第3話_フォードガンド国王

 鞘から刃を引き抜く感触も、向かってくる魔物を斬り捨てる感触も、少しの期間が空いたところで私の身体にとっては慣れ親しんでしまったものだ。街の近くで錆落としがてら何体かの魔物を相手にしてみたが、身体が鈍っている様子は無かった。

「うん、問題ない。このまま向かおう」

 私がそう言うと、ヴィオランテは大きな目で此方を見つめ返しながら頷く。

 今、私達は魔物の討伐という一つの依頼を受けている。アイリーンの組織からの依頼だ。……勿論、もう彼女は居ない為、依頼は後任者から齎された。元を辿れば、依頼主はヴィオランテの隣の領地を統べるホワード氏となるが、仲介してもらっているので、彼と直接の接触は無い。まあ、向こうも今は私達に会いたくもないだろうけれど。

「正確な位置は不明瞭なのですが、この森を南下すれば必ず遭遇するとのことです」

「なるほど。警戒を怠らずに行こう」

 魔物の大量発生の原因が前回同様に巨大な魔物であるとすれば、それが移動するのに応じて発生場所は多少なりと変わってしまうのだろう。つまり、いつ遭遇するかは分からない。今から警戒を始めるべきだ。私の言葉に、またヴィオランテが頷く。それだけで同意は分かるけれど、彼女にしては反応が淡いように感じ、足を止めて、改めて振り返る。気付いたヴィオランテは、同じく足を止めて不思議そうに私を見つめた。

「今日は随分と大人しいな、ヴィオランテ」

「え、そ、そうですかね」

「まあ、うるさくなくていいが」

「普段の私がうるさいみたいじゃないですか?」

 思わずと言った様子で大きな声で反応した後、口元を押さえた彼女は「こういうところ……?」と小さく呟いて首を傾げている。耐え切れずに笑ってしまった。そしていつも通りと思えるヴィオランテの様子に、やや安堵した。

「調子が悪いわけでないなら良い」

「あ……すみません、心配して下さったんですね」

 気付くと同時にヴィオランテは頻りに目を瞬いて、目尻を赤らめる。血色は良いし、目もいつも通り力強い。それを確かめたら、私はまた前を向いて歩みを進めた。一拍置いて、ヴィオランテの足音が追い掛けてくる。

「ええと、ちょっと考え事をしていました。魔物が――」

「待て」

 様子がおかしかった理由を語ってくれようとしたのは分かっていたが、それを遮って剣を抜いた。意味するところをすぐに察したのだろうヴィオランテも、すぐに二本の短剣を引き抜いている。

「ヴィオランテ、臭いは?」

「いえ、特に変化はありません。何か感じますか?」

「……殺気、だと思うが」

 前回は、大物の接近をヴィオランテが嗅覚で感じ取っていた。今回は、それよりも先に私の身体が五感とは違う感覚で察知した。目的の『大物』であるかは分からないが、確かな殺気が、私達の方へと向けられている。しかし、姿が無い。近付いてくる様子も感じられない。

「少し先に、開けた場所が見えます。移動できそうですか?」

「ああ、まだ動きが無い。この隙に行こう」

 ヴィオランテの言葉を信じ、ゆっくりと歩を進める。一瞬だけ、自分の目でも確認したが、確かに、少し離れた場所に、広い空間があるようだ。一気に動いた方が良いかもしれない。私達が少し移動を始めても敵が動かないのを確認して、ヴィオランテに合図すると同時に駆け出す。

 しかしずっと動きの無かったそれは、私が広い空間に出るや否や、ぐっと距離を詰め、私ではなく数歩後ろを駆けていた彼女を狙った。

「ヴィオランテ!」

 複数の巨大な刃が、彼女を貫こうと伸びている。横からの攻撃に跳ね飛ばされたヴィオランテの身体が木々の奥へ入り、一瞬で見えなくなった。ヴィオランテを追うか、それとも攻撃した主へ向かうか。広い空間に飛び出した時に着地したままの体勢で迷って固まったのは一秒と少し。

