第33話

 瓜生岩子像は「新奥山」にある。


 瓜生岩子は、今の福島県喜多方市の出身。

 生涯を弱者、貧困者の救済、社会事業に捧げ、日本のナイチンゲールと称される人物である。

 銅像は明治三四年、一九〇一年に造立されたが、第二次大戦時の金属供出で失われ、昭和三〇年、一九五五年に再建されたもの。


『こちら葛飾区亀有公園前派出所』記念碑 は浅草神社鳥居脇。


 平成一七年、二〇〇五年に秋本治の漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の単行本の発行部数が一億三千万部を突破したことを記念するため建立された。

 同作品の主人公である「両さん」こと警察官両津勘吉は浅草育ちという設定になっており、両津の少年時代のエピソードを題材にした「浅草物語」の巻に浅草神社が登場した縁により建立されたものである。


 消防殉職者表彰碑は本堂裏広場奥だ。


 大正元年、一九一二年、殉職した火消の慰霊と顕彰のため建立された。毎年五月二五日に慰霊祭が行なわれ、本堂裏手広場では梯子乗り・木遣・纒振りの演技が披露される。


 この他、浅草神社境内には久保田万太郎句碑、川口松太郎句碑、河竹黙阿弥顕彰碑、市川猿翁(二代目市川猿之助)句碑、初代中村吉右衛門句碑などがある。


 ☆


 浅草公園。


 東京・浅草公園は、かつて浅草寺の境内地を中心にあった公園。日本初の都市公園の一つとして、一八七三年、明治六年三月二五日に誕生した。

 公園用地は一八七一年、明治四年に寺社領・境内地の上地令により公収され、明治六年太政官布達第十六号で東京府から公園の指定を受け、整備を始めた。

 当初は浅草寺境内と仲見世や奥山地区等に限定していたが、東京府は他の四公園の維持管理費を賄うため浅草公園から上がる地代収入に期待して、一八七六年、明治九年の十一月以後伝法院、浅草寺火除地、界隈十六ヶ町等を組入拡大した。

 一八八二年、明治一五年にはようやく浅草寺西側の浅草田圃と呼ばれる火除地を埋め立て、林泉地区、後の四区と興行地区、後の六区の造成に着手。一八八三年、明治一六年九月二六日に造成完了、一八八四年、明治一七年一月公園地は六つの区画に分かれ、同年九月に七区目が追加、後に除外。

 こうして浅草公園の開園式は、一八八六年、明治一九年五月二十日より行われた。


 第二次世界大戦後となり、一九四七年、昭和二二年四月二日の公共団体所有の社寺地財産処分の政府通牒を受けて、浅草公園は同年五月一日公園地の指定解除、一九五一年、昭和二六年十月再び浅草寺の所有地になった。

 浅草寺は束の間、東京大空襲で焼失した本堂の復興資金を捻出するために四区の瓢箪池を売却。 その後も町名として一九六五年、昭和四〇年八月一日の住居表示制度が導入される時まで存続していたが、現在は無い。

 行政町名としての「浅草公園地」は、概ね現在の浅草一丁目と二丁目に内包される。もはや都立公園でも区立公園でもない浅草公園が、昔からの名残として、未だ地図上の浅草寺境内地に表記されている。


 ☆


 浅草寺では先祖供養も出来る。


 霊験あらたかと言われる浅草寺では毎日、家の宗派と無関係に先祖供養を受け付けている。浅草界隈を長年取材している五木寛之によれば、宗派を問わず全く無関係な人でも供養を申し込めるため、五重塔内の位牌には昭和天皇、マザーテレサ、ダイアナ妃の位牌まで存在するという。


 毎日六時、ただし十月から三月は六時半、十時、十四時から先祖供養、厄よけ、等の祈祷が行われる。

 特定の個人の名前で受け付ける他、○○家先祖代々、という形でも受け付ける。

 志納金は三千円から。


 おみくじ。


 浅草寺のおみくじは、細い棒の入った両手で抱えられる程度の大きさ・重さの角柱・円柱形の筒状の箱を振って箱の端の小さな穴から棒を一本出し、棒に記された番号のくじを受けとる方式である。その内訳は、大吉、吉、半吉、小吉、末小吉、末吉、凶の七種類であり、末吉まではお守りとして持ち帰り、凶を引いてしまった場合だけ、傍の結び棒にておみくじを結ぶことになっている。


