第2話_解放と悪あがき

「先生、……顔色が、優れないようですが」

 釈放の日、迎えに来たヴィオランテは、太陽の下に出た私を見るなり眉を顰めてそう言った。食事も睡眠も、問題なく取っているつもりだ。しかし気が落ち込んでしまっていることは誤魔化しようも無い。顔にも出てしまっているなんて、教育係としてはどうなのだろうか。私は自嘲の笑みを、苦笑に見えるようにした。

「何でもないよ。そうだな、久しぶりの日差しを少し辛く感じてしまったかな」

 嘘を言うわけでは無い。小窓も無かったあの部屋では、外の光など見えたものでは無かった。今、浴びている明るさは眩し過ぎて、しばらくは俯いていなければならないだろう。ヴィオランテはじっと私を見上げた後で、小さく「そうですか」と答えたけれど、納得した顔には見えない。しかし問い質されなかったことは今の私にはありがたかった。

「じゃあ行くか。何処に行くとも当ては無いが、私が此処に佇んでいると控えている兵士らが可哀相だ」

 後ろを軽く窺えば、兵士らは伸ばしていた背筋を更に伸ばして緊張している。牢を出て、剣を腰に携えた私との対峙はさぞ恐ろしいのだろう。苦笑を零していると、ヴィオランテも少し口元も緩めた。

「ですね。行きましょう。一先ず、付いてきて頂けますか」

「ああ」

 ヴィオランテには何処か行く当てがあるらしい。何にせよ私達は一度、情報共有の為に落ち着いて話せる場所が必要だった。兵士らの心の安寧を気遣う以前に、彼らの前では話せないこともある。ヴィオランテもそうだったのか、幾らか城から離れた後、小さな声で私に行き先を述べた。

「今、ジオヴァナが王都に戻ってきているんです。彼女の取っている宿で、一度、全員の持つ情報を整理しようと思っています」

「なるほど」

 隣国の姫の宿であれば、充分に人払いもされており、聞き耳を警戒する必要も無い。少なくともこの国の兵士らが入り込むことは難しいだろう。また、神の存在を記した隣国の文献についても気になる。あの存在を目の当たりにした今、文献には事実が記されていた可能性が高いのだから、ジオヴァナ姫もそのつもりで関連するものを洗ってくれているかもしれない。

 しかし、その前に私は一つの用事を思い出したので、ヴィオランテを連れて短い寄り道を挟んでから、姫の宿へと向かった。

 集まることもヴィオランテとジオヴァナ姫との間で事前に決めていたようで、到着すればすぐに奥の部屋へと通される。案内された部屋の奥で待っていたジオヴァナ姫が、私を見るなり、眉を下げて駆け寄ってきた。

「――オリビア様! ああ、本当に、釈放されて良かったわ。ごめんなさい、あの時は何も出来なくて……」

「いや、姫が気に病むことでは無いよ。心配してくれてありがとう」

 あの時は他の誰でも代わりになることは出来なかった。陛下が求めていたのは私の投獄そのものであり、『誰か一人の責任者』では無かったのだから。それでも視線を落として申し訳なさそうな顔を見せる彼女の肩でも叩いてあげたいけれど、言葉遣いこそ気安い形を許されているものの、私は貴族ですらない一般人だ。隣国の姫に無許可で触れて許される身分ではない。さてどうしたものかとヴィオランテを窺えば、私の視線を受け止めたヴィオランテが代わりのようにジオヴァナ姫の背をぽんと叩いた。

「あの時、本当に何かしなきゃいけなかったのは私だから。でも、反省は後にしよう、早く対策を練らなくちゃ」

 なるほど、あの時、私が投獄されるのを黙って見送ったと言う点では、ヴィオランテの方が深く悔いていたようだ。この役を代わらせたのは酷だったかもしれない。しかしジオヴァナ姫が次に顔を上げた時の目はいつもの輝きに戻っていたので、後でちゃんと加点しておこうと思った。