「当たっていません! 無事です!」

 元気な彼女の声が聞こえ、私は迷いを消して敵の方へと踏み出した。私が敵と切り結ぶ頃には、ヴィオランテも木々の中から出てきた気配がする。本当に無事であるらしい。

「ヴィオランテ! 戦えるなら私の右手へ回れ! 小物が居る!」

「行きます!」

 私の背後を回って右に出る彼女を狙う刃――どうやら肥大化した爪であるらしいそれを、私が剣で斬り落とす。残念ながら完全には逸らしてやれなかったので、落ちた爪が彼女の傍へと飛んだけれど、ヴィオランテは難なく跳躍して躱していた。そして着地すると同時に、小さな魔物らを斬り伏せて行く。ヴィオランテの様子を窺う必要は無さそうだ。私は長剣の切っ先を、目の前の魔物へと向けた。

 面と向かって戦えば、私にとっては何てこともない敵だった。片腕だけがやけにアンバランスに大きかったが、その腕を落としてしまえばただの魔物だ。額を正確に貫けば、巨体は倒れ、次第に形を崩し、ゆらりと影を揺らして消滅した。

「だっ、おわっ!? ……あ、もう終わったんですね」

 背後で、ヴィオランテが可笑しな声を上げている。おそらく、対峙していた魔物が突然、ヴィオランテを狙うことを止めて逃げて行ったのだろう。周りを警戒しながらも、彼女は両手に持っていた短剣を下げた。

「今回はやけに突然だったな」

「そうですね、前回は、大物と当たる前に異常な数と戦いましたが」

 だが、大物の方も今回は少し慎重な性質をしていた。私達が『戦える者』であることを察知していたのかもしれない。此方の動向を窺い、おそらくは『弱い方』と見たヴィオランテを先に落とすつもりだった。私達が少しでも崩れれば、大量の魔物をけしかけてきた可能性もあったのだろうか。今となっては、もう分からないけれど。

「まあいい、依頼は完了だ。……が、念の為、少し回って行こう」

「はい」

 相手をした数があまりに少ない。別の大物がもう少し南に居た――なんてことになれば間抜けにも程があるだろう。私達は休憩も挟むことなく、そのまま森を南下し始める。

「最初の攻撃は、大丈夫だったか?」

「はい。ギリギリ、短剣で受け止められました。爪が光ったから何とか見えましたが、黒かったら多分、危なかったですね」

 確かにあの魔物の爪は白色をしていたし、光沢があった。目の端で光を捉えていたから、反射的に剣を構えることが出来たらしい。また、開けた空間からもう少し離れていたら光も入り込むことが無く、爪の動きは更に捉えにくかっただろう。色々な幸運が重なってのことではあるが、何にせよ、流石の反射神経だと思う。

「そういえば、先程、何か話そうとしていたな」

「あ、はい」

 魔物の気配に遮ってしまった件だ。肩口に振り返りながら問えば、ヴィオランテは私から視線を逸らし、難しい顔をしていた。そういう顔は、あまり似合わないな。思った言葉は飲み込んだ。

「こうして私達が魔物を討伐することも、アレの力になってしまうのかな、と、少し考えていて」

「……ふむ」

 思い返せば、あの未知の存在は、魔物を人々に接触させることで力を取り戻していると話していた。私達が魔物を避けずに敢えて対峙することで、その機会を『増やした』と考えることも出来るだろう。しかし。

「影響をゼロには出来ないだろうが、放置すれば悪化する。多少は仕方が無い、と思うべきだろう」

 今回、一見すると規模は小さいものだったが、依頼時の話では今、広範囲に亘って避難や立ち入り禁止の通達が出ている。つまり被害が及ぶ可能性がある人間はかなりの数に至るだろう。放置すれば魔物と人の接触機会は更に増える。何より、今、命の危険に晒されている罪のない人々を見過ごすことなど出来るわけがない。

