら夜中に余震で起こされるかもしれないとも思ったが、地震は、それきりだった。
お陰でいつもよりゆっくりと長く寝た気持ちのいい朝、のはずだったが、何やら街が騒がしい。
「聞き取れるか?」
「いえ、叫んでいる声が時々混ざるように思うくらいで。内容は、何も」
「そうか。少し早く支度を済ませて、外に出てみよう」
宿の窓を開けてみるけれど、街の雰囲気が何処か落ち着かない、そして広場の方が何か騒がしい、それだけのことしか分からなかった。諦めて支度を済ませ、宿を出る。
「何か被害があったんでしょうか」
「そこまで大きなものでは無かったと思ったが」
ざわざわと異様な雰囲気の中を進みながら、騒ぎの元へと到着する。騒ぎは、数名の人間によるものだった。
「サードの予兆だ!」
「滅びは必ず来る、もうすぐセカンドは終わるんだ!」
騒いでいたのは、彼らだけ。他の人々は遠巻きに彼らを見ながら、何かこそこそと話をしている。または関わらぬようにと足早に広場から離れて行く。
「……狂信者が居たのか」
「先生」
「分かっている、大丈夫だ」
まるで私を制すように、小さく声を掛けてくるヴィオランテに微笑みを返す。下手に騒ぎに巻き込まれない為に、不用意な言葉は口にしない方がいい。私達もそれ以上は何も言わず、目立たぬ場所から観察した。
彼らは王族の掲げるおとぎ話『ファースト』を心から信じている者だ。しかし、彼らは王族の信奉者ではない。むしろその逆で、嘗てファーストが滅んだのと同じように、セカンドにもいつか終焉が訪れるという、『サード』の狂信者。彼らはセカンドの為政者である王族達を批判しており、「間違った世界は神によって滅ぼされ、新たにされる」という訴えをしているのだ。ここのところ増えている地震などは、その予兆――つまり『神』が王族に怒っているのだ、と騒いでいる。
私は個人的に、あれらの考えが好きではなかった。ヴィオランテもそれを知っているからこそ、不安げに私を見上げている。しかし、私にも立場と職務がある。今は仕事中だ。ヴィオランテの教育者として、此処に立っていることを理解している。自らが信じている『彼らとは違う神』を掲げて突っ掛かるようなつもりは無い。
「無害なものだよ、叫んでいるだけだからな。さ、私達は市場へ行こう」
「はい」
勿論この言葉も、ヴィオランテに耳打ちするほどの小さな声で。広場に背を向けて歩く道の何処でも、騒ぎを不安そうに、または不快そうに見つめている人達ばかりだ。普段は平和で長閑な街なのだろうに、彼らの侵入と、偶然に起こってしまった地震のせいでとんだ騒ぎだ。災難だろうと幾らか同情した。広場から少し離れれば、彼らから絡まれることを心配する様子も無く堂々と批難する者も居た。
「下らないおとぎ話だな」
「滅びの神様を信じるなら、救いの神でも信じていた方がましだろうに」
一様に呆れた表情を浮かべながら揶揄している。そして、嘲笑している。
「どっちもどっちだろ、神様なんか、いるものか」
ヴィオランテが一瞬、私を見上げたのが分かった。
この世界、セカンドに『神』は居ない。少なくとも人々の心の中には、そんなものは存在しない。それが一般的な考えだった。古い文献にはいくつもの宗教が記されていた。ファーストには多くの宗教があったらしい。ただ、セカンドには、宗教らしい宗教は存在しない。小さなものはいくつもあるが、誰もが名を知っているような団体は、この世界には一つも無かった。
私のように、『神』を口にするものは僅かなのだ。「まるで子供だ」と笑う者も多い。私は、私であるからこそ笑われることが少ないだけだ。心の中や、私の居ない場所であれば、狂信者のように笑われている可能性は高い。
盲目的に私を好きだと告げてくるヴィオランテですら、私の信じる神について「信じる」と口にしたことは一度も無い。否定をしてくるようなことは無いが、肯定もしない。彼女は、私の『神』に決して触れようとはしない。
「先生!」
「ん?」
「あの赤い果実が、この街の名産と言われているものでしょうか?」
「……ああ、そうだよ」
それでも殊更明るい声で話し掛け、余所に意識を向けようとしてきた彼女の心遣いは、素直に温かい。
「そのままでも、干した状態でも美味しいんだ。丁度いい、携帯食糧代わりに、少し買って行こうか」
「はい!」
神は居る。少なくとも、私の心の中には。
* * *
この世界には、天災が少なかった。
しかし、全く無いというわけでもない。酷い雨に山が崩れることもある。雪が降り積もって雪崩となることもある。火山を起こす山があり、強い風を巻き起こす竜巻や嵐もある。ただ、人を殺すような規模のものは、数年に一度、何処かの国であったと伝え聞く程度だった。本の中の知識としてしか知らないままに、天寿を全うする者も多い。
豊かで、平和な世界。だから人間の心に、神が居ない。人の力でどうすることもできず、『何か』に祈るしかできないような、そんな場面に直面する者が、この世界には少なかった。――ただ、あの少女が立った戦場を除いては。
もしも、戦乙女と対峙した者がもっと多く生きていれば、神に祈る者も少なからず残ったのではなかろうか。圧倒的な力。全てを滅ぼす力。目が合うだけで、死が確定する。
しかしこれは、もしもの話でしかない、不幸な結末だ。戦乙女が降り立った戦場で、剣を握って彼女に対峙した者に、一人として生き残りは居ない。あの惨事を知っているのは、彼女を戦場に送り届け、離れたところで監視し、迎えに行った送迎役だけ。
つまりこの世界はあの『神の力』を知らない。祈るしかない恐怖と、抗えない窮地を。
何も知らない人々は、滅びに抗う剣を持たない。何も知らないままで、何も持たないままで――再び、それを迎えることになるだろう。
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