 ☆


「ふう。これで粗方、巡り終わったな」


 かなりのテーマパークを一周したくらいの、しっかりした疲労感が俺を襲った。

 しかし、とりあえず必死にハルヒを追いかけて見失ったみんなと合流しないとと俺が気を取り直した、その時である。


「……招き猫の発祥については全国に由縁の地といわれるところがある中で、記録と実物、錦絵などによってその発祥が確実視されるのが、浅草寺境内。武江年表や藤岡屋日記嘉永五年の項目には、当寺境内三社権現鳥居横にて老婆によって今戸焼製の招き猫が売りだされ大流行になったと記されている。その特徴としては背面に丸に〆の陽刻があり、「金銭や福徳を丸く勢〆る」という縁起が担がれたものであって、具体的に招き猫とも浅草観音猫とも丸〆猫とも記されている。同じ嘉永五年に出された錦絵「浄るり町繁華の図」には、浄瑠璃の登場人物になぞらえて丸〆猫を売る床店が描かれている。近年都内の近世遺跡からは、色のとれた背面に「丸に〆」の陽刻のある招き猫の出土が数件確認されている。これらから総合的に、実物と記録のはっきりした最古の招き猫ということが可能」


 長門だ。


 そして、ちゃっかりニヤニヤしながらみんな俺に着いて来ていた。

 いや、冷静に見ればつけて来ていた、と言うべき怪しさ満点の学生集団だ。


「……国宝は法華経十巻、それと」

「だあ~っ。もう、いいよ長門。いつか自分で調べる程度のヤツだから、その領域は」


 ☆


 伝法院庭園の絵馬がどうだの蘊蓄が止まらない長門だが、既に古泉は真っ白に燃え尽きており思わず俺はタオルを投げ入れてやりたくなった。

 ま、リングなんてないんだけどな。


「じゃあ長門さん、こんなのはどうかしら?」


 朝倉が口を開いたと思ったら、まだ浅草寺雑学だ。


「考古学上の遺跡としての浅草寺。古代から中世・近世江戸時代と長い歴史を有す浅草寺は、考古学上重要な歴史資料をその地下に包含した浅草寺遺跡でもあるの。戦災で焼失した五重塔再建に先立ち昭和四五年、一九七〇年には再建地点の発掘調査が行われ、学術的に貴重な成果が得られたわけ。特にこの調査は葛飾区葛西城跡の発掘調査や千代田区都立一橋高校内の発掘調査と並び、それまでの日本考古学では研究対象とされていなかった中世や近世江戸時代の遺跡調査の嚆矢となり特に近世考古学の出発点となる学史上の記念碑的調査となったわ。その後も台東区教育委員会による浅草寺境内及び周辺での発掘調査が地道に続けられ、従来の文献資料研究が描いてきた浅草寺及び浅草の歴史像の大幅な修正を迫る発見が相次いでいるって状態。分かる?」


 長門、素直に拍手してる場合か。アイデンティティーの危機だぞ?


 ☆


「さあ、キョン。お待ちかね、浅草寺のライトアップよ。せいぜい満喫しなさいよね!」


 浅草寺では、江戸開府四百年記念事業として『輝く二一世紀の浅草』をスローガンに、二〇〇三年十月から本堂・五重塔・宝蔵門・雷門のライトアップを始めた。ライトアップのデザインを手がけたのは、東京タワーやレインボーブリッジも担当した石井幹子。


 また、二〇一〇年からは二天門が赤・青・紫と色が変化するようにLEDでライトアップされるようになった。ライトアップ時間は、毎日日没から午後十一時まで。夜は本堂の扉は閉められているが、参拝はできるようにされている。


「えっ、二〇一〇年って?」

「ま、まあまあ。その辺は……禁則事項です♪」


 しれっと夜になってるしハルヒがナチュラルに合流してるし、わけがわからないよ。


 やれやれ。

 でもそれを言うなら『こち亀』の記念碑もまだ建ってないはずなわけで。


 これは異世界ならではの何らかのご都合主義が働いた、あり得るだろう浅草寺の現実として楽しめば問題ない。

 俺はなるべく、簡単に考えて浅草寺観光をみんなで満喫した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

涼宮ハルヒの規約 桐谷瑞浪 @AkiramGodfleet2088

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