第6話_神

 今にも震えてしまいそうな脚と腕に力を込め、後ろに居る皆に不安を与えぬよう、私は努めてはっきりとした声を放つ。

「お前は何者だ。此処で一体、何をしている」

 此方の問い掛けは届くのだろうか。先の表情を少しも変えないまま私を見つめている様子に、そう思う。私には瞬きをする余裕すら無いのに、それはゆったりとした動作で私達へ身体を向けた。姿の正面を見れば更に困惑する。ガスのような蒸気を纏っているだけで、やはり何処までも人と同じ形をしているのだから。

「その問いには、もう答えてやっただろう?」

「……何の、話だ」

「私に刃を向けて尚、生き残った唯一の人間。……お前はあれの娘だろうに」

 静かに、私の呼吸が乱れ始める。対峙している緊張感と恐怖が、疲労に変わっていく。しかし背に控える者にそれを悟らせるわけにはいかない。私は気丈であるように意識をしながら、そいつが『父』を語るのを受け止めた。間違いない、父がこの地で遭遇した未知はこいつだ。父を壊したのは、こいつだ。憎しみに近い何かが身体の奥底から滲むのに、それは皮膚の下で外に出ることを躊躇っていた。恐怖がまさっている。私を見つめたそいつは、目元を歪めた。それが笑みを深めたと思しき変化であったことを、数秒遅れてから認識する。

「まあいい、答えをやろう。私は『神』だ。お前達が私をそう呼んできた。数億年前から、人間という種は常に私をそう呼んだ。あの男、お前の父もそうだ」

「神、だと……」

 真実ならば、剣を向けている相手は、私がずっと祈り続け、愛し続けた存在だというのだろうか。俄かに信じられない。何故ならそこには、私が信じ続けた『神の愛』が無い。父の仇であること、私の愛す『神』を語ること、どちらも形容しがたいほどに憎いのに、……私は、動けないままだ。

 こんなにも私は臆病だっただろうか。踏み込むことが出来ない。これ以上対峙していたくない、此処に居たくない。そんな思いが拭えずに、憎しみを発露させることが出来なかった。何も答えない私をどう思うのか、いや、どうも思わないのだろう。そいつはのんびりと私達に思い出を語り聞かせてくる。

「封印以来、初めて遭遇した『人間』だった。さてどれほどの力を付けているのかと手を伸ばせば、何が起こったかも分らぬ顔をしたままで、奴らは壊れてしまった」

「……封印?」

 私の問いに、それはにたりと笑う。ほんの少しの表情の動きが、恐怖を増幅させていく。

「そうだ。三千年前、人間は私を封印した。当時の世界に飽き、再生の為に一度壊していた最中のことだ。奴らは私の意志に抗った。私の作った大地にえただけの命と思っていたが、それがまさか、私の力に抗ったのだ」

 そう言うと、神を自称するそいつはくつくつと可笑しそうに笑う。怒りを抱いている様子は無い。一矢報いられたことが、楽しくてならないとも見える。だが何より気になるのは、『大地を作った』という言葉だ。言葉通りであるなら、今、私の目の前に立つのは本当に、――この世界の、創造主、なのか。

 そして全ての言葉を信じるならば、三千年前、ファーストはこいつが滅ぼそうとした結果、壊滅したのだ。しかし何とか封印をしたことで人間の生き残りがあり、その者達が長い年月を掛けて再生させた世界がセカンド、ということになる。つまりおとぎ話などではなく、確かにファーストは存在し、そして滅んだのだ。もし、こいつが真に大地を形成、そして壊すことが可能な存在なのであれば、地の下にファーストがというのも、例えではなく言葉通りの意味なのかもしれない。

 私が思考を整理している間に、楽しそうに笑っていたはずのそいつが、いつの間にか悲しげに眉を下げていた。

「しかし、人には落胆した。三千年前よりも、弱くなっているのだからな。ならばあの時、滅んでいても構わなかったではないか。何故、神を封印してまで生き永らえようとしたのか……あまりに度し難い」

