第20話
ワニと俺。
そんなエッセイを書かないではいられないほどに、俺はワニと対峙していた。
不毛と膠着、あと強いて言うなら混乱が同居した場って見るのが適切なのかもしれない。
「なにこの時間」
繰り返すようだが、俺は勇者ではない。
あくまで勇者風味。
つまり、単なるいつもの俺が固めの鎧着て、並みのレプリカ剣を持たされただけだ。
「ハルヒめ。いや、超女神のせいだから、いや、やっぱりハルヒのせいだな」
レプリカ剣。
そう、あくまで模造でしかないのはジャングルの木を試し斬りして確認してある。
「ワニ……」
もう俺はワニ、としか言いようがない。
ワニだから。
そりゃもうね、背中にこんなに鱗がびっしりしていて、口が前方に長くて鋭い歯がやけにまばらにあるのはワニだよ。うん。
「こんな事なら、お笑いタレントがワニと格闘する番組をしっかり目に焼き付けておくべきだったな」
ああした番組では、必然か偶然かは知らないがタレントがワニと渡り合える事もままある。
あれ、何なんだろうな?
☆
まあ、あれが何なのかなんて考えても意味がないのが超異界だ。
だって、ここ現実じゃないから確認しようがないし。
「迂回するかな」
どう見ても、通りやすい道にいるに過ぎないワニさえ回避すれば、すっと先に進めるような気がする。
ただ問題は、歩行者用の道を外れたら何がいるかが見えない点だ。
下手したら、そこにもワニがいたら俺はかじられ、痛い。
それに、ワニどころかキングコブラとか、キングコングとかな。
ん?
だってここ、超異界だからキングコングだっていてもおかしくはないと俺は思うぞ。
「……」
終いには無言になる俺。
一方、ワニはワニだから常に無言だ。
構図としては、真正面から俺を見ているワニから二~三メートル離れた所に俺が立ち尽くしている感じ。
近いと思うかもしれないが、だって前進されたらなんとなく不安感がな。
動くに動けないとは、この事だ。
幸い、じたばたしなければ来ないだろうという俺の予感通り、少なくとも今は動きそうにないワニだ。
「鶴屋さんとか来ないかな」
それか喜緑さんとかな。
強そうだったり特殊能力ありそうだったりすれば、ワニ攻略の難易度って格段に下がると思う。
☆
ワニはまだ、動かない。
だが、かと言って死んでいるワケでもなさそうだ。
また、当然ではあるが作り物でもないらしい。
「もはや当然とは何なのか」
まあ、何でもいいけど。
で、本物のワニって分かるのがどこかと言うと、ずばり呼吸しているって事実だ。
後はそうだな。口がゆらゆら開き具合を変えてくるという、大変に怖い現実もだ。
だけど厳密には、やっぱりハルヒが生んだ神人的ワニなんだとは思う。
口説いようだが、ここ超異界だし。
ただ、ハルヒがよほどワニを調べた時期があるのか、そのワニは実在のワニを精密に再現しているように思われた。
顔以外はトカゲっぽさがあるんだよな。
そんなイメージ、俺にはないからきっと本物を意識して作られているんだ。
「って、そんな事より倒し方か」
俺は思う。
きっと、超魔王ハルヒよりコイツの攻略の方がよほど大変だ。
だってワニだぜ?
