第4章_このキャンバスは誰のもの
第1話_敗走の爪痕
目を覚ましたら、私は部屋に一人きりだった。身体を起こして隣のベッドに目をやっても、そこに人の気配は無い。項垂れて、シーツを握り締める。もしも目の前にテーブルがあったら拳を叩き付けて割ってしまったかもしれないと思うほどの苛立ちと憤りが私の身体を巡った。代わりとばかりに柔らかなベッドに拳を振り下ろしても、微かにベッドが揺れ、ボフンと呑気な音が出ただけ。何の憂さ晴らしにもならない。
あの火山から敗走した私達は、大至急で治療が必要なカルロの為にほとんど休息をとることなく首都へと戻った。カルロの国は医療に長けており、随伴していた医者が適切な応急処置をしたことで無事一命を取り留めたけれど、逃げ延びた私達に、国王陛下は優しくなかった。
大きな損失を出した私達を王は酷く責め、当然、契約の通り一切の保障はしないと言い、治療に手を貸すことも無いと告げた。陛下からの御命令で私達に随伴してくれたこの国の兵士には幸い犠牲が無かったものの、もし一人でも欠けて戻っていたら全員が投獄された可能性もあった。しかし、たった一人の投獄が、私にとっては重すぎる結果だった。
友好国の使者を危険に晒し、被害を出したことに対して、オリビア先生は『先導した』という理由で罪を問われ、投獄された。
あの火山帯へ入る許可を得た理由は私の成人の儀であり、それを求めたのはコンティ家当主であるおばあ様なのだから、雇われ教師でしかない先生が責任を問われる謂れなど何も無かった。国王陛下はおそらく別の理由で先生を投獄したがったのだと思う。私にも、先生にも分かっていた。
だけどあの瞬間の私達に抗う余力は無かった。何もかもに対して、混乱し、困惑し、疲れ果てていた。
「まず、は、……カルロの様子、見に行こう」
一晩で身体の疲れはそれなりに取れているはずなのに、心の疲労が少しも和らいでくれない。何をすべきかも上手く判断が出来ない中、最初に頭に浮かんだのは生死を彷徨った幼馴染の顔。もしかしたらもう目を覚ましているかもしれない。まずは彼に会おう。重い身体を起こして、ようやくベッドから這い出た。
だけど、カルロが休む宿に向かえば先に顔を合わせたのはジオヴァナだった。どうやら私が来るよりも先にカルロの見舞いに来ていたらしい。私を見たジオヴァナは、少し眉を下げて微笑んだ。
「おはよう、ヴィオラ。よく眠れた?」
「まあ、うん。疲れてたから」
「そうね」
声が優しい。私を心配してくれているのがそれだけで伝わってくる。そういえば、昨日も別れ際、最後まで私のことを心配して沢山声を掛けてくれていた気がする。そんなことを今頃思い出してしまうくらいに、昨日の私は呆然としていたらしい。まるで気遣いを無下にしていたようで、謝ろうとしたら、ジオヴァナの方が先に口を開いた。
「……今回のこと、何も出来なくてごめんなさい」
「ううん、ジオヴァナが謝ることじゃないよ」
私は慌てて首を振る。何も出来なかったのは誰よりも私だ。先生の雇い主であるのはおばあ様だけど、この旅の間、私はおばあ様の名代でもある。誰よりも、あの場で意見を言い、先生の立場を明らかにして、阻止できる可能性があったのは私だった。……国王陛下が私なんかの言葉を聞いてくれたとは思わないけれど、抗わなかったことの理由にはならない。
俯きそうになりながらも何とか堪えてジオヴァナの顔を見て、心配を掛けてしまったことの謝罪と、気遣いに対するお礼を告げれば、ジオヴァナは優しく私の肩を撫でた。
「先生様の釈放については、お父様にもご助力を頂けるよう私からちゃんとお願いするから。絶対に、このままになんてさせないわ」
「ありがとう、うん、私も……しっかりしなきゃね」
嘆くことは何の解決にもならない。私にも出来ることが、やらなきゃいけないことがあるはずだ。一度強く目を閉じて、首を振る。先生が投獄されることは絶対におかしい。これは大人しく受け入れていい状況じゃない。やるべきことは沢山ある。雇い主であるおばあ様にも早くご連絡を入れるべきだ。ようやく、私は背筋を伸ばして真っ直ぐ顔を上げることが出来た。