 人間は、いや少なくとも私は、神を封印したなどという話は全く知らない。此処に居る全員も知らないはずだ。王族が本当にファーストの生き残りであるならば語り継がれている可能もゼロでは無いが、ジオヴァナ姫とカルロ王子にその情報が無いのであれば可能性はかなり低い。何も知らない私達は、目の前に居る『神』に対抗する手段が無かった。もしも正しく語り継がれ、知識を重ね、対策を重ねていたのであれば全く違っただろう。『神』を名乗るこの存在は、成長どころか、平和により退化した『人間』を蔑むように溜息を零す。しかしそれは一瞬のことで、私を見つめ、再び笑みを浮かべるその瞳には喜びに近い何かが宿った。

「だがお前の父だけは違った。あの男、私の力に。三千年前には見られなかった現象だ。一つの進化であろうか! 人間のような矮小な存在が、私の力に馴染むなどと。ああ、なんと愛おしい!」

 弾む声。抑揚が強くなり、まるで演説だ。これが本当に人ではないのか。姿は人に近く、言葉を話し、表情を作り、そしてそこには明らかな『感情』がある。

「私の力を取り込んだあの男、おおよそ人の形を保ったままで私から逃れて行った。強いて言うならばその状態で更に再びこの場に立って欲しかったものだが、適応したといえどもこの私の力だ。……正気で居られるわけがなかったのだ。……お前を除いてな」

 そいつが浮かべた笑みは、先程から何度も見せたものよりずっとおぞましい形をした。いくら形が似ていても、やはり人ではないのだ。人の目はあんなにも形が歪まない。口はあんなにも吊り上がらない。私の後ろで、兵士らが悲鳴を飲み込んだのが聞こえた。

「まさか、持ち帰った力を娘に適応させていたとはな。お前はあの男と違い、より深く適応し、そして私の前に立っている。この歓喜が分かるか!?」

 鳥肌が止まらない。話を聞くほどに、確信に近付く。私はこの声を、――知っている。

 どれだけこの声に怯えただろう。どれだけこの声に踊らされただろう。どれだけこの声に、抗えず、人を殺めてきたのだろう。この声は、戦場に立つ私に必ず語り掛けてきた。それを何度も繰り返せば、いつからか、寝ても覚めても声は頭の奥に響いた。人を殺せ、誰も彼も、目に映る全て、小さきも弱きも構うものか、視界にある生きているもの全てを殺さなければならない。殺せ、殺せ、殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ――。

「先生……」

 背中に声が掛かり、記憶の声に沈みそうになっていた思考が浮上する。不安そうな声だ。それを聞いて思い出した。先程、ヴィオランテは言っていた。この付近に漂う空気が私から生じるものに似ていると。特に戦う時の私であると言った。不愉快なほどに、全てが繋がっていく。もしかしたら父が狂ったのも、同じ『声』による影響があったのかもしれない。父の死後、戦場に出た私にもこの声は聞こえた。私は人としては異常なほどに強かった。それがこいつの力に適応した影響であったのなら、戦う私から漏れ出る雰囲気が、こいつに似ているというのも合点がいく。あくまでもヴィオランテの感覚によるものだが、こと『感覚』に於いてヴィオランテほど優れた者はそうそう居ない。無視できる発言ではないと思えた。

 ――ヴィオランテ。

 私は、誰にも届かぬほどの小さな声で呟いた。そして真正面に位置する存在から、私の口元がはっきり見えないように剣の構えを少し変える。

「私にお前の歓喜など分からないが、……それで、お前の封印はもう解けているのか?」

 問い掛けに、そいつはニタニタと気味の悪い笑みを浮かべる。随分と上機嫌に見えた。人の持つような感情が、同様にあるのであればだが。

「いいや。だが、もう間もなく。身体はまだ遥か遠く、忌々しくも海の底に落とされている。しかしこうして精神体を、嘗ての住処であるこの山に伸ばせるほどに回復した」

 ――私の指示を聞け。少しずつ話す。

 私は相手の回答を聞きながら、再び唇の先だけでそう話す。声らしい声は出ていないだろう。後ろに居るヴィオランテから、当然、唇の動きも見えるわけがない。だからこれは二つの賭けだ。一つ、目の前の存在には小さな音を聞き取る力が無いこと。そしてもう一つ、ヴィオランテの野性的な聴覚なら私のこの声が聞き取れること。どちらも全く確証は無かったが、今、その手段しか無かった。

