第4話_為政者の卵

 ドウォールへの道程は順調なものだった。予定通りに三日で到着し、天候はずっと落ち着いていた。魔物の数も想定の範囲であり、ヴィオランテも大して疲れた様子は無い。だが、彼女は街が見えた瞬間に幾らか緊張の表情を浮かべた。

「約束の日までにはまだ二日あるよ、ヴィオランテ」

 見兼ねてそう言えば、ヴィオランテが照れ笑いを浮かべる。

「へへ、そうですよね。つい」

 余程、領主との面会が憂鬱であるらしい。初対面の人間に対してもあまり物怖じせず話すヴィオランテであるから、その様子はどうしても意外に映る。この旅に対する気負いであるのか、たった一人であることの重圧なのか。いや、私も同席するのだけど。

 何にせよ約束は無事に守れそうだ。宿を取り、丸一日しっかりと休息。そして二日後、丁寧に身だしなみを整えた上で、領主の家へ訪れる。全てにおいて、一切問題は無かった。ヴィオランテは緊張をしている様子がややあったものの、特に指摘すべきところの無いしっかりとした挨拶。

 公式の場での振る舞いについては、小さな頃から厳しく教えられているのだろう。出会った頃から彼女には指導すべきと思う点が無かった。失態らしい失態は、私と出会った日に暴走して、それきりだ。

 にこやかな領主に見送られて屋敷を後にすれば、小さな溜息がヴィオランテから零れる。

「緊張したか?」

「そうですね、多少は。ただ、私、その……あの方が少し、苦手なんです」

「なるほど」

 屋敷から少し離れ、周りを気にしつつヴィオランテが呟いた言葉に納得する。どうやらヴィオランテが抱いていた不安は、緊張とは違うものだったようだ。領主という立場である相手へ挨拶をする緊張ではなく、他の誰でもなく、あの方個人とお会いすることに幾らかの不安と憂いがあったらしい。

「大事なくお話し出来ていたと思うけどね。一体どうして苦手なんだ、何かあったか?」

 私の知らない頃、または知らない場において良くない思い出でもあるのかもしれない。そう考えて問い掛けたが、ヴィオランテは首を横に振った。

「特に何があったということではないんです。ただ少し考え方が異なっていて、時々、話が噛み合わないので」

 しかし向こうはそれを理解しておらず、ヴィオランテの戸惑いにも気付く様子無く話が進む為に、ヴィオランテ側にだけ、いつも違和感が残ってしまうとのことだった。私は再び「なるほど」と呟き、彼女らの会話の様子を思い出す。普段より幾らか小さく見えたヴィオランテと、のんびりと笑みを浮かべて話す高齢の男性。

「お隣なのでこれからもお付き合いがありますから、上手く対応していかなければと、多分、考えすぎてしまっているだけだと思います」

 彼女なりに己の感情を分析し、折り合いを付けようとしているヴィオランテに、私は首を傾けた。

「ふうん、……どうだかな」

「え?」

 私を見上げる瞳は、いつも湛えている強さを何処かに押し隠している。『お隣』であり、『最初』の課題。それがこの状態では、この先の課題、延いては彼女の未来への暗雲であるように、ヴィオランテは感じているのだろう。アデル様も人が悪い。きっと彼女ならば知っているのだろうに。『最初』として設定するには、此処の領主は

「私には、あの人は狸に見えたよ」

「狸……?」

 首を傾けているヴィオランテには、私の言わんとすることがまだ飲み込めていない。それを認識しながらも、私は言葉を待ってやらなかった。

「賢い者が、常に理詰めで相手を動かすと思わないことだ」

 じっと私を見つめ、ヴィオランテは答えを探そうとしていた。しかし私の顔に答えは書かれていない。ふっと微笑むだけに留め、答えを差し出すことはしない。

「気を付けることだな、ヴィオランテ。上手く食われてしまうよ?」

 それだけを告げ、私は前を向いた。ヴィオランテはまだ私を見上げているけれど、それを待ってやるつもりも無い。今すぐに答えが必要であるようにも思えない。またこの地へ戻る日までの宿題と言ったところだろうか。

「さて宿に戻ろうか。次の移動の準備をしなくては」

「あ、はい」

 戸惑いを残す声が慌てた様子で先を歩く私を追いかける。もうこの街に用事は残っていない。次の街へのルートを確認し、準備を整えたら明日にでも次の街へと出発することになるだろう。

