第31話
雷門(仮)がある。
現実の雷門は表参道入口の門だ。
切妻造の八脚門で向かって右の間に風神像、左の間に雷神像を安置することから正式には「風雷神門」というが「雷門」の通称で通っている。
「んもっふ。慶応元年、一八六五年に焼失後は仮説の門が時折建てられていましたが、昭和三十五年、一九六〇年に常設の門が鉄筋コンクリート造で再建されたんですよね。これって、あの実業家・松下幸之助が浅草観音に祈願して病気が治った報恩、つまり恩返しのために寄進したものであるらしいんですよ。だから門の内には松下電器産業、現パナソニック寄贈の大提灯があるんです。三社祭の時と台風到来の時だけ提灯が畳まれるそうですよ」
風神雷神像は頭部のみが古く、体部は慶応元年、一八六五年の火災で焼失後、明治七年、一八七四年に補作された。
更に昭和三十五年、一九六〇年の門再建時には補修と彩色が加えられている。
門の背面の間には、「金龍・天龍」の像を安置する。西の金龍である女神は仏師・菅原安男、東の天龍である男神は彫刻家・平櫛田中の作で、昭和五十三年、一九七八年に奉納されたものである。
☆
仲見世通りに来た。
佐々木が作った浅草寺なのか、ここまで来ると(仮)は無くて良さそうだ。
雷門から宝蔵門に至る長さ約二五〇メートルの表参道の両側には土産物、菓子などを売る商店が立ち並び、その全体が「仲見世通り」と呼ばれている。
商店は東側に五十四店、西側に三十五店を数える。寺院建築風の外観を持つ店舗は、関東大震災による被災後、大正十四年、一九二五年に鉄筋コンクリート造で再建されたものである。
浅草寺は付近の住民に境内の清掃を賦役として課すかわりに、南谷の支院の軒先に床店、小屋掛けの店を出す許可を与えた。貞享二年、一六八五年頃のことで、これが仲見世の発祥といわれている。
「ハルヒ……?」
宝蔵門に向かうハルヒを見たような気がして、俺はハルヒを追いかけた。
そもそも俺はいつの間に浅草寺に詳しくなったのだ、という疑問と共にだ。
☆
宝蔵門。
雷門をくぐり、仲見世通りの商店街を抜けた先にある。入母屋造の二重門(二階建てで、外観上も屋根が上下二重になっている門)である。江戸時代には一年に数度二階部分に昇ることが可能であった。
現在の門は昭和三十九年、一九六四年に再建された鉄筋コンクリート造で、実業家・大谷米太郎夫妻の寄進によって建てられたものである。門の左右に金剛力士、つまり仁王像を安置することからかつては「仁王門」と呼ばれていたが、昭和の再建後は宝蔵門と称している。その名の通り、門の上層は文化財「元版一切経」の収蔵庫となっている。
二体の金剛力士像のうち、向かって左、つまり西の阿形は仏師・錦戸新観、右、つまり東の吽形像は木彫家・村岡久作の作である。
阿形像のモデルは力士の北の湖、吽形像のモデルは明武谷と言われている。
門の背面左右には、魔除けの意味をもつ巨大なわらじが吊り下げられている。
これは、前述の村岡久作が山形県村山市出身である縁から、同市の奉賛会により製作奉納されているもので、わら二五〇〇キログラムを使用している。
わらじは十年おきに新品が奉納されているが、稲藁は長い方が加工しやすいものの、近年の稲作では全国的に稲藁の利用の激減や、風雨で倒れにくく収穫しやすいことから、丈の低い品種への品種改良が進んでいる。同市ではこのために丈の高い古い品種を特別に栽培している。
耐震性の向上と参拝客に対する安全確保のため平成十九年、二〇〇七年に屋根改修工事を行い、軽量さと耐食性に優れたチタン製の瓦を全国で初めて採用した。
表面のアルミナブラスト加工をランダムに配置することで、土瓦特有の「まだら感」を再現している。また、主棟・隅棟・降棟・妻降棟すべての鬼飾もチタンで製作された。これ以降、境内の建物の瓦は順次チタン製に置き換えられている。
☆
本堂。