 いつも通りにそう考えてから、思考の端に暗い靄が掛かる。

 私は、味方からも恐れられるほどの、常軌を逸した力がある。だがそれは私の信じた『神』が、弱き者達を守る為に与えてくれたものだと信じていた。しかしこの力の源泉は、罪なき者を踏みにじり、破壊を望む存在の――

「先生!」

 唐突に真後ろで上がった声のあまりの音量に、私は微かに肩を震わせた。周囲の警戒を怠ってはいなかったけれど、少しだけ思考が内に入っていたので余計に驚いてしまう。誤魔化すように息を吐いた。

「……なんだ。急に大きな声を出すんじゃない」

 振り向いた私の瞳を真っ直ぐに見つめ返すルビー色は、きらきらと、森の中にも拘らず太陽の光を吸い込んで輝いていた。

「力の出処でどころが何であれ、先生のお力で、救われている人は沢山居ます!」

「……私は今、何か言ったか?」

 考えが口に出てしまったのだろうか。そんなつもりは無かったが、そう思ってしまうくらいに彼女の言葉は私が沈んで行った思考の続きだった。当然ヴィオランテはあっさりと首を振って否定する。

「いえ、何となく」

「そういうところは野生でなくていいよ……。まあいい、ありがとう」

 視線を逸らし、前を向いて歩きながら告げるのは、少々無礼だっただろうか。ヴィオランテがどのような顔で私の言葉を受け止めたのか、特に返事も無かったので、分からなかった。

 その後、森を抜けてしまうまで南下してみたものの、私達は新たな大物にも、魔物の大群にも出会うことは無かった。一先ずは討伐済みとして報告して良いだろう。

「そう言えば、先生。魔物って『核』があるんですか?」

 街へ戻って依頼達成の報告後、宿に入るとヴィオランテが徐にそう問い掛けてくる。

「ああ。明確にそうと感じていたわけではないが、確かに『急所』と思える場所がある。私がその場所を何となく察知できるのは、アレの力なのかもしれないな」

 今回仕留めたあの魔物の核は『額』だった。他の魔物は胴の中央だったり、心臓部だったりとまちまちだ。それでも、私は対峙した瞬間に「此処だ」と分かる。他にも分かる者が居るかどうかは定かではないが、少なくともヴィオランテにはまるで察知できないものであるらしい。

 彼女が今、敢えて『核』と呼んでそのことを明らかにしたがった意図を理解し、改めてヴィオランテを振り返る。

「そうか。カムエルトのおとぎ話にも、『核』の話があったんだったな」

 先日、ジオヴァナ姫から聞いたものの一つだ。

 とある災厄の『核』にまつわる話。靄のような姿をした災厄が世界に疫病を齎し、人は剣や槍などの武器を持って戦うも、実体が無い為に意味が無い。斬っても斬っても再生し、人は絶望しかけていた。しかし、ある場所を斬った途端、その災厄は呻き声を上げて形を変える。災厄には『核』となる石があり、それが傷付くと、災厄にもダメージがあると発覚する。結果、多くの犠牲を出しながらも人は核を両断し、災厄に打ち勝ったという話だった。

 もしもこれがあの未知の存在に関わるおとぎ話なのだとしたら、その眷属である魔物が同じ成り立ちであることは理解できる。けれど。

「先生、アレにも核はありましたか?」

「いや……正直、視えなかった」

 あの時の私の恐怖の一端も、それだったのかもしれない。急所が無い。倒す方法が見付からない。――勝てない。そう感じた。冷静に思い返して記憶を探っても、それらしい気配は無かったように思う。だが、絶望するにはまだ早い。その考えが表情に出ていたのか、落胆しそうになっていたヴィオランテは、私を見て小さく首を傾ける。

「あれは本体ではなかったから――という可能性も残っている。『無かった』とも断言はできないな」

「なるほど。確かに、影にまで核があるかどうかは分かりませんね」

 同時に『ある』とも断言できない曖昧な状況であり、喜ぶことも儘ならないが、悪い方が確定しないだけ今は良しとしよう。しかし、『核』を見付ける能力がもしも私にしか備わっていないのならば。