 しかし、そう思っていたところ、宿で聞いた話に、私達は少しの予定変更を視野に入れた。

「嵐ですか」

「ああ、これだけ大きな街の予報士が言っているのだから、信じた方が良いだろうね」

 明日は嵐が来るとのことだった。明後日には落ち着く、もしくは過ぎ去ってしまうと予想されている為、強行するほどの足止めではないだろう。安全の確保を優先するべきだ。準備だけは今日中に済ませ、大人しく嵐が過ぎるのを待ってから、明後日に出発するのが賢明と私達は結論付けた。

「今までは真っ直ぐ北上していたが、明日からは西へ向かうよ」

「はい、次はこの街ですね。……この道は山道ですか?」

「そうだ」

 順調に行けば一日で小ぶりな山を越え、次の街までも辿り着ける予定になるが、今までと比べれば格段に道は険しい。

「でもこれから先、もっと長い道のりで、もっと険しい道も出てきますもんね」

「そういうことだね。丁度いい練習だと思おう。まあ、嵐は避けるけれど」

 スケジュールを決めた後、明日の嵐までに準備を整えるべく二人で市場へと出れば、旅の用意をしている私達の様子を見止めた店主が、親切に声を掛けてくれた。今度は嵐とは異なる、新しい不安要素だった。

「お姉さん方、今、あの山を通るのは危ないよ、異常に魔物が増えているんだ。南に少し行けば迂回できる。距離はあるけれど、それがいいよ」

 私とヴィオランテは一度顔を見合わせて、教えてくれた店主に丁寧に礼を述べた。

「……気になるな、準備を進めながら、少し話を聞いてみようか」

「はい。手分けしますか?」

「そうだね。じゃあ、薬の補充を頼む。私は食材を見てこよう」

「分かりました」

 二人で色々と聞いて回ったところ、先程の店主が教えてくれた話はどうやら事実であるらしい。山の魔物が近頃急に数を増やし、狂暴化している。それによる負傷者は多く、既に死者一名、行方不明者も二名出ているとのことだった。何処で話を聞いても、南への迂回を進められた。

「どうしましょう、先生」

「死者まで出ているとなると、迂回が賢明そうだな。そうなると道程が長くなる、準備は一日分では足りない――」

 私は言葉を半ばで止めた。突然、広場が騒がしくなったのだ。そちらへと顔を向ければ、人だかりの隙間から様子を窺うことが出来た。

「先生」

「様子だけ見に行こうか、突っ込むなよ」

「……はい」

 以前立ち寄った街で起こった騒ぎとは違い、私は先んじてヴィオランテを宥めた。どうやら、あの時のような『明らかな善良市民』と『絵に描いたような悪漢』の揉め事ではない。従順に頷いた様子を見ると、ヴィオランテも察しているようだ。

 広場には、囚人として縄を掛けられた五名の男性が居た。そして彼らに縋るようにして泣いている子供や女性の姿もある。だがそれに同情的な目を向ける者は少ない。

「刑は理解しています、せめて、日程を」

「規則は規則だ!」

 漏れ聞く話によれば、囚人である彼らはどれも初犯の軽犯罪者であり、その刑に『隣町まで大きな積み荷を運ばせる』というものがあるらしい。無事に運び終えれば刑を服したものとし、不備があれば刑期を伸ばして収監するとのことだ。これはこの領地独自の法であり、コンティ家が治める領地では聞かない。囚人達を収監するのも安くはないことから考えられた工夫なのだろうし、それ自体は悪くないとも思える。ただ、不運が過ぎる。次の執行は明日と決まっているらしい。私達も延期を選択したほどの嵐の中、異常に増えていると言われる魔物の数を知りながら進むことは、死刑に相当する。

 今日は該当者の発表の為だけに広場へ連れてきたようだが、己の家族が不運を引き当てたことを知った者は泣き崩れ、許しを乞う一方で、周りの者は「当然の報いだ」と野次を飛ばしている。

 当然と言うのも確かに、分からなくもない。彼らは罪人だ。そもそもを言えば、罪など犯さなければ良かっただけの話だ。不運を引いたのであればそれが彼らの運命。神がそうであるようにと導いたのだろう。そう思う。しかし、――ならばどうして此処にと考える。それすらも、神の導きであるならば。

