第3話_信じる神

 先生の副業のことは、知っていた。

 当然、先生から聞いたわけではない。おばあ様から聞いたわけでもない。私は自分の耳で、疑いようもなく、聞き取っていた。

 あの仕事は、屋敷に暮らしていた頃にもしていたのだと思う。時々、里帰り以外にも先生は数日間不在になることがあって、戻ると必ずと言っていいほど、血の臭いがした。先生が返り血を浴びるような失敗はしないだろうから、普通の人には少しも分からないくらいの臭いだと思う。ただ、私は先生に『野生児』と言われるような五感を持っていた為に、無用に気付いてしまった。

 それでも当時は、外で何かに巻き込まれたのかも、外には危険も多いと聞くからと、深く考えていなかった。少なくとも先生が危険な目に遭ったところで怪我をするとも思えなかったし、事実、一度も怪我をして戻ったことは無かったから、気に留めていなかったのだ。

 だけどこうして共に旅をすると、分かってしまう。耳が良いから、離れていても聞こえてしまう音があった。例えば先生に感謝を述べる依頼人の声。事情はそれでおおよそ分かる。部屋に戻る先生からは当時と同じような血の臭いがする。屋敷で感じた血の臭いを思い出しながら、そういうことだったのかと思った。

「せんせい」

「起こしてしまったか、まだ遅いよ、寝なさい」

「……はい」

 何が言いたいわけでもないけれど、血の臭いがする先生を時々呼んだ。声が聞きたかった。いつも通りの先生であることを確認して、ようやく眠れる。整理が付くまでに、少しの時間が必要だったけれど、この事実はパズルを解くようにして私の中にあった情報を繋ぎ合わせ、答えを示した。先生は、そういう人なのだと知った。

 法的には問題のある行為だと思う。私刑を許す領土はこの国には無い。

 だけど法律で裁くことの難しい場合、または法で裁かれることを待っていては被害が広がるばかりだという状況で、その選択をせざるを得ない人がいることも、また分かる。きっとそんな声を先生は全て聞き届けたいのだろう。先生はあまり法を『守るべき』と重視していない人だ。勿論、表立ってそう口にすることは無いけれど、端々にそれを感じる。先生は己の信じる神と、その教えに沿って生きている人だから、法とそれが対立する場合、先生は法を破るのだ。行動原理は全て一貫していて、私を納得させた。この行為を正義として納得したわけではない。先生が、先生であることに、納得したのだ。

 今の私は何の権限も無い。先生を裁く権限も、許す権限も。同時に、何の責任も無い。私が先生を裁かないことが、悪にならない。何故ならその権限は私には無く、この事実は私には隠されているのだから。

 ずるい言い分だということは自覚しているけれど、私には自分自身を納得させられる答えが導き出せなかったのだ。

 いつか、私は領主として先生を法的に裁く日が来るのかもしれない。そうなってしまえば裁く他ない。けれど、今は未だその立場になく、先生に縋る声が聞こえてしまえば、先生を悪と言う気にもなれない。あの人達は、何の罪を犯していなくても、先生が居なければ傷付くのだ。法の不便さを勉強している気になる。私は旅を終えるまでに、この件についてもきっと答えを出さなければならないのだろう。ともすれば、おばあ様は分かっていて、課題として私に与えている気もする。だとすればおばあ様の『領主としての責任』はどうなるのかと言う話にもなるが、それこそ私はそんなことを言える立場ではない。


「――ヴィオランテ、先に食べていなさい、私は祈りを捧げてから頂くから」

 食事の前、先生は必ずそう言ってくれるので、私は気を遣わせることのないように先に食べ進めることが多い。今日も例に漏れず、周りに魔物の気配が無いことを確認しながら、先程作ったサンドイッチを頬張る。今朝発った村で調達したハムが思いの外、美味しい。すぐに先生に伝えたくて顔を上げたけれど、まだお祈り中だった。咀嚼しながら静かに待つ。

 私は、先生の信じる神が嫌いじゃない。時々先生が『神の教え』『導き』を呟くけれど、どれも素敵なものだと思っていた。存在するかどうかなど分からないし、それを心から信じているわけではない。でも、本当にそんな存在が居るのならすごく素敵だと思うし、少なくとも、先生の語る神の教えは、人に広く優しい。

 先生がお祈りを終えてサンドイッチを手にすると、ハムについて感想を告げることをすっかり忘れて私は口を開く。

「先生の信じる神様は、同性愛を許しますか?」

「……私の神について初めて質問したと思ったら、それなのか」

「あまり聞かない方がいいのかなって思っていたんですが、これは死活問題なんで」

「そうかなぁ」

 この世界には神が無く、宗教が無い。だから教育課程の中で『宗教』そのものを特別取り上げない。ただ、ファーストにはいくつも存在していたということもあり、ファーストの歴史として少し触れられている。よって『宗教』というものの概念は理解していて、それぞれに特有の禁忌があったことも知っていた。例として、特定の獣の肉を食べることや、同性愛や、自殺などが挙げられていたように思う。

「確かに、ファーストの宗教では同性愛を許さないものは多く存在していたと言われているね。この辺りは、歴史でも少し触れられたかな」

 私は真っ直ぐに先生を見つめながら頷く。先生は少し考えるように首を傾けた。

「私の信じる神において、そのような教えは聞かない。だが、私の神は、父が信じていたものを受け継いだだけのことでね。細かな教えは、父が死んでしまって失われた可能性もあるんだ」