「随分と元気な精神体であることだ。そして復活を成し遂げればお前は何をするつもりだ。人間に、復讐するのか?」

「はははははは! 復讐、復讐と来たか。ああ、人間らしい、小さな願いだ」

 ――下がれ。気付かれぬように距離を取れ。

 次の瞬間、私はこの指示がヴィオランテに届いていることを確信した。私の言葉と同時に、じり、とヴィオランテが数ミリ程度後ろに下がった音が聞こえたからだ。

「小さな願い? ならばお前の、高尚な願いは何だと?」

「当然、。そして正しくこの世界を、私の箱庭に戻すのだ。人間はもう要らぬ。魔の目を通して世界を見つめ続けたが、何処も彼処も、人間は私の箱庭を汚すばかりだ。私はもう、人間には飽いたのだよ」

 ――王子と姫を優先に下げろ。

 ――あいつの攻撃にはおそらく有効範囲がある。

 ――二人と共に岩の後ろまで逃れたら、走れ。急ぎ下山しろ。

 そいつが朗々と話すのに紛らわすように指示を紡いでいく。ヴィオランテも、相手の声が聞こえている間にだけ、ゆっくりと後退しているようだった。一番近くの王子も共に後退していく気配がする。ジェスチャーか、もしくは耳打ちで伝えたのだろう。姫は二人の更に後方に居たはずだ。このまま上手くいけば、少なくとも彼らは無事に帰すことが出来る。……先頭に立つ私が生き残れるかどうかは、正直、自信の無いところだが。

「魔の目、とは、魔物のことか? あれはお前の分身だったのか」

「さて。分身と呼ぶには遠い存在だな。あれは枝先の葉のようなものだ。生命力を吸い取り、地脈を伝って私へと送り込んでいる。しかし作るにもまず私の力が必要だ、生み出せるようになるまで、気が遠くなるほどの永い時間を要した」

 短い質問でも、こいつは多くを語った。勝手に語った。私に会えたことを歓喜と言っていたから、幾らも気分が良かったのだろう。今、それはとても都合が良かった。私の後ろではヴィオランテと王子の気配はもう遠く、姫も下がっている。兵士らも彼女らの動きに気付いたか、間に入り、彼女らを背に隠すように陣形を変え始めていた。

「だが人の恐怖と紐づく生命力が最も有効と気付いてからは、魔には凶暴性を持たせ、人が恐れる形に変えた。この百年、お前達はとても効率よく、私を回復させてくれたよ」

 魔物が世界に発生し始めたのはおおよそ百年前からだと言われている。しかし、私達があれらを『魔物』と呼ぶ形になったのが百年前であり、実際に存在し始めたのはもう少し前のことになるのだろう。何にせよ、こいつは魔物によって力を取り戻し、封印を解こうとしていることだけは確かだ。

「ご丁寧な説明、有難いな。人を快く見ているとはとても思えないが、その割に、随分と色々教えてくれるじゃないか」

「ふふふ、そうだな、私は今とても機嫌がいい。お前と会えたことでな」

 やはり今、こいつが最も興味を向けているのは私という個人。後ろに控える兵も、姫や王子といった立場も気に留めていない。彼女らに狙いを定めていなかったことは幸いだ。今なお、視線は私だけを見つめている。

 恐怖は、未だ私の心の内にある。だが私は、仕事を思い出した。こいつの相手は私の仕事の範疇ではない。その思考は、幾らか私を気丈に保たせてくれた。演説のような口調でまだ話を続けているこいつには、私の心境など、全くどうでもいいことなのだろうけれど。