 そう考えてから、私は緩く首を振った。今、私はヴィオランテの付き添いとして旅をしている。そして此処は、コンティ家が治める領地ではない。領地外の『法』に無闇に触れるべきではない。

「我慢できるか、ヴィオランテ」

「はい」

 私の問いにはっきりと答えたヴィオランテは、燃えるような瞳で騒ぎを見つめていたものの、声を上げることも、表情を変えることも、当然、行動を起こすことも無かった。ヴィオランテはまだまだ子供な部分が多く、おそらく生来、暴走しやすい。けれど為政者となるべく育てられてきたせいか、今此処に立つ己の立場を良く理解していた。囚人らが再び牢へと戻され、警備隊が騒ぎを収拾すればもう、そこは何事も無かったかのような広場へと戻る。

「……私達は、市場へ戻ろうか」

「はい」

 表情の無いままのヴィオランテが頷いたのを確認して、市場の方へと歩く。しばらくは互いに言葉も無く沈黙が続いていたが、不意に足を止めたヴィオランテに応じて、私も足を止めた。

「先生、出発を、当初の予定通りにしませんか」

 私を見つめてくるヴィオランテの瞳を、少し目を細めて見つめ返した。

「日程と、ルートについて言っているか?」

「はい」

「死者をも出ている魔物だらけの山道を、悪天候で?」

「そうです」

 迷いの無い瞳が私を見上げている。私がどれだけその目を見つめ返しても色が変わることは無く、迷いを帯びる様子も無い。視線を逸らしたのは私の方で、それは退いたということではなく、笑ってしまうのを押し隠す為だった。

「悪あがきの策だな。ああ、しかし、悪くない。加点しよう、ヴィオランテ」

 ちらりと戻した視線の先、ヴィオランテは目を丸めている。私はそれにはしっかりと顔を向けて笑みを返した。

「それなら、当初以上に準備を万全にしなければいけないよ」

「はい!」

 私の同意をようやく飲み込んだ様子で、ヴィオランテの瞳がきらきらと光る。零れた笑みに喜びを読み取るが、私達が挑むことは笑みを浮かべられるほどの難易度であるとは思えない。

 私達は部外者であり、この領地の法に口を出すことは出来ない。何より、『囚人を刑から守る』なんてことは、例えコンティ家の領地内であっても出来るわけがない。彼らは罪人なのだ。しかしそれでもヴィオランテは見殺しに出来なかったのだろう。そうして、せめて魔物を『減らす』策を選んだ。一緒に行くわけではない。先行して同じ道を出発するだけだ。つまり全ての魔物を払ってはやれない。だからこそ、案だと私は思う。罪に対して、正しい重さの罰を。彼らの道程は辛いものであるべきだ。正しく危険であるべきだ。しかし、過度でないようにと願った、そんな策だと思った。

 私達が危険を冒す義理は無いにせよ、居合わせたことは縁だ。――私ではなく、ヴィオランテという娘を此処に導いた神がそう願うのなら、私はこの役目を果たそう。

 そして準備を万全にした状態で、私達は嵐の朝を迎えた。目覚めた瞬間から聞こえる強い風の音と、窓を叩く雨の音。早速ながら大歓迎なものだと少し笑う。

「眠れたか?」

「はい、問題なく」

 ヴィオランテが私より先に目覚めるのはほぼ毎朝のことだ。しかし明らかにいつもと違う緊張感を纏っている彼女を見れば、眠れなかったのではないかと懸念した。返事はそれを否定し、不調であるようには見えないが、多少、不安ではあるだろう。

「先に言っておくが、お前だけでは実行できない案だよ、これは」

 ベッドから立ち上がってそう声を掛ければ、カーテンの隙間から外を窺っていたヴィオランテが振り返る。

「私が居るから実行できるんだ」

 彼女が言い出した案は明らかに私という力に頼った、他力本願にも近い案だ。彼女自身も危険な場所へ身を置くのだから、過言ではあるけれど、一人でまともに戦えない彼女では到底超えられない道であることには違いない。もしも彼女が一人で実行するなら、犠牲が一人増えるだけで、誰の助けにもなることはない。

