第24話
そして巨大乳牛という強敵さえ、いとも容易く倒してしまった朝倉と共に、俺たちは本格的に草原を進み始めた。
「なんだかいよいよファンタジーの世界を冒険し出したな、俺たち!」
「どこがだ。ボクはファンタジーの世界に巨大な乳牛がいるなんて聞いたことがないぞ」
なるほどな。俺が超異界に慣れすぎて、感覚が麻痺していたのかもしれない。
しかし藤原が出てきた以上、朝比奈さんがいつ出てきてもおかしくはない。
「ふええ~」
な。早くも聞きなれた「ふえ~」が聞こえてきたぞ。
「よし、声がする方に行ってみよう」
藤原と同じように無能力に等しければ、何もわざわざ朝比奈さんを探す必要はないかもしれない。
でも、なんとなくスルーしてはいけないほどに「ふえ~」が聞こえてきた。
だから俺たちは朝比奈さんに会うのだ。
☆
「あ、朝比奈さん?」
「ふええ~」
草むらでしゃがみこんでいるので良くは分からないが、やはり朝比奈さんのような気がする。
「朝比奈さん。何があったんです?」
「ふぇ……あれ、キョンくん?」
朝比奈さんに事情を聞くと、どうやら道に迷って絶望し泣いていたようだ。
「俺が来たからには、もう安心です。ほら、朝倉と九曜、それに藤原だって……」
「ふええ~。悪い人ばっかりです~」
「はっ、確かにそう受け止められても……あ、朝比奈さん。待ってください!」
朝比奈さんは物凄い速さでどこかに走って行くつもりらしかったが、盛大にお転びになられた。
まあ、草むらで全力ダッシュしたらそうなるわな。
☆
こんな時、俺は朝比奈さんになんて言うのが正解なんだ。
そりゃ、ここが超異界である以上はこの朝比奈さんも神人なんだろう。
でも、一応は朝比奈さんなわけだから最低限、何か言うべきだよな?
「あの、朝比奈さん」
「ふええ~」
あらら。ふえ~状態、再びか。
「落ち着いてください。さあ、ひっ、ひっ、ふう~」
まさか現実での朝比奈さんの非常識がこんな場面で役に立つとはな。
まあ役に立ってるかは知らないけど、なぜか朝比奈さんが落ち着いてきたのを見る限り、こっちの朝比奈さんもラマーズ法に縁があるらしい。
「――呼吸――大切」
うん、そうだな九曜。
そうだけど、いや、確かに呼吸は大切だ。
☆
やれやれ。
全く、一体全体どうして俺は超異界の草むらでラマーズ法をやる羽目になったんだっけ。
「ひっ、ひっ、ふう~。ひっ、ひっ、ふう~」
「ひっ、ひっ、ふう~。ひっ、ひっ、ふう~」
俺のラマーズ法に続いて朝比奈さんのラマーズ法が発せられた。
なにこれ。確実に常軌を逸している構図なのに変な安心感がある。
ラマーズ法、末恐ろしいな。
「はわ~、なんだか気持ちがしっかりしてきました。キョンくん、ありがとう」
「いえ、とんでもないです」
ま、何にしてもメンタルが回復したのなら何よりだ。
そこらでは藤原や朝倉が思い思いにストレッチや筋トレをしていた。
やたら平和だな。
☆
「ぶも~」
うん?