僅かながらも表情が変わったことに安堵したのか、ジオヴァナは柔らかな笑みで何度か頷くと、また幾つか優しい励ましの言葉を告げて、立ち去って行った。報告の為に一度、国へと帰るとのことだ。しかし、今回の調査であの場に潜む世界の『脅威』は明らかだ。またすぐにジオヴァナの国、『カムエルト』の国王からの新たな書状を携え、戻って来ることになるだろうと言っていた。
改めて私はカルロの休む宿へと入り込み、見覚えのある従者に声を掛けた。
「カルロ様は今朝早くに意識を取り戻しましたが、まだ絶対安静となっております。旧知のヴィオランテ様に対してご無礼とは存じますが、面会は十五分程度にして頂けますよう……」
「とんでもありません、顔を見られるだけで充分です。ご配慮ありがとうございます」
突然の面会の願いにも、とても丁寧に対応してくれた。私も丁寧に頭を下げて、促されるままカルロが休んでいる部屋へと通される。
「――カルロ」
「ああ……ヴィオラ、来てくれたんだな」
「気分はどう?」
こんな問い、今の彼には酷だったかもしれない。顔色は明らかに悪く、怪我の影響で熱も出ているのか、額に汗が浮かんでいる。隣に置かれていたタオルで軽く拭えば、掠れた声でカルロは「ありがとう」と呟く。
「何だかまだ頭がぼうっとするよ、痛みを取ってもらってるからな」
「そっか」
彼が失った右腕は戻らない。どんなに優れた医療技術を以てしても、どうすることも出来ない。あの場から命を救い上げた者の中で、彼が一番の重傷を負ってしまった。なのにカルロは、自分のことよりも私と、先生のことを案じていた。彼が顰めていた眉は、怪我の痛みを耐えていたわけでも、失った腕を嘆いていたわけでもなかった。
「先生が捕まったって、さっき、ジオヴァナから聞いた。……あり得ねえだろ、先生が居なけりゃ、俺はあそこで死んでたってのに」
カルロが奥歯を噛み締めたような音が聞こえ、私は彼を宥めるように左肩に触れた。変に興奮させれば今の彼の身体には負担になってしまう。だけど心配する私の表情を見止めたからか、すぐにカルロは表情を和らげて、私へと優しい目を向けてくれた。今、気遣われるべきは私などではないはずなのに、私の幼馴染は二人共、あまりに私に対して甘かった。
「シンディ=ウェルからも必ず抗議の書状を出す。お前の先生に罪なんか負わせないからな、元気、出せよ」
「……うん、ありがとう。だけどカルロ、まずは自分の身体を大事にしてね」
「ああ、分かってる」
彼がゆっくりと頷いたのを見守ってから、短い挨拶と共に部屋を退室した。従者に聞いたところ、病人を運ぶ専用の馬車がシンディ=ウェルから届き次第、カルロは国で治療をすることになるそうだ。この街に留まるのは、長くてもあと三日だということだった。治療を思えばしばらく会うことは叶わないかもしれない。だけど今は、カルロが無事に生きてくれている。それだけで充分だ。寂しい気持ちを押し殺しながら、彼らの滞在する宿を後にした。
そして、大きく息を吸い込んでから、先生が収容されている城の地下牢へと向かった。当然、勝手に出入りさせてもらえる場所ではないのできちんと面会を申し入れる。もしも国王陛下がこの投獄に別の目的を持っていたとしたら一切許してもらえない可能性もあると思っていたけれど、申し入れから十数分後に許可を言い渡されて、兵士と共に地下牢へ進んだ。
空気が冷たくて、その癖やけに湿度だけは高い。囚人が居る場所なのだから快適さを求めても仕方が無い。けれど、此処に先生が入れられているのだと考えれば身体の奥から不快感が込み上げた。
「此方です」
「ありがとうございます」
案内をしてくれた兵士に軽く会釈をして奥に進む。先生の牢は他の囚人らを収容している場所とは離れており、広い牢の中に先生一人だけが居た。待遇が良いと見るべきか、より厳重であると見るべきか悩ましいところだ。しかし中に居る先生はまるで客室で寛いでいるような穏やかな顔をしていた。