「教典のようなものは、お持ちではなかったんですか?」

「……そうだね、残っていなかった」

 答えるまでに先生は少し沈黙を挟んだ。これ以上の詮索は、おそらく控えた方が良いだろう。先生のご両親はもう亡くなっていると聞く。予見された死なんて多くない。亡くしてしまった人について分からないことを突き詰めるのは酷なことであると思った。私は自然と逸らすべき話題を探していた。けれど、先生が少しだけ言葉を続けたから、思い出したハムの話を飲み込んだ。

「父の死後、母にそれを聞くことも躊躇われてね。母は、父の信じる神に興味の無い人だかったから」

「そうなんですね」

 否定をするようなことも無かったそうだけれど、先生のお父様と先生が祈りを捧げる中、先程の私と同じように先に食事を進めていたようだ。お父様がそれを許していた為、先生もそういうものだと理解して、祈らない他者を咎める気持ちを持つことは全く無かったという。

「母はいつでも穏やかに微笑んで私達を見ていたから、母が例え神を信じていなくても私は構わないと思っていた。父も同じだったのかもしれないな」

「優しいお母様ですね」

「そうだな、そう思うよ、ありがとう」

 教典について私が問い掛けた時に少し曇った先生の表情は穏やかな色に変わっていてほっとする。話はそこで途切れ、あまり時間を掛けず食べ終えるようにと先生に促されて、私は黙々と食べた。今居る場所は街の中の食堂ではなく、野外だ。いつ魔物に襲われるとも分からない。食べられる時に、きちんと食べておかなければ。

「さて、そろそろ行くよ」

「今日はこのまま川沿いに進んで問題ないんですよね」

「ああ」

 そう話しながら地図を広げる。私達が元々住んでいたコンティ家の領地は、王都の真南にある。この旅は国内を巡った後に国外を訪問する予定となっているので、今は王都を時計回りに迂回する形で回っている。つまり大雑把には王都の南側から西側に向かっているのだが、王都から見て真西に到達するにはまだまだ掛かりそうだ。

「次の街は山菜の素揚げが有名だ。私も食べたことがあるが、あれは本当に、他では味わえない」

「ええ~、食べたばっかりなのに、お腹が空きそうな話ですね!」

 私の反応に先生は満足そうに笑う。目的地は豊かな山沿いにあり、果物と山菜が名産だと話してくれた。山とは逆側に位置する隣町から質の良いオイルも手に入る為、山菜の素揚げが有名となったようだ。

「塩も美味しいんだよ、その街の少し北にある海沿いの街から送られているんだろうな」

「早く食べたいです! あっ、そうだ、さっきのハムすごく美味しかったですね!」

「ああ、味が濃いけれどしつこくなくて、塩分も絶妙だったね。もっと買えば良かったかな」

 言いそびれていたハムについてようやく思い出して口にすれば、先生も大きく頷いた。常温で持ち歩くには干し肉ほど長持ちしないので、あまり多く買わなかったのだ。本当に惜しい。こんな気持ちを、きっと先生の言う『山菜の素揚げ』にも味わうに違いない。美味しいものを食べることが出来る喜びと、それが頻繁に楽しめるものではないという苦しみが同時に押し寄せる。こんな長旅、立場を思えば成人の儀でしか出来ないのに。コンティ家の領地に輸入ルートを作るしかない。新鮮さを保つ方法、この旅で考えてみよう。熱心にそんなことをメモしていれば、覗き込んだ先生が声を上げて笑った。

「それはいいな。私も恩恵にあずかれるかな?」

「勿論です! 先生はずっと私と一緒ですから!」

「そうだったかな、どうだったかなぁ」

「一緒ですよ!」

 言い張る私に先生がいつまでも楽しそうに笑っている。契約上、先生の『教育係』は私が二十歳を迎え、故郷に帰還する日までとなっている。手続きの為に数日くらいは猶予があるだろうけれど、私がコンティ家を継ぐ日まで、先生を私の隣に繋いでいる契約は何も無い。しかし結婚さえすればそれが新しい契約となる――いや意味が全く異なるが――はずなので、私が言い張っているのはこの点だ。先生はそれが分かっていて、揶揄からかって、笑ってくれている。

「お前の頑張り次第では、アデル様も私を継続して雇って下さるかもしれないな」

 結婚の話はさらりと流されているけれど、先生はそう言った。おばあ様は、決して先生を無為に解雇などしないだろうし、出来ればずっと先生を見守っていたいと思っているだろうから、私の頑張りはともかくとして継続は大いにあり得る。ただ、私の頑張り次第という言葉はとても好きだ。

「がんばります! 絶対、傍に居てもらいますから!」

 どちらの意味でも。そういう含みに気付いたか、先生は器用に片眉を上げると、苦笑して肩を竦めた。


 優しい先生の信じる神はきっと優しい。信じない私のことは少しも守ってくれなくて構わないから、優しい先生のことは、沢山守ってくれたらいいなと願う。

 これ以上、先生に傷付かないで、痛まないでいてほしい。私もいつか先生の行いに対する答えを見付けなければならないけれど、私が選ぶ答えが、ほんの少しでも先生を救い、傷付けることのないものであればいいのに。都合のいい願いだけれど、旅が始まったばかりの今はまだ、そんな夢を見ていたいと思った。

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