「……これは私が、見極めなければならないんだな」

 逃げるつもりは初めから無いが、とは言え、あまりに責任が重大だ。世界の命運が掛かっていると言うのが本当に過言ではなく、器ではないと感じてしまう。小さく息を吐いて項垂れた。

「私はいつも数を撃って何とかしていますので、最悪、それで行きましょう」

「はは。豪快だな。まあ、それしかないか」

 いつもと変わらない目をしたままのヴィオランテは、私を慰めるようでもなく淡々とそう言った。少し笑ってしまう。彼女は私の肩の力を抜くのが、いやに上手い。加点をすべきポイントなのだろうけれど、やや悔しかったので飲み込んだ。教育係として、これは私が減点なのだろう。

「さて。討伐より厄介なのが控えている。明日に備えて早く休もう」

 慌ただしいことだが、私達に残された時間がどれほどのものか何も分からない中では、一日一日が貴重なものだ。

 そうして翌日から馬を利用して移動を開始し、王都で国王陛下に謁見したのは更に二日後のことだった。

 アイリーンの件を思うほど、陛下に個人的な憎しみが無いとはとても言えない。彼女が『憎まないで』と願っているのを知っていても、消してしまえない。だが、彼女自身が納得し、受け入れたことに対して私が刃を向けるわけにはいかない。それは彼女が命を懸けて守った矜持を、この手で打ち壊すことになってしまう。湧き上がる黒い感情を飲み込んで、以前と変わらぬ形で恭しく、陛下の御前に片膝を付いて首を垂れた。

「――何の根拠もない、まるでわらしの妄想だ」

 ファーストの『おとぎ話』があの脅威を退ける手段かもしれない、という考えの元、調査と準備をしていると告げた私達へと返された言葉は、冷たいものだった。正直、その通りであると私も思う。根拠などありはしない。しかし今は根拠を求めて立ち止まってもいられない。……それでも、これが一国を動かせるほどの理由にならないことは理解していた。

「仰る通りでございます。ですから、今すぐ陛下に動いて頂きたい等とは申し上げません。ただ、有事の際、……真にアレが復活し、脅威が迫った時にはどうか、この国の軍の力、世界一であるその強大なお力をお借りしたい」

 人の持つ『軍事力』がどの程度あの脅威に対抗できるかは分からない。まるで歯が立たないかもしれない。しかし、万が一にも通用するとすればこの国の軍事力以外には考えられない。フォードガンドが誇るのは最大の国土と人口だけではない。全ての戦争に打ち勝つだけの軍事力を、この国が持っている。だから、どれだけ心憎く思ったとしても、私はこの御方に頭を下げ、助けを願うしかない。世界を、そこに生きる罪なき善良な者を、守り通す為に。

 陛下は微かに唸るように喉の奥を鳴らし、深い溜息を吐いた。

「封印地と予想されているのは、我が国の領海だ」

 低い声が告げた言葉の意味を理解して、私は思わず少し頭を上げた。ご尊顔を無遠慮に見つめることは何とか踏み止まり、彼の足元で視線を止める。

「隣国は援軍の準備をもう始めている。この状況で、我が国だけが何もしないと言うつもりは無い」

 そう言うと、陛下は再び憂いを含んだ溜息を零した。相手は全くの未知の存在。どのような攻撃が通り、どのような攻撃をしてくるのか、明確にそれを知る者はセカンドの世には一人も居ない。そんな状況でも、隣国はもう軍を編成し、臨戦態勢を取っている。フォードガンドだけがなどという状況を流石に看過できないのだろう。

「準備だけはしておく。封印地と思しき箇所への監視、探索も出す。それでよいな」

 私は深く陛下に向かって頭を下げ、傍に控えているヴィオランテと共に丁寧に礼を述べた。

 世界一強大なフォードガンド国。その頂点に立つこの人は、傲慢であっても決して愚かではない。だからこそ、彼はそこに立ち続けているのだろう。

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