「昨日の今日で、わざわざ面会に来たのか、ヴィオランテ」
「当然です」
思わず不満が声に滲む。先生が肩を竦めて私へと向き直れば、金属と金属が擦れ合う重々しい音が響いた。先生の両手両足に、頑丈な鉄枷が嵌められていた。私がはっきりと顔を顰めるのを見て、先生は私の怒りを制するように手を翳した。下唇を噛み締め、文句を飲み込む。
「まあ、昨日は色々あったな。私一人が此処に入ることで、他の者が皆きちんと休息を取れたのだから良しとしよう。ふふ、牢の中に慣れているのは私くらいのものだろうからな」
「そうでしょうけど!」
先生は本当に、一切のストレスを感じていない様子で笑っている。確かに、あの中で牢に入ったことがあるような人は先生だけだろう。だからって今のこの状況を『良しとする』気には少しもなれない。だって、いつ釈放されるのか分からないのだから。そもそも、釈放してくれるのかどうかだって。もし、ただの収監だけで済まずに――。
「少なくとも」
先生は思考を遮るように強い声を出した。最悪の場合を想定して青ざめる私の顔色を見付けたのだろう。
「……私が処刑されることは無い」
続けられた声は囁くように優しくて、思わず顔を上げて先生を見つめたら、いつになく優しい瞳が私へと向けられていた。
「今回、他国の者が多く犠牲となった。カルロ王子までも、取り返しの付かない怪我を負ってしまった。最初の契約がどうあれ、これは国際問題に発展しかねない事態だ。だから陛下は私を此処に置いたんだ」
そこまで言うと、先生は少しだけ視線を私の後方へと動かしてから、自身の足元へと戻した。私に、後方の存在を示すような視線の動きに、小さく頷く。面会は二人きりではない。後ろには案内してくれた兵士が立っている。これ以上の言葉は咎められる可能性があるというお考えらしい。つまり、先生が今言ったことを元に、私がちゃんと考えなさいと言われている。私はもう一度頷いた。すると突然、私が先程入ってきたのと逆側の扉が開かれた。
「コンティ様、申し訳ありません、少々お下がりください!」
案内の兵士が慌てた様子で私に声を掛けるので、言われるままに私は壁際へと後退った。開かれた扉から現れたのは国王陛下その人だった。条件反射でその場に跪く。
「おお、ヴィオランテ嬢……面会中であったか。失礼した」
「いいえ、問題ございません」
まさかこんな地下牢へと国王陛下がいらっしゃるとは思わない。兵士の慌てた様子を考えれば、あの扉は国王陛下、またはそれに準ずるだけ位の高い御方が使用される扉なのだろう。
「――陛下御自ら、私のような者の為にいらっしゃるとは思いませんでした」
先生の声は、どうしてか、笑っているように聞こえた。私は許可なく頭を上げることは出来ない。だけど、先生が跪いていないことだけは分かった。
「動くと鳴り響いてしまう、耳障りな鎖の音を陛下に聞かせてしまうことが心苦しいのですが、この体勢のままでも宜しいでしょうか?」
「構わん」
跪くことをしない理由を淡々と述べる先生に対して、応えた陛下の御声は不機嫌そのものだ。それでも先生は動じることなく許可を頂いた礼を、涼しい声で述べている。
「此度の惨事は、オリビア、お前の差し金か?」
陛下の御言葉に、私は凍り付いた。喉の奥が震える。思わず大声でお話に割り込んでしまいそうになるのを、拳を強く握って抑え込む。顔を上げなくとも、先生の意識が一瞬私に向いたのが分かった。先生もきっと、私が感情的になるのではないかと、心配したんだろう。
「とんでもありません。あのようなモノの存在、今でも信じることが出来ておりません」
「しかし伴っていた我が兵の話では、お前を『待っていた』と述べたようだが?」
「はい、確かにそのように」