「まずは私の方から情報を伝えておこうかな。これは陛下もご存じの情報だが――」

 テーブルについてすぐ、私は自らが投獄中に知り得た情報を全て彼女らに話した。情報源は誤魔化させて頂いたが、主にアイリーンから得ていた情報だ。地震の分布と、魔物の大量発生が関連すること。そしてその道筋を辿ることで、あの脅威が封印されているらしい『海』の方角だけは特定できる可能性があること。

「分布図はこれになる」

 先程の寄り道で受け取ってきたものを、テーブルに広げる。ヴィオランテとジオヴァナ姫、そして姫の従者らが覗き込んだ。

「ヴォールカ火山帯から、ほぼ真西、ですね」

「そう思う。海上の分布は取れていないようだから、正確な位置は分からないが」

「カムエルトとは逆方向だわ。もしかして私の国は、その為に魔物が少ないのかしら」

「可能性としては充分に考えられるね」

 この国フォードガンドから見て、カムエルトは北東に位置する国だ。その西側にシンディ=ウェルがある為、脅威が封じられていると思われる海には一切、面していない。

「どれだけ猶予があるのか全く分からない。……アレを相手にするには、十年すら短いよ。勝算がどれだけあるだろうな」

 私の言葉に、脅威をその目で見た二人も険しい表情で黙り込んだ。従者らも同じくだ。この部屋には今、火山帯へ同行してきた者しか居なかった為、あの恐怖を知らぬ者は一人として居ない。

「今回の件、カムエルトの元老院はかなり重く受け止めているの。報告に上がれば、見たことも無いくらい真っ青になっていたわ」

 曰く、カムエルトには代々『必ず語り継ぐように』と言われている『おとぎ話』が存在していると言う。その内容はいずれも、『異形を封じるすべ』に関わる話だった。誰もがそれをただのおとぎ話と思い、語り継ぐ風習を『変わった文化』と捉えていたけれど、もしかしたら、あの存在を何らかの形で語り継ごうとした結果だったのではないか。今、カムエルト国内の上層部ではそのような話になっているらしい。

「おとぎ話……やっぱり、そうだったんだ」

 ヴィオランテも先日、おとぎ話があの脅威を語っているのではないかと話していた。いよいよ、その線が強いと思われる。神を失くした世界で神を語り継いでも、きっと失われる。そう考えたファーストの生き残りはそれらを『おとぎ話』として、残そうとしたのかもしれない。

「カムエルトは勿論、シンディ=ウェルに残されている文献や伝承についても、今、確認中なの。分かり次第、あなた達にも伝えるわ」

「そういえば、カルロ王子の容態はどうなんだろう。何か聞いているかな?」

「安定しているわ。命にも別状は無いし、一度、会いに行っているの。前よりはずっと長い時間を話すことも出来た。もう大丈夫よ」

 その報告に、ヴィオランテと共に安堵の溜息を漏らす。ヴィオランテからの報告で、この国に戻ってすぐに面会も出来たことや、一命を取り止めたことは聞いていた。けれどそれ以降の情報は、彼が自国へと戻ってしまった為、ヴィオランテも得られていなかったのだ。

「でもしばらく動ける状態ではないから、シンディ=ウェルとの連絡役は私がやるわ。正直、あれと戦うようなこと、私には出来ない。……我が国にもその戦力は無い。だから、それくらいは」

「充分だよ、ジオヴァナ姫」

 特に私のように陛下から睨まれている立場では、自国から出ることなど一切できない。また、自国内で得られる他国の情報はバイアスが掛かっている可能性もある。そういう意味ではジオヴァナ姫ほど信頼できる情報源は無いだろう。この上ない、助力だと思えた。

「全てが希望的観測でしかないが、それぞれの国が持つおとぎ話が封印の方法だと仮定して進めよう」

「もしも外れだったとしても、何もせずに散るか、足掻いて散るかの違いです。私は後者が好きですよ」

 あっけらかんとそう言い放つヴィオランテに、私は笑ってしまった。ジオヴァナ姫も何処か緊張を解いて笑みを零している。

「お前は本当に大物だよ。……だが、同感だ」

 今日の加点は二つにしておこうと思った。お前が居るだけで少し、前を向けそうな気がするよ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る