第9話
それからは、長門や朝倉にも論文の解読を手伝ってもらう事にした。
認識出来ないだけで朝比奈や古泉がいるかもしれない文芸部部室は使えない気がしたので、こうなってから俺が本来の長門に会った小さな公園を当面の待ち合わせ場所に指定した。
「……順応総和。興味深い観念。ある一定の環境に順応出来る人間の総和を算出した値、その応用範囲の広さに着目した点は斬新かつ堅実」
「そ、そうなのか?」
「知らないわよ。だって調べても出てこない、涼宮さん独特の用語でしょ? そりゃ、言い方が違うだけで概念はとっくに研究されてる、なんて事は有り得るだろうけど」
「ん? なるほど。もしかしたら、それだ!」
論文の難解さに差し込む、一筋の光明。
まさかそれが朝倉から聞けるなんて、誰に想像出来ただろうか?
☆
インターネット・カフェ。
いわゆるネカフェだ。
高校生だから利用出来ないなんて事はない。
深夜だけは無理というのが掟ではあるらしいが、情報化社会で複数人が調べものをするには意外に便利な施設だ。
店内に入ると、やたらジャジーな男店員が受付をしていた。
うん。別にジャジーなのはルール違反でもなんでもない。それはまさに、高校生でもネカフェが使えるのと同じだ。
「二名様のご利用っすね?」
いやいや、「っすね」って。
だがそれだけの理由で別のネカフェに移るのも面倒ではある。
よってまあ、はいと言わざるを得ない。
長門と朝倉は一人ずつですなんて伝えて、スタッフを気絶でもさせようものなら高校生にしてネカフェ出入り禁止かもだからな。
(まあ、ジャジーな見た目だけあって、意外と「じゃあ三名様っす」とか言いそうだ)
そんな極限にどうでも良い思考を巡らせていたら、予想だにしない人物に出会った。
「やあ、あんたは」
「お、藤原じゃないか」
奇遇というのは、あるものだ。
一時期は明白に敵だった男と、今は何の因縁もなくこうして、ばったりネカフェで会うなんて。
……。
「し、しまった」
☆
やっちまったとは、この事である。
ラノベ第三章。その冒頭は、確かこうだ。
「「「
るんるんるーん。
姉さん。パソコンなんて、どんな風の吹きさらしだい?
ぽよ、ぽよぽよよ。
あ、違うか。それを言うなら、風の吹き流しだよね、だよね~。
えっ、ドリンクバーなんておしゃれにゃり~ん。
そこに姉さんなどいなかった。
ちなみに、風の吹き回しが正しいって知っていて、わざと面白いかなってぶつぶつ言うのがマイブームさ。
」」」
まあ朝比奈みくるが、よほど藤原が嫌いと見えるのはここでは議論しない。
だって明らかにそこに描かれているのは藤原らしき人物であり、パソコンとドリンクバーのある施設はネカフェだからだ。
「藤原、いきなりでなんだが姉さんじゃない方は俺たちの敵だ」
「えっ、それはどういう……」
涼宮ハルヒが原因で、朝比奈みくるの性質が改変された。
人間、その気になればこのように、三秒で現状を説明出来るものだ。
第三章の予言は十中八九、藤原との邂逅という形で実現してしまった。
つまり、周防からの長門のパターンがここでも始まると考えるのが、むしろ自然というわけである。
☆▼▽▼▽
ネカフェへの入場をキャンセルした俺たちは、支払いを済ませ始めた藤原とは近くのコンビニで落ち合う事にした。
それほどに、切迫して不味い状況だったのだ。
「あ~、キョンくん。待ってくださいよー」
テンションだけは普段の朝比奈さんだが、明らかにライダー・スーツみたいな見た事ない服装でお出ましだ。
(朝比奈さん。敵味方以前に、それじゃあただの変態です!)
朝比奈さんは周りの人々をTPDDで無作為に時間移動させていく。
おそらく、そうだというだけではある。
しかし手を触れられた人が消えるなんて、未来人の朝比奈さんだからきっと、時間移動に違いないのだ。
「……転移。あるいは、やはり時間移動を思わせる能力ではあるけど、確証に通じる根拠は皆無。すなわち謎」
だよね。
全く。今の朝比奈さんってば、どこぞの藤原よりよっぽど禁則事項だぞ?