先生は偽る様子無く淡々と、起こった事実を陛下へと説明していく。確かに、『神』を自称したアレは最初に先生を見て「待っていた」「よく戻った」と言った。しかしその後の説明では、面識があったのは先生のお父様であり、お父様はあの火山が噴火した時の生き残りだ。そして陛下も、その後に彼が心の病を患い、真っ当に会話の出来る人でなくなってしまったのはご存じのことであるらしく、「父から当時の話は聞けておりません」と先生が説明するのを、疑う様子はあまり無かった。元より、本気で先生が今回の騒動を誘引したとはお考えではなかったのかもしれない。そもそも、随伴の兵士が起こったことを偽りなく報告していれば、そのような結論には至らないだろう。
「お前が意図的に今回の事態を引き起こしたわけではないのだな」
「はい」
「では、その脅威にお前が操られた結果ではないと、どのように証明する」
再び私の喉が戦慄いた。陛下が恐れているのは最初からその点だったというのだろうか。先生は『意図』していない。けれど先生の中に確かにアレの力が宿っているのなら、あの地に向かいたいと願う気持ちが、アレに『操作』されていたとしたら。先生の意志など関係なく、先生が危険であるという判断になる。けれど。
「それは――」
「お、恐れながら!」
とうとう私は、堪えることが出来ずに口を開いた。ヴィオランテ、と、先生が陛下にも聞こえないくらいの小さな声で私の名を呟く。制しようとしているのは分かっていたけれど、これは私が発言しなければならないことだと思った。先生は、もしかしたら言わないのではないかと懸念した。驚いた様子で私を振り返った陛下に、発言の許可を求める。陛下は少しの躊躇いの後、それを許してくれた。
「あの火山帯へ入山を求めたのは、元々は私でございます。我が師オリビアは、その危険性や、陛下に御許可を頂かなければならないという恐れ多さから、最後まで反対の意を唱えておりました。しかし私は強引に推し進め、祖母アデルに懇願し、アデルが容認した為に、オリビアは反対が出来なくなったという経緯にございます。誘引したことが罪に問われているのでしたら、それはこの私の罪にございます」
私の言葉の後、また先生が小さく「ヴィオランテ」と言った。今度は制するというよりは、やや呆れた色をしていた。一方、陛下は静かに私の言葉を聞き入れた後、「なるほど」と重々しく呟いた。
「して、それを証明は出来るか」
「確たる証明となるかは分かりませんが、コンティ家には、私とオリビアがそれぞれ祖母アデルへ送った手紙が残されていると存じます」
私からは、火山帯を成人の儀のルートとして加えることの要請。先生からはおそらく、私を止めることが出来なかったことについて謝罪の手紙がおばあ様宛に送られているはずだ。もしも陛下が本気で調べればその手紙がいつ私達の手を離れ、コンティ家に届いたかということはすぐに分かる。騒動後、言い訳の為に偽造したものではないことだけは証明が可能だ。『意図していない』ということを陛下が信じて下さっているのなら、『私が言い出した』ことの状況証拠として足るものだと思う。ただ、もしまだ先生が画策したことだと疑われているのであれば、事前に準備した言い逃れと思われるかもしれないけれど。
しかし陛下は『コンティ家』という言葉には不快そうに眉を寄せられたものの、私の言葉を完全に撥ね付けようとはせず、何かを考えるように低く唸った。
「言い分は分かった。しかし、オリビアの危険性に対する疑念は消えておらん。報告にあった通り『脅威』の悪しき力を宿している、またはその疑いがある以上、釈放するわけにはいかん」
「そ、それは、しかし陛下!」
「余の決定は絶対だ。異議は許さん」
怒鳴り付けられたわけではなかったのに、陛下の御声が強くこの部屋に響き渡って、私は口を閉ざした。そして応じるように深く頭を下げる。成人前の子供であれど貴族である以上、分かっている。今この御言葉で、私は発言権を失った。再び許可を得るまで、口を開いてはいけない。俯いたままで唇を噛み締めて震えることしかできない私を、陛下はきっと冷たい目で見下ろしていた。けれど、直後に部屋に響いたのは陛下の御声ではなかった。
