第5話
「論文、とは恐れ入るよ」
俺は七十年代映画みたいなノリで両肩をすくめてみせた。
誰もいない文芸部部室。
おかしい、やけに静かだ。
今日、俺が祝日なのをうっかり間違って来たわけでもない。
「普通に授業はあったし、普通に国木田も谷口もいた。後は特に異常ないよな」
そう。異常など何も、――?
「待て待て。待てよ、俺。なんか忘れてないか?」
ついさっきまで覚えていたはずの誰か。
スレンダーだが出るとこは出ていて、黄色のリボンがトレードマークのアイツ。
「なんかどころじゃない。……アイツは誰だった?」
☆
俺はパソコンが置かれた机に置かれた二つの書類を改めて確認した。
一つは、俺たちが書き上げたライトノベルの草稿を文章としてプリントアウトした冊子。
一つは、黄色リボンの誰かが書き上げた、〈最終章のための架空社会論〉というタイトルの論文。
ライトノベルには、それぞれの章の始まりに作者名がイニシャルで書き込まれていた。
俺はまあ良いとして、次がYN。MA。IKと来て、最後は名無し。
イニシャルすらなしだ。
「さっぱりだ。イニシャル見ても、心当たりが全くない。どうなってやがる……」
探すべきなのかもしれない。
名無しが一番気になるが、それぞれのイニシャルの持ち主を。
俺はとりあえず、職員室に向かった。
☆
よく考えたら、俺とアイツらは同じ団に属していたはずだ。
SOS団。団の名前だけは忘れてない。
何かの略だったがそれは思い出せないけど、とにかくSOS団。
それだけは確かなはずだ。
職員室で、俺はSOS団の名簿などがないか尋ねた。
「あなた、覚えてないの? SOS団は正規の部活動ではない、非公認の同好会。だからこちらでは名簿なんて用意してないの」
そ、そうだったっけ。うーん。
正直、言われてみればのレベルだが、先生の一人が助け船をくれた。
「ウェブサイトを見てみたら。確かお前ら、なんか作ったって噂だったよな?」
言われて一人、部室に戻ってきた。
リボンの女が残したパソコンのスイッチをオンにし、ブラウザを立ち上げる。
☆
「出た。……ん、ZOZ団?」
あまり覚えてない。
色々あってそう落とし込んだらしい記憶が奥の方で溺れてる感じだ。
団員の名前はあるにはある。
なになに。
団長、涼宮ハルヒ。副団長、古泉一樹。副々団長、朝比奈みくる。団員、長門有希。
そして団員、俺。
この涼宮ハルヒってのが、名無しのリボン女だろうな。
だって、涼宮ハルヒだからイニシャルはHS。そのイニシャルはラノベ冊子のどこにもなかった。
「まるでこうなるって分かってたみたいだな、涼宮ハルヒ……!」
団員にはイニシャルだけ書かせ、自分は唯我独尊のごとく無記名。
唯我独尊。うん。
なんかアイツを、ちょっと思い出せた気がする。
☆●◯●◯
思い出せたところで埒はあかず、その日は一人、早々と帰宅した。
「キョンくん、おかえり」
妹すらまだ帰らない時間に帰宅なんて、我ながら珍しい。
一方、シャミセンは居眠りしていた。
「長門、有希……か」
俺は勝手に持ち帰ったラノベ冊子をパラパラとめくって、長門有希が書いたらしい第二章に目を通した。
「「「
『この文章を読んでいるという事は、私は消えてしまったか、この物語が大成功したかのどちらか。出来れば後者であると願うけど、これはそうじゃなかった時にあなたに宛てた手紙』
俺はそれだけ読むと、手紙を雑に折り畳んで歩き出した。
この物語の主人公であるはずのアイツ。アイツまで消えちまうなんて、俺はなんで気付いてやれなかったんだろう?