なんだか急に朝比奈さんの声が野太く……。
「キョンくん、伏せて!」
朝比奈さんに言われたように、俺はうつ伏せになった。
すると、肉牛であるジャージー牛が俺の上をだっだっだっと重厚なステップで通り過ぎて行った。
つまり、ジャージー牛も乳牛並みに巨大なのだ。
うつ伏せでは分からなかったが、顔を上げて見ると少し離れた所に巨大ジャージー牛の後ろ姿が見えたので、俺にも何が起きたのかはやや遅れてではあるが分かったのだ。
「――牛肉――発見」
まだ食うのか、九曜。
☆
九曜はジャージー牛の元へと飛行して行った。
「――、――」
九曜がまた何か言ったような気がしたが、やはり空中だと遠くて聞こえない。
だがその直後、眼前のジャージー牛は完全に骨も残らず消滅した。
九曜が発したエネルギーの塊は、巨大牛を消し去った上に大きなクレーターを生成した。
そう。それはまさにクレーターと呼ぶにふさわしい掘削度だ。
「やり過ぎたな、九曜」
しばらく九曜は宙の一点から動かなかった。
つまり、案の定やり過ぎたのだろう。
「ひいい、ひいいい」
朝比奈さんは草むらでしゃがみこんで、今度は怯えだした。
まあ、確かに冷静に考えればあんな離れ業を見せられたら、誰でもビビるわな。
☆
「朝比奈、大丈夫か?」
「朝比奈さん、あなた無茶しすぎよ」
藤原と朝倉が朝比奈さんに駆け寄ってきた。
無茶しすぎかどうかは疑問だが、朝比奈さんって思わず人が優位に立ちたくなるような何らかの属性を持ってるからなあ。
「うっうっ。す、すみません皆さん」
謝っちゃたよ。
なんだか朝比奈さんらしいと言えば、らしいけど。
「朝比奈さん、お怪我はありませんか?」
「うっうっ。キョンくん、キョンくん」
今にも抱き絞めてきそうな朝比奈さんだが、俺は朝比奈さんの恋人ではないので全力で後退した。
「うっうっ」
「――ケラ――ケラ」
何を思ったか、しかしあるいは的を得た態度の九曜に俺は感心した。
☆
「朝比奈さん。この草原でヤバいのはああいった巨大な牛です。今は朝倉も九曜も藤原も味方なんですよ」
「へっ、ほ、本当に?」
朝比奈さんはキャピキャピと喜び出した。
うん。なんか知らないけど良かったんだよな、これで。
「あ。でもお、私、行かなくちゃ」
なんでも「未来という名の牧場」という牧場に用事があるらしい。
「牛の組織には頭が上がらないんです~」
なるほど。売買思念統合体の次は牛の組織か。
順調にネーミングが雑になってきたな。
「じゃあ、残念ですが俺たちとはお別れですね」
おそらく牧場に用はないよな、という判断だ。
「ふえ~。牧場まで守ってくれないんですか~?」
「いやあ。TPDDでなんとかなるなら、それでお願いしたいですけど」
「うっうっ。それを言うならTPDDじゃなくTPPです~」
どうやら俺は未来の単語っぽい物を言い間違えてしまったようだ。
☆
「えっとお、TPまでは合ってると思うんですよね」
どうやらTPPとやらでもないらしい。
「TCP―IPじゃない?」
朝倉がITにありそうなワードを告げた。
「うっうっ。それは私が知らない何かです~」
そ、そうなんだ。
「朝比奈、思うにPTAだ」
それは絶対に違うだろ。
俺も日本語での呼び方を知らないから偉そうな事は言えないけど、確実に教育関係の団体さんだぞ、それは。
しかも藤原、未来人な時点でさてはお前、わざとボケたな?
あと、PTA覚えてるって事は俺を知らないフリしてただろ。
(まあ、総じてどうでもいいか)
☆
結局、朝比奈さんがおっちょこちょいなだけでTPDDはちゃんとあったらしく、牛の組織から許可が下りた朝比奈さんは牧場へとワープして行った。
「ふう。どっと気疲れした」
わけの分からない無茶な設定がてんこ盛りの超異界での濃厚な展開の連続に、俺は気後れし始めたのだ。
「牛には気を付けよう。ボクはこんな所で牛に殺されるわけには行かないんだ」
おう。そうだな藤原。
ただ、それはみんな同じだ。
「でも次はどこに向かえば良いのかしら?」
それなんだよな。
俺としては朝比奈さんに一縷の望みを持っていただけに、まさかのノーヒントは厳しい。
☆
だけど俺や藤原を守るために朝倉や九曜が本気を出し続けたため、巨大な牛たちは時にこんがり焼け、時に灰も残らなかった。
まあ、こんがり焼けたのを食べるだけの気力は俺にはなかったが、超異界の民は食欲がとてつもない。
「よっしゃあ、食べるぜ食べるぜえ」
「――食肉――万歳」
藤原と九曜がもりもりと牛を食べ尽くしていったので、肉が腐る心配だけはなさそうだ。
「なんで牛だらけなんだろうな」
俺の問いには誰も答えない。
分からないのもあるだろうけど、それ以上に狩りや食事に夢中で俺の言葉に気付いてないようだった。
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