「――ヴィオランテ。陛下を煩わせてはいけないよ」
先生。思わず顔を上げそうになって、慌ててまた深く下げる。
「陛下の決定が覆ることは無い。……ああ、いや、我が国の法はよく出来ているからね、覆す方法が全く無いわけではないけれど」
悔しさと歯痒さにぐちゃぐちゃになっていた私の頭に冷たい水が入り込んだかのように、その言葉で思考が澄み渡った。――ある。そうだ。現国王陛下の何世代も前に確立されたこの国の規律。国王が私利私欲で国を回してしまうことが無いようにと、一つだけ、国王の決定を覆す手段があった。先生の言葉に、陛下は不愉快そうに溜息を吐く。
「面白いことを言う。お前の為に、『法の貴族』が動くとでも?」
「いえいえ。失礼いたしました。私は今、ヴィオランテの教師としての職がございますので、教えとして誤解の無いようにと、つい」
小さく鎖の音が鳴った。先生が軽く頭を下げたのだろう。私が聞いても『わざとらしい』と思うその言い分に、陛下は言葉にして憤りはしなかったものの、「ふん」と勢いよく吐いた息は、私から発言権を取り上げた時のように大きく、苛立ちを含んでいた。
「コンティ家の者であるならば知っておろうが、確かに余の決定を覆すことは可能だ。『法』を司る四名の貴族全員からの申し立てが上がれば、余はそれに応じることとなる」
この国には、多くの領主が居る。全てが貴族だ。そしてその領主らは土地を治める以外にもう一つ役割が与えられており、今話題に上がっているのが『法』の役割を持つ領主。この国には四名存在する。法以外にも、軍事、経済、外交などの役目を担う領主らも居る。それぞれその役割に応じて、国王陛下に対して異議を唱えたり、提案を述べたり出来る仕組みとなっていた。
そして、私の祖母であるアデル・コンティもその『法』の貴族となっている。だからこそ、私は陛下がこの後に続けた御言葉に凍り付いてしまった。
「だが、忘れるなよオリビア。戦時中、お前をこの城内に留めた際、余の決定に、その四名全員が同意をしたのだということを」
「……勿論でございます」
十四歳だった先生を投獄して、戦争に『利用』していた当時の決定。その頃の我がコンティ家の当主は間違いなく、おばあ様だ。つまり。
おばあ様も、当時の投獄に同意していたのだと、今、陛下はそう仰った。
陛下はその後、先生と私に短い御言葉を掛けてから、御退室された。私は陛下の気配が完全に無くなってからようやく立ち上がったけれど、顔を上げることが出来ない。
「ヴィオランテ」
いつまでも俯いたままの私に、先生はまた優しい声を掛ける。
「先程も言ったが、陛下が仰ったのは『釈放できない』という御言葉だけだ。私を処刑する気など無いだろう。私は此処に居ればいいだけだよ。確かに、御言葉を覆す方法はあるが、それは――」
「嫌です」
お話を半ばで切る無礼は理解していたけれど、最後まで聞きたくなかった。死なないからいいんだとか、無理をしなくていいとか、そんなわけがない。そんなわけがないのに、まるで先生が優先度の低いもののような言葉は、絶対に聞きたくなかった。
「駄目です、絶対に。私は」
顔を上げる。まだ私の心は、頭は、確かに混乱しているけれど。一つだけは間違いなく、揺らぐことなく私の心の中央にある。私の視線を真正面から受け止めた先生の方が、何度か目を瞬いて、戸惑っているみたいな顔をしていた。
「私の気持ちは変わりません。絶対に、先生を諦めない」
真っ直ぐに先生へと頭を下げ、私はその場を立ち去るべく背を向ける。此処に居るだけじゃ状況は変わらない。今、立ち止まっていても仕方が無いから。
「……お前のその目が、私は時々怖いよ」
小さく笑いながらそう呟いた先生の声が、閉ざされる前の扉の隙間から漏れて、私の鼓膜をくすぐった。
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