」」」
俺が書いた主人公を全否定とは、やるな長門有希。
☆
で、俺は今再び家を出て、今は図書館にいる。
昔、SOS団で来たような気もするし、俺だってこう見えて多少は利用する。
ま、学生の本分たる勉学はそこそこに哲学とか歴史、それに文学などの文系趣味にひた走るってのが主目的ではあるがな。
「……っ、やっぱりそうだ」
館内での会話などは慎むべきだが、俺は小声で呟いてしまった。
歴史書のコーナー。そこに彼女、――周防九曜はいた。
「九曜、ちょっとだけ話せるか」
「――館外――退出」
しかし、九曜か。
ラノベ第二章を読む限り、明らかにこの図書館をモチーフにした建物の歴史コーナーに九曜らしき女の子が来るシーンがある。
だから、というだけで来てみたんだが、まさかいるとは。
ただ、そんな事よりよほど重要なコト。
それは、九曜ってヤツは確か長門有希以上に無口だから会話になるかどうか、だ。
☆
「――逃亡――協力」
「は? 逃亡って……」
ジャキィ。
図書館を出たばかりの俺と九曜の間を、巨大なハサミが突き抜けた。
非日常。
その感覚をこんな狂気的なアイテムで思い出しちまった俺は思わず後ろを振り向いた。
「久しぶりね」
朝倉涼子。
コイツの事は忘れてない。
でも確か、基本的にはもういない存在のはずじゃあ……?
「――情報統合思念体製TEFI――不愉快」
無口なはずの九曜がやたらと長い固有名詞に対し、不愉快と切り捨てた。
で、そのやたら長い固有名詞は、俺の記憶が確かなら朝倉を指すのだ。
「くすっ。不愉快なのはお互い様、いえ、むしろアタシなんだから!」
剣客漫画でしか見たことない鋭い一閃が九曜を襲ったっぽい。
っぽい、とは、つまり俺には速すぎて見えなかったのだ。
☆
朝倉涼子と巨大なハサミ。
まるで語感だけなら魔法使いの陽気なファンタジーが始まりそうな取り合わせだ。
でも、目の前で繰り広げられているのは残念ながらバチバチのアクション、でなければスリラーだ。
「九曜!」
「――護衛――約束」
そういうと九曜は、勇猛果敢に朝倉涼子に向かって突撃していった。
意味は図りかねるが、もしかしたら九曜は長門有希と何らかの約束をし、俺を守ろうとしているのだろうか?
まあ、いいや。
だって、護衛どころか瞬間移動だのエネルギー弾だの、どっかのサイヤ人もびっくりのスパーキングが展開されている。
うーん、俺の記憶が消えかけてるにしてもなんか覚えてる九曜と違うが、気にするだけ野暮か。
助けてはくれているっぽいしな。
☆
「――長門――朝倉」
あの、九曜さん?
先ほどからどんどん意味不明で俺、どう対応するべきか、さっぱりだよ。
「九曜、勝てそうか?」
冷静を装おい、俺は心配する素振りをした。
「――長門――朝倉」
そうだね、それは聞いたよ。
全く、それって長門有希が朝倉だとか、そういうオチって意味だろ?
そんなワケが……。
「……情報連結解除を申請。敵対的存在に相当する対象、周防九曜を直ちに排除する」
「えっ、長門?」
どう考えても朝倉がいたはずが、そこに長門がいた。
長門……そう。俺はコイツを、長門と呼んでいた。
☆
朝倉が持っていた巨大なハサミはそのままに、どう考えても今の長門は俺にまで殺意じみた感情を有しているようだ。
現に俺の制服の右袖は、あのハサミが掠めただけで猛烈にノースリーブになっちまった。
風圧ってスゴいんだな、とか素直に感心してしまった俺。
「……涼宮ハルヒは、どこ」
長門もまた涼宮ハルヒを探しているようだ。
「知らないな」
「……ならば、思い出させるまで」
今度は避けられない気がする。
大体、さっきのハサミだって避けたんじゃなく、躓いて転んだのが不幸中の幸いに変質しただけだ。
「九曜、出来るだけ遠くに逃げるぞ。何があっても全力で走れ!」
「――把握」
俺は直感で、今は九曜を信じるべきと判断し共に逃げ出した。
何があっても、なんて大言壮語でしかなかったけど、ほとんどのハサミ攻撃は結界とか弾幕とかで九曜がなんとかしてくれたようだ。
振り返る余裕すらなくて音しか聞こえなかったが、生き残れたって事はどうやらそうだったって事らしい。
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