「……はい、理解しています」

「つまり、だ」

 返事は予想通りだった。ヴィオランテが理解しているだろうことを私も分かっている。だから敢えて今、言いたかったのは。

「私が居るんだ、何も心配いらない」

 ヴィオランテは大きく目を見開いて、私を見つめた。その視線に応えてやることなく、軽く身体を伸ばして眠気を飛ばす。命懸けだ。危ない策だ。しかし私が居る以上、ヴィオランテに命を懸けさせないし、失敗させるつもりもない。

「さて、準備して行こうか」

「はい!」

 言わんとしていることが伝わったらしく、ヴィオランテの声は明るいものに変わっていた。それはそれとして、私はまず寝惚けた目を起こさなければならない。洗面所へと向かい、早朝の冷水で、ぼやけた顔を叩き起こした。

 宿を出れば、目覚めと同時に感じた通りの強い雨が降っていた。山の方を見れば真っ白で、その形すら曖昧だ。此方よりずっと酷い雨が降っているのだろう。街を出るまでに広場を通ることは無かったが、遠目に見れば荷の準備が始まっていた。罪人の姿はまだ無いようだったけれど、やはり例外無く、刑は執行されるようだ。ヴィオランテも私と同じく、広場の様子を一瞥していた。

 街を出て山道に至るまでは、不自然とも思えるほど魔物の影が無かった。しかし山道を進めば異界にでも迷い込んだかと思えるほどに魔物が現れ続けた。

「本当に多いな、引っ切り無しだ」

 剣を抜いてから、一度も収めていない。その暇が無い。屠っては現れ、またそれを屠るの繰り返し。気性が荒くなっている様子はあれど、それぞれは強い魔物ではない。ただただその数が多い。これは慣れない者であれば足場の悪さも相まって、疲れが蓄積されてしまい、峠を越えるまでに餌食になる可能性は高いだろう。

 横目でヴィオランテを確認すれば、体力的にはまだ問題は無さそうだが、雨によって五感が利き辛いことで時々反応が遅れてしまって慌てていた。私は悪天候での戦場も多く経験があるが、ただでさえ戦いそのものに慣れていないヴィオランテにこれはきついだろう。とは言え私も、出来れば雨じゃない日に戦いたい。雨が煩わしいことには変わりない。ただ、今回だけは一つの例外を見付けていた。

「綺麗だなぁ」

「え、な、何です? 今、声が聞き取りにくくて!」

「何でもないよ、ヴィオランテ、右からも来ているからね」

「わっ、と!」

 ヴィオランテが剣を振るう度、雨が弾かれて立ち筋がよく見える。それがまるで昼の空に浮かぶ白い三日月のようで、横目で見ながらも美しいものだと楽しんでいた。本人は勿論そんな余裕は無いだろうが。また三日月が二つ、ヴィオランテの身体を囲うように浮かび上がって、魔物にぶつかっていた。

「……少し、減ったか?」

「そうみたいですね、気配が無いように……思います」

「一度休もう」

 戦いながらも足を止めること無く進んでいれば、頂上付近で魔物の出現が止まった。周囲を警戒しながら木陰に入ると、近くの木々を使って手早く布を張り、突貫の雨宿り場を作る。身体を拭いたところでどうせまた濡れるのだからその辺りは適当にして、私達は軽食を取り出した。取り急ぎ、水分と栄養を補給しなければ、次がいつになるか分かったものではない。

「真っ当に休憩は出来そうにないが、体調はどうだ?」

「問題ありません。山を下りるまでは保つと思います」

「上出来だ」

 顔色を見る限り、強がりでもなさそうだ。多少は深い呼吸を繰り返していたものの、肩で息をするほどの疲労を見せていない。身体が丈夫で体力があるというのはそれだけで、十分な才能だと思えた。

「それにしても、異常な数の魔物だな、迂回を勧められるのは納得だよ」

 幸い、食事の邪魔をされることは無く、今も辺りにその気配は無い。しかしつい先程までは無尽蔵と思えるほどに現れていた。魔物に正しく生態系があるのかは知らないが、あんなに存在していてはどれだけ豊かな森であっても食糧が持たないだろう。それこそ、魔物が何を食べているのか、食事すら必要なのかも知らないので、詮の無い考えだけれど。

 何にせよ、このように魔物が急増する現象について、少し調べておいた方がいいかもしれない。今後も同じような現象に遭遇する可能性もある。詳しく情報を得ておくべきだろう。

 ――そこまで考えて、先程の言葉に対してヴィオランテからの相槌が無いことにようやく気付いた。答えを必要とする言葉ではなかったにせよ、彼女に限って言えば、何も返してこないのは違和感があった。