本尊の聖観音像を安置するため観音堂とも呼ばれる。旧堂は慶安二年、一六四九年の再建で近世の大型寺院本堂の代表作として国宝に指定されていたが、昭和二十年、一九四五年の東京大空襲で焼失した。現在の堂は昭和三十三年、一九五八年に再建されたもので鉄筋コンクリート造である。外陣には川端龍子筆「龍の図」、堂本印象筆「天人散華の図」の天井画がある。
内陣中央には本尊の聖観音像という絶対秘仏を安置する八棟造りの宮殿、いわゆる「厨子」がある。宮殿内部は上段の間と下段の間に分かれ、上段の間には秘仏本尊を安置する厨子を納め、下段の間には前立本尊の観音像――伝・円仁作――が安置する。下段の間にはこのほか徳川家康、徳川家光、公遵法親王――中御門天皇第二皇子、天台座主――がそれぞれ奉納した観音像が安置されている。
宮殿の扉の前には「御戸帳」と称する、刺繍を施した帳が掛けられている。宮殿の手前左右には梵天・帝釈天像が立つ。宮殿の裏には秘仏本尊と同じ姿という聖観音像――通称裏観音――、堂内後方左右の厨子内には本尊の脇侍として不動明王像と愛染明王像を安置する。
毎年十二月十二・十三日に煤払と開扉法要が行われる。本尊は絶対秘仏で公開されないが、「お前立」の観音像は十二月十三日午後二時からの開扉法要の際に一般の信徒も拝観することができる。
二〇〇九年二月から二〇一〇年十二月にかけて、「平成本堂大営繕」が行われた。屋根の葺き替えは昭和三十三年、一九五八の再建以来五十年ぶり。宝蔵門の改修工事でも用いたチタン瓦――カナメ社製瓦。TranTixxiiチタン素材使用――を採用。使用色も二色から三色に増やし、より粘土瓦に近い風合いを醸し出している。
☆
五重塔。
天慶五年、九四二年に平公雅が塔を建立したと伝わる。この塔は三重塔であったといわれる。
焼失を繰り返したのち慶安元年、一六四八年に五重塔として建立され、本堂と同様、関東大震災では倒壊しなかったが昭和二十年、一九四五年の東京大空襲では焼失した。
現在の塔は本堂の西側、寛永八年、一六三一年に焼失した三重塔の跡伝承地付近に場所を移して、昭和四十八年、一九七三年に再建されたもので鉄筋コンクリート造、アルミ合金瓦葺き、基壇の高さ約五メートル、塔自体の高さは約四十八メートルである。
基壇内部には永代供養のための位牌を納めた霊牌殿などがあり、塔の最上層にはスリランカ・アヌラーダプラのイスルムニヤ寺院から請来した仏舎利を安置している。
なお、再建以前の塔は東側にあった。
その位置、交番前辺りには「塔」と刻まれた標石が埋め込まれていたが、平成二十一年、二〇〇九年には新たに「旧五重塔跡」と記された石碑が設置された。周辺には木が植えられ、憩いの場となっている。江戸四塔、江戸六塔の一つに数えられる。
アルミ製の瓦を使用していたが、二〇一七年六月には本堂で使われた三色のチタン瓦 ――カナメ社製瓦。TranTixxiiチタン素材使用――を導入した。
☆
「やっぱりおかしい。俺はこんなに神社仏閣に詳しくない……」
俺は混乱していた。
仮にハルヒか佐々木が俺の記憶を改変していたとしよう。だが浅草寺に詳しくなる改変なんて何の意味がある?
行く先々でハルヒらしき人影を見つけては逃げられ、逃げられてはまた別の場所を探した。
するとなぜか向かう先にハルヒはいて、いや、ハルヒかどうかまでは分からないけど俺は異世界の浅草寺でまで振り回されているその少女はハルヒだとどこかで確信していた。
「何か関係あるってのか。この浅草寺と、少数能、それかハルヒが俺に会いたくない理由……?」
神仏にはどこか心を癒す作用がある。それは超異界浅草寺を巡る内に分かりかけてはいたが、ハルヒはそこに何らかのメッセージを込めたのかもしれない。
ただ、凡人でしかない俺にそれは余りにも高望みとしか言いようがないのだった。
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