☆
コンビニなんかで待っていられない俺たちは、とにかく走った。
はっきり言って消されていく人たちはかわいそうだが、今は逃げるしか選択肢がないのだ。
「……強化。情報思念統合体に端末機能の大幅な緩和の限定的行使を申請。……許可を確認、直ちに実行する」
底力で身体強化チートみたいなのを発動した長門にしがみつくと、長門は一気にどこかのビルの屋上に跳躍した。
そう、長門は身体強化を縦方向に行使したのだ。
みるみる地上が遠ざかっていく様は、さながら遊園地にあるフォール系のアトラクション。
(このまま天国にジャンプするのもアリかな、パトラッシュ)
絶叫したくなる衝動を抑えるのに必死な俺だが、多分おそらく、無意識に叫んでいたのは言うまでもない。
「……ここなら簡単には来られない」
「確かに、な」
ま、藤原も来られないけど仕方ない。
「いや。でも朝比奈さんに消されたら、藤原だとしてもマズくないか?」
☆
だがどうやら、長門は身体強化チートを使う権限を使いきってしまったらしい。
「……迂闊。私としたことが、混乱のために視野が狭まっていた」
長門なりの謝罪なのだろう。
ま、しゃあないよな。冷静沈着な長門ですら混乱するほどの事態。
朝比奈さんが敵に回る。
それは場合によっては、こんなにも厄介なのだから。
「ひとまず下りるか」
「……御意」
幸いにも、やたら人の気配もセキュリティもガバガバなビルなために地上に向かうのは難しくなさそうだ。
☆
「るんるんるーん」
ん、なんだか聞き覚えのあるフレーズ。
そして聞き覚えのある癒し系ボイス。
間違いない。
今、朝比奈さんは、ビルの中でも俺たちがいる七階付近に確実に潜んでいる。
「朝比奈みくる。まさか敵として一戦を交えることになるとはね!」
長門が朝倉に変わっていた。
やれやれ。
こんなに大変じゃあ、状況を逐一理解していくだけで一日が終わっちまうぜ?
「るんるんるーん」
朝比奈さん。
るんるんしてる場合じゃありません。
そう凡庸な言葉を投げかければ元の朝比奈さんに戻るなら、俺に躊躇いはない。
「朝倉、戦うのは止してくれ。お前も長門も、今は事態解決に不可欠だ。だがあの朝比奈さんに触られたら、幾らヒューマノイド・インタフェースだとしても下手したら詰む」
「むー、分かったわよ。なるべく気を付けるわ」
なるべく、か。
まあ、気を付けてくれないよりはマシだと思おう。
☆
「るんるんるーん」
なにこれ。
突然に放り込まれたスプラッタ・ホラーみたいな危うい状況。
どうして、こうなった?
「そう。それは単に俺のうっかりなんだ」
「しっ、あなたの低音ボイスは異常に響く。知らなかったの?」
知らなくもなかったので、俺は必要最低限の音量で必要最低限の会話だけに抑える努力をする羽目になった。
朝比奈さんの姿は、しかし中々見えない。
余りにも見えなくて、もしかしてこちらの居場所を完全に知られているのではないか、という疑惑まで俺には芽生えてきた。
「監視カメラとかで警備、動くよな普通」
「まあね。ただ、それを言ったらアタシたちも何かしらで捕まりかねないわね」
なるほど。
それにガバガバ警備だからこそ、ここまで降りて来れたという現実を体験したばかりだしな。
ものすご~く納得だ。
「決めた。やっぱりアタシが囮になる。あなたはアタシが朝比奈さんを引き付ける間に逃げて。そして藤原さんとやらに合流するのよ」
そう言うと朝倉は、突然に大声を出した。
「朝比奈さーん。アタシはここよ。来れるものなら来てみなさいよー!」
バカ野郎。
だったら避難経路図を見る時間くらいくれよ。
そう思うも、時、既に後の祭りの盆に返らず。
「るんるんるーん」
変わらぬフレーズと共に、彼女は俺たちの前に姿を現したのだ。
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