 視線を向ければ案の定、彼女は私ではなく明後日の方向を見つめて、難しい表情をしている。しかしその視線は一点には留まらずに、何かを探すように彼方此方あちこちを彷徨っていた。

「ヴィオランテ?」

「……変な臭い、しませんか」

「臭い?」

 眉を顰め、私も嗅覚に集中してみたが、雨の臭いしか分からない。

「私には……」

 分からない。そう答えようとしたところで、ヴィオランテは息を呑んで、剣を握った。

「近付いてる気がします!」

 その言葉に私も剣を引き抜き、互いの背を合わせて辺りを警戒する。やはり辺りには何の気配も無い。いや、考えてみればそれこそが違和感だ。つい先程まで異常なほどに現れていた魔物が、一体も姿を見せないだなんて。

「来たな、なるほど」

 近付けば、はっきりとその異臭は捉えることが出来た。ヴィオランテは目だけではなくて鼻も常人のそれではなかったらしい。のんびりとした足取りで真っ直ぐに私達へと歩いてくる魔物。それが持つ体躯は、私の二倍はありそうだ。

「これには手を出すなよ、ヴィオランテ、お前には無理だ」

「でも」

「ただ、小さいものは全部任せる。出来るな?」

 その魔物の後ろから、先程は影すらも確認できなかった小型の魔物達が姿を出した。私達の後ろからも何体かの気配がある。ヴィオランテはそれらを目で一つずつ確認するように視線を動かすと、強く頷く。

「はい。先生には近付かせません」

「よろしい」

 私は剣を握り直すと、一息で大型へと距離を詰め、煽るように軽く斬り付けて離れる。ヴィオランテから離すべく誘ってやれば、それは容易く私の方を標的とした。その動作はあまりに遅い。大型である為か、この魔物の特性かは定かではない。しかし、それが軽く腕を振るだけで、近くにあった木がなぎ倒された。

「はは、受け止めるのは無理そうだね」

 口元に笑みを浮かべる。視界の端では、ヴィオランテが懸命に他の魔物を相手に戦っていた。彼女の居所を知らせるように沢山の三日月が咲いていて、後で少し褒めてやらないといけないなと思う。

 穏やかに笑っていた私へと、大型はその太い腕を振り下ろす。しかし、私は避けようとは思わなかった。

「斬ってしまえば関係ない」

 三等分にした腕が地面に転がり、私にその腕は掠りもしない。汚い雄叫びを上げながら、魔物は更に私へと襲い掛かってくる。魔物にも、真っ当な痛覚はあるようだ。興味は無いけれど。それが覆い被さろうとするのを待つことなく跳躍し、その肩に右足を置く。

「お前のような大きなものはあまり見ない。忘れないでおくよ」

 肩に乗る私にまるで憤るようにそれは暴れたが、足場が揺れるより先に再び跳ぶ。宙に居る私へと振るわれた腕もまた同じく均等に三等分にした後、私はそれの急所を見極め、真っ直ぐに貫いた。

「――先生! 怪我はありませんか!」

 大型が地面に伏したのを見て、ヴィオランテが大きな声で叫ぶ。少し離れた位置まで移動して戦っていたらしく、その姿がよく見えないが、辺りの魔物はもう動いている様子が無い。どうやら、一人できちんと処理したようだ。

「無いよ、ヴィオランテも無事か?」

「はい、流石に少し疲れましたが、何とか」

 駆け寄ってきたヴィオランテと共に再び辺りを確認するが、残党は無く、新手の気配も無い。

「戦えるようになってきたな、ヴィオランテ」

 労うように軽く頭を撫でてやれば、珍しく少し照れ臭そうにヴィオランテが笑った。

「むしろこの雨は良かったかもしれません。普段つい使ってしまう視覚に頼れないので」

「ああ、何か分かったか?」

 目を探してしまう癖はおそらく彼女が稽古を始めた頃からずっとあるものだろうから、どれだけ意識をしても取り除くことは難しいと思っていた。そういう意味では今回のこれは、荒療治ではあるが良い稽古となったと言う。