せめてネカフェがあればな。
検索してワニへの対応とかで調べれば、それなりにはヒットするんじゃないだろうか。
「あ。でも会計の時に鎧を脱がないと財布を出せねえの、めんどいな」
☆
ふう。ったく、ワニめ。
「そろそろ日本語を自在に操り自己紹介し出すフラグくらい立つだろ、常識的に考えて」
どんだけだよ。
何のフラグも立てないことへの、その飽くなき精神は何だ。
ワニはしかし、まだ俺を餌と見なすほどには空腹ではないらしい。
つまり空腹になってきたら、いよいよ始まっちまうわけだ。バトルがな。
「それか、もしかしてお前が古泉か?」
その発想はなかった、と思っているのか、ワニはそこで妙にタイミング良く口を大きく開けた。
でもそれだけだ。
多分、やはり単なるワニであり古泉ではないのだろう。
あるいは仮に古泉だとしても、ワニであるために俺を俺と認識出来ないのかもしれないな。
「古泉……哀れなり」
いや、古泉にしてはワニ感が凄すぎるし、朝比奈さんという可能性もある。
べ、別に朝比奈さんのワニ感が半端ないわけじゃないぞ。ま、まあ古泉よりは朝比奈さんの方がなぜかワニ感はあるが。
☆
「古泉。お前が大変なのは分かる。だけど今はSOS団のピンチ。しかも、史上最大かもしれないピンチだ。お前も分かるだろ? だってワニだぞ、今のお前」
しばらく俺は、ワニが実は古泉である説に則り、こんな風にワニに話しかけ続けてみた。
「お前、今はワニだとしても神人退治は良いのか? そりゃ、長門みたくお前も神人だったなら神人を倒すまでは出来ないさ。でも、だからってワニに甘んじるヤツなんて、俺は古泉とは認めない。そりゃ、普通のワニだ」
ワニだろうけどな、実際。
ほとんどダメ元だから俺としても。
通るべき道を動かないワニに意味を与えようとしているだけだからな。
「なあ、せめて何か言ってくれよ。古泉がそんなんじゃ、機関の連中も悲しむぜ。それかとんでもなく怒るだろうな。ま、まあ長門みたく機関じゃなく税関とかかもしれないけどさ」
俺はワニに対して長門を引き合いに出す変な若者だよな、今。
うん、なるべく適当なタイミングでこの作戦は諦めよう。
だってワニだろ。
それとも本当に古泉なのか?
「んふ。ほら、お前がそんななら、俺がんふ笑いを頂く事になる。後になってキャラを返してくれはナシだ。悪いが俺は本気だからな」
☆
「いいか古泉。確かに今の俺はふざけた格好をしている。ハルヒが与えた装備だとして、心底から気に入らないなら脱いだって構わないかもしれないさ。でもな、俺は出来るなら、ハルヒが望む世界観の中でアイツと対等に向き合いたい。意味、分かるか?」
ワニは相変わらずワニだ。
まあ、ゲシュタルト崩壊ではないかもしれないが徐々にワニかどうか確信はなくなってくるけどな。
不思議なものだ。
一目見た瞬間に「ワニだ」と思えたはずが、緑色で四つ足歩行の面長なハチュウ類であるまでしか実は分かってない事に気付いてしまう俺がいるなんて、こんなにもワニ(仮)と対峙しなければ分からなかったかもしれない。
「よし、こうしよう古泉。俺は剣を地面に置く。で、お前はそれから、そうだな、三十秒以内に古泉に戻ってくれれば、それで良い」
俺はそうワニ(仮)に告げ、レプリカ剣を地面に置いた。
そして俺は三十秒を口頭でカウントしたんだ。
☆
だが、何も変わらなかった。
何も変わらないから、やはりワニ(仮)。
または古泉扱いして怒り心頭の朝比奈さんなのだろう。
やれやれ。
まさか、どう見てもワニ(仮)な生き物が古泉か朝比奈さんかと疑心暗鬼になる日が訪れるとはな。
そこで俺は、唐突に長門から預かった手紙を思い出した。
「どうせ身動きが取れないし、今の内に読んでおくか」
俺は手紙を読み始めた。
『この文章を読んでいるという事は、私は消えてしまったか、この物語が大成功したかのどちらか。出来れば後者であると願うけど、これはそうじゃなかった時にあなたに宛てた手紙』
俺はそれだけ読むと、手紙を雑に折り畳んで歩き出した。
この物語の主人公であるはずのアイツ。アイツまで消えちまうなんて、俺はなんで気付いてやれなかったんだろう?
いや、長門は消えてないか。まあ分からないけど、出来れば俺も後者であって欲しいと願わざるを得ない。
ってワニ(仮)がいるのに歩いちゃったよ俺!
咄嗟に俺は可能な限り素早く、かつ高く立ち幅跳びをした。
よ、よし。なんとか飛び越えた。
そして陸上ではそもそも動きがゆったりなのかもしれないワニ(仮)は、そのまま俺を食べるのは諦めたのか、振り向く事さえなかった。
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