「どうだ、共に次の世界を迎えるというのは。まるで我が子のように感じている。お前だけは、次の箱庭にも生かしてやってもいい」

「お断りだよ、悪いが私の親は二人だけなんだ」

「……それは残念だ」

 ヴィオランテと王子と姫の三名は、間合いであると思われる範囲から出ている。今すぐにでも号令して全員走らせるか。だが、三名以外はまだ奴の間合いだ。今走らせてしまえば、ともすれば半数が犠牲となるかもしれない。

 そんな、一瞬の迷い。それは、間違いなく私の過失だった。

「さて、多くを話した、と言ったな、ああ。だが構わないさ。……どうせお前達は、此処までだ」

 朗らかに笑っていた奴の身体から一瞬で湧き上がる殺気。私は反射的に剣を振った。意識が全く間に合わないほどの速さで振るわれた斬撃は、私の数歩後ろで警戒を続けていた兵士らを切り刻んだ。斬撃が私の剣と交わった音が、遅れて聞こえたような錯覚すらある。衝撃に数歩下がるが、私はまだ奴の間合いの中に居る。

「――走れ! 全員逃げるんだ!!」

 恐怖も声に乗ってしまっただろうと思う。だが取り繕っていれば間に合わない。必死に叫んだ声に応じて、兵士らも含め、誰もが逃げの体勢を取ったのに、ただ一人だけが、激昂してしまった。

「貴様ァア! よくも俺の部下を!!」

 私のすぐ後ろに居たのは、そうだ、カルロ王子の兵だ。

「カルロ!!」

「間合いに入るなヴィオランテ!!」

 奴に斬り掛かろうと間合いに入り込んでしまったカルロ王子を、ヴィオランテは追い掛けようとしていた。だが私が叫べば、反射的にその場に踏み止まる。ぎりぎり、外だ。同時に私はカルロ王子の方へと駆ける。――間に合う、訳がない。分かっていた。

「愚鈍な」

 のんびりと笑う、奴の声が鼓膜に纏わり付くと同時に、カルロ王子の剣が吹き飛び、彼の右腕が落ちた。次いで飛ぶ斬撃を私の剣が何とか弾く。そして、駆けたままの勢いで、彼の身体を思い切り後方へと突き飛ばした。怪我人と思えば乱暴極まりないし、相手は王族で、不敬もいいところだが、今はそんな場合ではない。

「連れて逃げろ!!」

「先生!!」

「早くしろ!!」

 ヴィオランテは私の叫びに応じ、カルロ王子を奴の間合いの外へ引き擦り出した。すぐに近くの兵士らが彼を担ぐようにして走る。しかし私は彼らが逃げる背を見守る余裕など無い。振るわれる正体不明の斬撃を弾き続ける。斬撃が迫ることは分かるのに、あいつが何を元にこの斬撃を出しているのかも見極められていない。ようやくそれが見えたのは、左腰と右肩の防具が半壊して、防具としての役割を失ってしまってからだ。手から伸びる、長く黒い爪を、ただあれは振り回していただけだった。

「ふふ、はははははは! 防ぐか、流石はあの男の娘だ。私の力の適応者だ。こうでなければな、はははははははははは!」

 不意にそう言って奴が笑うと、攻撃が止んだ。私はその隙に素早く後退する。間合いを抜けた私を見つめる双眸そうぼうは、届かない距離を悔しそうにする様子など全く無い。ただ愉快そうに、笑っていた。

「だが、それだけに惜しい。……努々ゆめゆめ忘れるなよ、人間。お前達の世界は、私が起きるまでの、仮初の箱庭なのだから――」

 その言葉を最後まで聞くことなく、私も奴に背を向けて走った。先に逃げた者の姿は既に少し遠いが、怪我をした王子を運んでいる。すぐに追い付けるだろう。何度か振り返ったが、やはり、奴の気配が追ってくることは無かった。

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