「先生のように初見で斬るのは無理ですが、動きのパターンを読むようにすれば何とか」

「なるほど。まだまだ改善の余地はあるが一歩前進だな。晴れた日にもまた見せてくれ」

 一戦した後であるから休憩させてやりたい気持ちもあるけれど、この場所には留まり過ぎた。せめて少し移動した方が良いだろう。ヴィオランテの体調を軽く確認した後、荷物を回収して先を進む。すると、その先の道ではほとんど魔物とは出会わなかった。

「……やはり、あの大型の影響だったかな」

「どういうことですか?」

「特に大きな魔物というのは、他の魔物を寄せ付けることがあるそうだ。あそこまで大きいものなら、異常な多さにも説明が付く」

 どういう原理であるかは全く解明されていないらしいが、そういうことが起こるという現象だけは、噂で聞いていた。実際に見たことも無ければ、あそこまで急増する話も聞いたことは無いけれど、今回のケースはそれにあたるのかもしれない。

「じゃああれを倒したことで、他の魔物は移動したかもしれないんですか?」

「そうだな、少なくともこの山に留まる理由は、失った可能性がある」

 魔物の増加は山全体に起こっているという話だったので、先程と比べて極端に減少したのは偶然ではなく何らかの理由があるだろう。そしてそれがあの大型である可能性は大いにある。

「……街の方へ、流れないといいですが」

「それも考えられるね。まあ、どの町にもそれなりに警備隊はある、一か所に集中しない限りは、あの程度の強さであれば問題ないはずだよ」

 すぐに周囲の街へ意識が向くのは、為政者としての意識の高さか、彼女自身の優しさか。何にせよ、そこまで私達だけで背負うべきことではない。

 山を下り、平野へ出てしまえば雨は小雨に変わった。それでも降っているのだから濡れるのだけど、私達は一度タオルで水気を取る。特に髪や顔は濡れれば濡れるほどに戦いで邪魔なのだ。はあ、と顔を拭いた後に安堵の息を吐けば、隣のヴィオランテがくすくすと笑っていた。

 それから半日ほどで、無事、次の街に到着できた。積み荷を運んでいる罪人達の姿は此処からは確認が出来ない。しかし私達は、出来る限りのことをした。それ以上はやはり過度になる。振り返っていたヴィオランテも分かっているのだろう。私が声を掛けるのを待つことなく前を向いた。

 罪人達の無事を確認できたのは、宿を取って休んだ翌朝だった。全員、五体満足で荷を届けたとの声が宿の外から聞こえた。到着は深夜だったようだが、魔物の数は普段と変わらなかったと言っていたらしい。

「上手く行って何よりだ」

 ヴィオランテが願った通りの結果となり、私も胸を撫で下ろした。おそらく彼らは魔物が散った後で、山道に至ったのだろう。思い通りに行かないことはこれから必ずあるだろうが、それだけではつまらないものだ。最初の『無謀』に結果が伴ったことは幸いだ。私の言葉に同じくほっとした様子で頷いた後、ヴィオランテは笑みを深めて此方を見上げてきた。

「そういえば加点して頂いたんですよね」

「ああ」

「加点のご褒美とか!」

 間髪入れずに「減点」と言ってやりたくなった。その言葉は何とか飲み込んだものの、呆れた思いを表情にそのまま出し、溜息を一つ。

「調子に乗るな。普段どれだけ減点があるか」

「そうでした……」

 ヴィオランテは大袈裟に肩を落としているが、普段、私の口からは毎日のように「減点」の言葉が出ているのだから、帳消しにも程遠い。とは言え、きちんと褒めてやるのはやぶさかではないと思った。確かに今回はよく頑張っていた。もしも彼女なりのささやかな希望があるのであればと、消沈しているヴィオランテを横目で窺う。

「もし貰えるなら、何が欲しかったんだ?」

「え、うーん、……やっぱり婚前交渉ですかね」

「思った以上に図々しいな」

 前言撤回だ。「減点」の言葉を今日二度も飲み込んでいるだけでもう今回の加点は帳消しでいいとさえ思える。ヴィオランテの髪を乱す勢いで頭を撫でて、朝食の為に部屋を出た。慌てて私を呼び止めているヴィオランテだが、部屋の戸締りを押し付けたので追い付くのは早くても一階に至ってからだろう。

「……褒美ね」

 婚前交渉は無いとして。私は少しだけ首を傾ける。

 剣の腕も、為政者としての心持ちも、少しずつ成長をしていくヴィオランテを一番近くで見ていられるこの旅は、私にとっても贅沢なものであるように思えた。

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